防犯ブザー
永史は成熟した女性に興味を持てなかった。成人してから今まで数回交際したことはあったが、満たされることはなくすぐ別れた。
自分を満たしてくれる女性はどこにいるのか――よくよく考えて気づいた。幼い少女を手に入れ、自分好みに育成すればいいのではないかと。
それを実行すべく、休日を使って赤い愛車で町中を物色し始めた。
だが、今日日の子供はこまっしゃくれていて大人の女性顔負けで、永史の眼鏡にかなうものはない。しかも目立つ車で徐行して少女たちを探る不審者の情報はすぐ学校や父兄に連絡され、彼は探索の範囲を広げざるを得なかった。が、どの町に行っても状況は同じ。
永史は必然的に長閑な田舎町まで足を延ばすほかなかった。
時間と金は掛かったが、思いの外、田舎町のほうが物色し易いとわかった。男女問わず純朴で無邪気な子供たちが、路肩に車を停め辺りを窺う――どう見ても不審者の永史にも懐っこく挨拶をしてきた。
だがやはりこんな地域でも防犯意識が強く、近辺の田畑で作業する大人の見守りがいくつもあったり、本人たちも防犯ブザーを携帯したりしていた。
それでも未練がましく車を走らせ、ずいぶん山奥の村にまで来てしまった。
「こんなとこ、年寄りばっかで子供なんているわけないだろ」
ただただ長閑な景色が続く一本道を進みながら不貞腐れる。
喉が渇いても自販機すら見つからない、そんなど田舎。
「ちっ」
さっきから何十回目かわからない舌打ちを鳴らし走り進めていると、前方の路肩に一台の自販機が見えてきた。
永史はスピードを緩めた。
自販機ばかりに視線を留めていたので、近づくまで気づかなかったのだが、子供が一人ほぼ寝そべる格好で自販機下を覗き込んでいた。
ショートパンツを穿いた女の子のようだ。
周囲は青田が広がり、少し離れた場所に納屋のある民家がぽつぽつ点在しているだけで人の気配はなかった。
日差しの強い午後二時過ぎ。朝早い百姓たちは涼しい屋内で昼寝でもしているのかもしれない。
永史は車を降り、自販機の前で飲み物を選んでいる体で子供の様子を窺った。
「どうしたの? お金落としたの?」
声をかけると、子供は覗き込んだ姿勢のままで顔を上げた。前髪ぱっつんのかわいい美少女だった。小学三、四年くらいだろうか、地面に伸ばされた白い脚は意外に長くて、永史の目に艶めかしく映る。
「うん。100円ころがしてしもぉて」
返事を聞きながらお金を入れ、缶コーヒーのボタンを押す。音を立てて出てきた缶を取り出してから、
「100円くらいお兄ちゃんが上げるよ。ほら」
小銭入れから出した100円玉を差し出す。
少女は訝し気な顔で立ち上がり、少し迷った後「ありがとぉ」とお金を受け取った。
「飲み物も買ってあげるよ。はい、好きなの押して」
投入口にお金を入れ、自販機の前を譲る。
少女は上目遣いで男を窺いつつも、素早くオレンジ色の炭酸飲料のボタンを押した。
「それおいしいよね。僕も好きだった」
コーヒーのプルトップを開け一口飲む。
少女もペットボトルのふたを開けてぐびぐびと飲み始めた。
白い喉の動きを横目で見ながら、
「あのさ、僕が言うのもなんなんだけど、知らない人と話しちゃいけないって、学校の先生とか親に言われてないの?」
「あ、いわれとるわ」
今思い出したかのような様子に僕はくすりと笑った。
「懐っこくてかわいいと思うけどだめだよ、ちゃんと言いつけ守んなきゃ。ね、防犯ブザーは持ってる?」
中身を飲み干したペットボトルを容器入れに放り込むと少女は、「もっとるよ」とパンツのポケットからピンク色の防犯ブザーを取り出した。
その時風が止んだように永史は感じた。
真っ青な空。
くっきり浮かんだ稜線。
その背後から湧き上がる白い入道雲。
青々と広がる田んぼ。
点在する民家。
とても静かで長閑な景色――
その景色に大人の姿はどこにもない。
他の子供たちや車の通行もない。
死角。
時折、目撃者のない行方不明事件が起こる。きっとこんな死角がぽっかり生まれるのだろう。
永史は心の中でほくそ笑んだ。
「ふうん、お洒落なのもあるんだね。よく見せて」
そう言って少女に手のひらを向けた。
身を守る大事なものを何の躊躇もなく少女は手渡した。
「へえ、こんななんだね」
永史は言い終えると同時にブザーを高く遠く放り投げた。ピンクの放物線を描いて深い青田の中へと落ちていく。
驚いた少女がぼうっとしているその隙に、車に連れ込もうと永史は手を伸ばした。
だが、少女はすっと息を吸って、
「ピリリリィィピピピピピピリィィィィィピピピピピピピピリィィィィィピピピピピピピリィィィィィ」
と防犯ブザーのような甲高い悲鳴を上げた。
息も継がずに叫び続ける少女に永史は周囲を見廻す。
案の定、悲鳴を聞きつけた村人たちが民家からぞろぞろ出てきた。それぞれの手に鎌や鉈など得物を手にしているのを見て永史は恐怖した。
だが、震え上がったのは鋭利な刃物を見たせいではない。村人たちの姿が異形だったからだ。
剛毛の生えた六本もある腕、同じく剛毛に覆われた顔には真っ黒な多眼がきらめいていた。
少女を諦め、慌てて車で逃亡しようとした永史は突然脚に痛みを感じ、ドアを開ける間もなく地面に突っ伏した。
「い、痛い痛い」
激しい痛みに顔を歪めながら確かめると太腿に少女が喰らいつき、がぶがぶと肉を食んでいた。捲れた前髪から覗く額には数個の黒い目が見えた。
「お、おまえら、な、んなんだ……」
激痛に涙し、匍匐前進しながら脚にしがみ付く少女をもう片方の脚で蹴ろうとしたがうまく出来ない。
喰われている脚は骨が見え始め、出血もひどい。
「なん、だ……なん、なんだよぉ」
「ぎィぃグぁゲェギぃガぁぁ」
意味不明の叫び声で永史は咄嗟に顔を上げた。
目の前まで来ていた異形の、鎌を持った六本の腕が永史目掛けて振り下ろされた。