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恐怖日和  作者: 黒駒臣
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寂しがり

  

  

「はぁ~、ここがもうすぐ我が家になんのか~」

 沙織は半年後に結婚する恭人(やすと)の家を見上げ、感嘆のため息をついた。

 新築ではないが、なんなら築数十年と古いが、賃貸よりは経済的だろうと、彼の母親――未来の義母が提案してくれた。

 新婚早々同居ではなく、彼女は彼女で、まだ子供の世話になりたくないと、同じ独り者同士の親友の家にすでに引っ越し済みである。

 ちなみに相手は女性で高校時代からの親友、どちらも夫を早くに亡くしたという共通点もある。

 古い家は、沙織たちが落ち着き、経済的に余裕が出来たらいずれ建て替えてもいいという許可と、「もっと年とったら面倒見てや」という『未来は同居』の条件を付けられた。

 だが恭人いわく、義母はこの先も自分たちに世話をしてもらう気はないらしい。己の身の周りが出来なくなるほど老いたら、親友と二人、ホームに入ると笑っていたという。

 なんていいお義母さん。もしホームに入らなくても老後はちゃんと見る。沙織はそう心に誓うのだった。

 ぎぃぃぃと門扉を軋ませながら中に入る。

 何も飾られていないアプローチはいつ来ても殺風景すぎるほど殺風景で、沙織は苦笑した。

 恭人も義母も園芸には全く興味がないとのこと。

 数年前に亡くなった義父が盆栽を趣味にしていたらしいが、今は植木鉢だけが塀の内側に乱雑に積み上げられていた。

 沙織は振り返って、他の家々を見渡した。

 向こう三軒両隣、門やアプローチには規模の大小や形の違いはあれど、みなカラフルな花々に彩られたプランターや寄せ植えした鉢が飾られてあった。

 沙織もそれほど園芸に興味があるほうではないが、この家に住んだら玄関先をきれいな花で飾り、新婚の家らしくしようと思った。

 がさりと音がして、その方向に顔を向ける。

 向かいの家の門の内側で男の人がしゃがんでいるのに気が付いた。アプローチに設えた花壇の手入れをしているようだ。

 沙織の視線に気づいたのか、顔を上げた初老の男性がにこりと笑って会釈したので、沙織も同じように会釈を返した。

 お向かいのだんなさんか……初めて見たわ……

 今まで会う機会はなかったが、ここに住めば初中(しょっちゅう)顔を合わせることになるだろう。

 そう考えながら沙織はチャイムを鳴らした。

「うぉーい」と恭人の声が玄関に近付き、がちゃりとロックが外された。

「もうそろそろ合い鍵持たしてぇ」

「そやな。ていうか、おかんもおらんし、もう越してきてもええんちゃう?」

「えー、いいんかな? そのほうがわたしもお家賃助かるんやけど……お義母さんに『まだ早い』て怒られへんやろか?」

「おかんもそんな言うてたで、かまへんやろ」

 というわけで、沙織は結婚を待たずして恭人と一緒に住むことを決意した。


「ただいま~、はぁ~~疲れた~腹減った~」

 恭人がリビングに入ってくるなり、ソファにダイブする。

「おかえり。残業ごくろうさん。晩ごはん温めるわ、ちょう待ってよ」

 沙織はラップをかけてテーブルに置いていたオムライスをレンジに入れ、コーンスープの入った鍋を火にかける。

「沙織も仕事してんのに一人で家事させてすまん」

「ええよ、ええよ。どうせ一人暮らしでやってたもん。適当に手ぇ抜いてるし――それより、帰り待たんと先食べてごめん」

「沙織、食いしん坊やもんな」

 家着に着替えながら恭人が笑う。

「これでも八時まで待ってたんやで」

 九時を指す壁時計を見上げて沙織は頬を膨らませた。

 それを(つつ)いて恭人は声を上げて笑った。

「そらそうと、まだいてた?」

 沙織はテーブルにオムライスやスープを並べながら、少し小さめの声で訊く。

「ん? なにが?」

「お向かいのだんなさん……玄関先で植木いじりしてなかった?」

「おらんかった……ていうより、気ぃ付かんかったけど、なんで?」

 恭人以外誰もいないのに、沙織はもう一段声量を落とした。

「ずっと植木いじってるんよ」

「?」

 キョトンとした目で首を傾げる恭人の顔がおかしくて半ば吹き出しながら小声で説明する。

「日がな一日(いちんち)、お(もて)で植木いじってるんよ。家に入ったらあかんのかい、ていうぐらい」

「そんなん趣味なだけやろ? 俺、子供ん時も今もあんま()うたことないけど、おかんなんか言うてたような気ぃするで。植木好きなもん同士、おとんと気ぃおうてたとかなんとか」

 そう言ってから、ケチャップのハートににんまりしながらオムライスを頬張った。

「せやけど、限度あるやん。夕刊取んの忘れてて、さっきお外出たらまだやってたもん。なんぼ玄関灯点いてる言うても暗過ぎるやろて、心でツッコミ入れたわ」

「別にええやん」

「まあね。迷惑してるわけやないしね……ただの好奇心? よう言うやん、だんなが定年なって家にいてたら、うっとおしいやの、嫁のストレス溜まるやの……そんなで家に入れてもらえやんのか思て……奥さんも見かけたことあるけど、そんなきっつい感じやないのに……」

「ぷっ。気にし過ぎやで」

 米粒をテーブルに吹き出した恭人は慌ててティッシュペーパーで拭いた。

「そいでもなぁ、あんだけ外にいてたら、そんな思てしまうわ。よその家庭事情らわからんし……まあ別にどうでもええけど」

 沙織はそう言いながらお茶を入れて、恭人の前に置いた。

「そうそう()っといたらええんや」

 オムライスの最後の一口を頬張った恭人は猫舌故に冷ましておいたコーンスープに手を伸ばした。


「もしもし、沙織ちゃん。せっかくの休みやのに電話してごめんね。恭人、まじめにやってるか気になってな、我儘言うてないか? ちゃんと尻に敷いとかなあかんよ」

 もうすぐ義母になる恭人の母が沙織の携帯に電話をかけて来た。

 沙織は笑って、

「ありがとうございます。ちゃんとこのでっかい尻に敷いてます」

 と返し、リビングのソファに腰かけた。

 電話の向こうから愉快そうに笑う声が聞こえてくる。

 お互いの近況報告の後、突然義母が声のトーンを落とした。

「そらそうと、あんたらの世話にはならんとかかっこのええこと言うて、その家出たけど……実はねぇ、ちょっと怖かったんよ」

「え? なにがですか?」

「んー……恭人も子供の頃からあんま顔合わせてへんし、もちろんあんたも会うたことないよって係わってけえへんやろし、まあ心配(きづかい)ない思うでこの際言うけど、向かいのだんなさん、一人は寂しいさけ一緒にいこら言うんよ」

 え? きしょ。

 沙織は一瞬で腕に鳥肌が立った。

 なに? ええ年齢(とし)して、お義母さん誘惑してんの? そんな感じの人に見えへんのにマジで? きしょ。

 やっぱ家族から蔑ろにされてるんか……けどなんぼ嫁に()り出されてるからて、普通お向かいの未亡人誘う? どこに行きたいんか知らんけど――そう思いながら、

「それ確かに気持ち悪いし、ほんま怖いですね。旅行に誘われたんですか?」

「え? (ちゃ)うよ」

「ま、まさかっ、ラブホ?」

 沙織は素っ頓狂な声を上げた。

(ちゃ)う、違う。ああそうか、沙織ちゃん知らへんのやな。向かいのだんなさん、もう亡くなってんのよ。お父ちゃん亡いようなって一年ほど後やったかな? そやけうちが怖い言うんわかるやろ?」

 は? お義母さんわたしを怖がらしたいん? ああ笑かしたいんか?

 沙織は質の悪い冗談だと受け取り、電話の向こうでにたりと笑う義母の顔を想像し、

「またまたぁお義母さん、わたし騙されへんで」

 と返したが、「ほんまやって」と真剣な声が返ってきた。

「そやけど、恭くん、そんなことなんも言うてへんかったで」

「丁度その頃あの子仕事忙しかったんで、亡くなったて伝えたけど覚えてないん(ちゃ)うか。元々あんまり近所に感心なかったし。せめて挨拶だけはしてよ、て注意してたけど……隣の奥さんに、お宅の子愛想(あいそ)くせないな、て嫌味言われたことあるわ」

 恭人がご近所事情をあまり把握できていないことは沙織にもわかった。

 わかったけど、ちょ待って。わたしあのだんなさんと何回も会釈交わしてるで。

 無言の沙織を気にもせず、義母は話し続ける。

「そやけ、旅行やラブホやないんよ。あの世や、あの世へ一緒に逝こう言われたんや。そんなん連れて行かれたないやん。ほんま(そこ)から出てよかったわ……

 あ、さっきも言うたけど、あんたら係わってへん人やから心配せんでええで――ていうか、いらんこと言うてごめんな。ほな、また」

 気まずくなってきたのか、沙織の返事も待たずに電話は切れた。

 ほんまにお義母さんの冗談(ちゃ)うの……

 沙織は携帯電話を握りしめ呆然としたままソファに座り込んだままでいた。

 ピーーンポーーン。

 やけに間延びした音でインターホンが鳴る。

 なぜか背筋に怖気が走った沙織は息をひそめてソファから立ち上がり、リビングから廊下へ顔を出した。

 その先にある玄関の、扉の片袖ガラスに(にじ)んだ影が動いている。

 ピーーンポーーン。

 返事をせず、忍び足で玄関まで来た沙織はガラスに映らないよう注意しながらドアスコープを覗いた。

 ひっ。

 思わず声が出そうになり、口を手で押さえる。

 向かいのだんなさんがそこにいた。

 ピーーンポーーン。

「おくさぁぁんさみしいさけいっしょにいこらよぉ」

 くぐもった声が頭の中に響いた。



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