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恐怖日和  作者: 黒駒臣
102/132

一本又峠【山路譚】

  

  

                 1


「これからお前の歓迎会開くから」

 パソコンに向かう充明の肩を浜西が勢いよく叩いた。

「えっ、これからっすか? 僕まだ仕事残ってるんすよ、っていうか、なんで? もう三か月経ってますよ。いいっすよ。今さら」

「バーカ。課長が(おご)ってくれるからだよ。俺はな、お前の歓迎会を開こうと課長に三か月粘りに粘って頼み込んだんだよ。どうだ、この先輩の愛情」

「いやいや課長にたかって愛情もくそもないですよ。先輩がただ酒飲みたいだけっしょ」

「がはは。そうかもな。

 ってわけで、仕事が終わったらすぐ来なさい。はい、これ」

 浜西が社用車のキーを差し出した。ストラップにしては大きすぎる編みぐるみのクマがぶらぶらと揺れている。

「仕事終わってからって――あのう、僕の歓迎会なんすよね? みんな先に行くって、僕も終わっちゃあいけないんすか? しかも車で来い? じゃお酒飲めないじゃないっすか。それとも帰りは誰かの運転で送ってくれるんすか?」

「うん。アルコールだめのてっくんとふうちゃんが自車でそれぞれ俺らを送迎してくれることになってる。

 あ、でも君はこのおんぼろ軽のバンちゃんで来て、帰りもバンちゃんに乗って帰る」

 浜西が目の前で、再度キーを揺らす。クマの呑気な顔が腹立たしい。

「で、車は明日の朝会社に乗って来れば万事OK! ちゃんと課長に話つけてるから、無断借用じゃないよ、安心して!

 ってことで、じゃっお先!」

 開いた口が塞がらない充明と社用車のキーを置いて、浜西はさっさと行ってしまった。

「何が先輩の愛情だぁ」

 叫んでいると浜西が戻ってきた。

「あっ、そうそう、はいこれ、居酒屋の地図。お前まだここにきて日が浅いから道も店もわからないだろ? 

 安くておいしいお店って隣町にしかないから、ちょっと遠いんだよね。だから最短の近道描いといたから」

 折りたたんだ紙を机に置くと今度こそ本当に行ってしまった。

「もーっっ」

 頭をぐしゃぐしゃと掻いて充明はキーボードを乱暴に打ち始めた。


 小林充明が勤務する総合アパレルメーカーの支社は山間部の小さな町、鬼志谷町にあった。

 本社はビルの立ち並ぶ県庁所在地にある。

 充明は難関を突破しそこに籍を置いていたが、上司の失敗を押し付けられ、夏休み明けに支社に飛ばされた。

 怒りに任せ辞表を叩きつけてやろうかと思ったが、仕事がなければ生活ができない。苦労して入った会社だ。やめさせられないだけマシだと思うことにした。

 (きし)んだ心はなかなか元に戻らず、しばらく人間不信に陥っていたが、鬼志谷町にきて心の平穏を少しずつ取り戻した。

 この町の人はみな親切だった。初対面でも気さくに声をかけてくれ、困った時はお互いさまとすぐに助けてくれる。

 支社の社員たちも浜西を筆頭に、多少口さがないところもあるが、アットホームな雰囲気で出世争いや派閥などもここにはない。

 無駄なストレスがないだけでこんなにも仕事が楽しいとは、本社で過ごした日々は何だったのか。

 ここにきてよかった。

 心からそう思っていた。


                 2


 業務をすべて終え、戸締りをし、バンちゃんと呼んでいる社用車に乗ってキーを回す。クマが揺れて膝に当たる。

「もう邪魔だな」

 素朴な顔をした編みぐるみは手芸が得意なみんなからふうちゃんと呼ばれている事務員の岩城楓子の手作りだった。五台ある社用車のキーにすべてつけられ、ほかにはタコ、イヌ、ネコ、カッパがあってどれもそこそこ大きい。

 以前キーの紛失者がいたので、防止のために大きなストラップを作ったらしい。車を利用する者みな口に出さないが、きっと全員がこれを邪魔だと思っているに違いない。

 好意でしてくれているのだから文句は言えないが――

 充明は苦笑いを浮かべ、バンちゃんを発進させた。

 浜西にもらった紙を片手で広げる。A5のコピー用紙にフリーハンドで大雑把な地図が描かれていた。

 会社前の二車線の道を左に折れ、二つ目の信号までの赤ラインを確認すると助手席に地図を置き、スピードを上げた。

 一つ目の赤信号で止まると再び地図をチェックした。

 次の信号を右か――

 赤ラインは簡素な山の絵に続いていた。くねくねの山道に赤色が走っている。てっぺんあたりに一本又峠と記されていた。

 信号が変わり、次の信号まで進む。対向車どころか先行車も後続車もない。

 時計の表示を見ると午後七時を過ぎたところだった。

 まだこんな時間なのに空いてるなんて――さすが田舎道だな。

 次の信号は赤にかからず、ウインカーを出して順調に右に曲がった。

 ヘッドライトに浮かぶ紅葉の隙間から案内標識が見える。

『一本又峠

  本路町 ↑』

 その下に一車線の道がまっすぐ伸びていた。


                 3


 峠道の幅員は対向できるぎりぎりの広さしかなく、街灯も少なくてとても暗かった。

 点在する民家の明かりも山に上がるにつれ見えなくなった。

 いったん路肩に止め、室内灯で地図を確認する。

 山の左横には本路町と書かれ、山を抜けた赤ラインはそこに向かう直線の道に重なっていた。

 信号マークを二つ越え、三つ目の信号で左折、そこから『500mぐらい走る』と走り書きされ、店の名前とそれを囲む赤い二重丸にたどり着く。

 山のカーブきついだろうな。おんぼろバンちゃんで辿り着けるかな。

 充明は急に不安になった。運転は得意なほうではないし、暗い山道を走ったこともない。

「まっ、注意しながら行けばいいか。道筋はわかりやすいし、こんな峠じきに越えるだろ。

 よしっ」

 ぱんっと太ももを叩いて気合を入れ、バンちゃんを発進させた。

 暗い道を慎重に走らせながら、そう言えば一本又峠にはなにやら謂れがあったなと、てっくんこと鉄井が話していたことを思い出す。

 この町に伝わる都市伝説らしく、その手の話が大好物な鉄井に、ここに来たばかりの頃、怖い話を知らないかしつこく訊かれた。そういうものに興味がないことを告げると残念そうな顔をしたが「じゃ、聞いて」と、得意げに地元の都市伝説を話し出した。それが一本又峠の怪だった。



 町が鬼志谷村と呼ばれていたはるか昔、流れ者が村に入り込んだ。

 よそ者を受け入れない村人たちが男を追い払い、村を出て行くまで監視していたのだが一本又峠で姿を見失ったという。峠を越えた様子もなく、村に戻ってもいない。峠には化け物が出るという噂があったので、みな男は喰われたのだと思った。

 だがその後、村の某が峠で男を見かけた。何となく不気味に感じ、距離が離れていることをいいことに黙ってその場を離れた。帰ってそのことを伝えると、村一の豪傑が自分たちの目をごまかして山に住み着いていると怒りだし、鉈をもって峠に向かった。

 だが、いつまで経っても帰ってこない。心配して探しに行った身内の者が峠の入り口でよだれを垂らしぼんやりしている豪傑を発見した。何があったか問うと、峠であの男らしき姿を見かけ、こっちへ来いと怒鳴りつけたらしい。

「あいつはえらい速さで走り寄ってきて、ほっかむりした顔をぱっと上げたんじゃ。その顔が、その顔がああああ――」

 そのまま発狂したという。



「――っていう都市伝なんだけど。

 だから、峠に誰かいても声をかけちゃいけない、気づかれないようにそっと逃げろって、今でも伝えられてるんだよ。

 この町では誰か精神病んだりすると『峠で呼びかけてきた男の顔を見た』って言われる。狐憑きとかと同じ系統なんだろうね」

 と、鉄井は締めくくった。

 どこにでもあるよな。そんな話。

 だんだんきつくなるカーブにうんざりしながら、ふんと鼻を鳴らす。

 ヘッドライトに浮かぶ赤や黄色の紅葉が少なくなり、蔦の絡まる荒れた雑木林が徐々に広がってきた。


                 4


 カーブはさっきから上りばかりでいっこうに下りにならない。

 とうとう街灯が一基もなくなり、真っ暗な山道はバンちゃんのヘッドライトだけが頼りになった。

「おいおいおい。先輩の地図、間違ってないよな」

 地図には一本道しか描かれていなかった。実際に脇道なども見ていないし、本道から逸れたという覚えもない。

 これで正しいのだ。

 そう思うことにしてしばらく走ったが、峠を抜けるどころかどんどん上がっていくばかりで、周囲の雑木林はますます深くなってくる。

 適度な感覚で配置されていた小さな案内標識も今は全く見かけなくなっていた。

 やっぱり自分が気づかなかっただけで脇道に迷い込んだに違いない。

 充明は車を止めた。

「いったいどこでどうなったんだよ。もうっ」

 こんなところで嘆いても仕方がなく道を戻るしかないが、余裕でUターンできる広い場所もない。

 この先にあるとも思えず、よしっここでやってみようと決心した。やってやれない幅員ではない――自信はないが慎重に切り返しを繰り返せばきっとできる。

 充明はゆっくりハンドルを操作し始めた。

 だが、真っ暗なうえにガードレールのない道での切り返しはやはり怖かった。何度も右へ左へハンドルを切り返すも、結局、焦るばかりで方向転換できず、さらに道と雑木林との間の側溝に脱輪させてしまった。

「うそだろっ」

 ばんっとハンドルを叩いて項垂れる。

 ちょっとぐらい遠回りでもいいから、峠越え以外の道教えて欲しかったよ――

 浜西の顔を思い浮かべ恨みに思った。

「もう帰りたい」

 連絡を取ろうにもスマホは圏外で使用できない。

「今時使えない場所なんてあんの? ここどんだけ山奥なんだよ。おかしいだろぉ」

 鼻をすすりながらダッシュボードを探り、小さな懐中電灯を取り出す。

 車から降りても電波の状況は変わらなかった。とりあえず光を当てて車を調べる。

「あーあ」

 左前輪が側溝にがっちりはまっていて一人ではどうにもできそうにない。

 車が通らないか数分待ってみたが、一台も来ることはなかった。

「寒っ」

 冷気がスーツにしみこんでくる。

 とんでもない道に迷い込んでしまったな。ずっとここにいたら凍死? 

「はは、まさか」

 ぞくりとした。

 通勤に使用しているオレンジ色のマウンテンパーカーを取り出すと着用し、しっかりファスナーを締めた。

 歩いて戻るつもりだった。

 ポケットに財布とスマホを入れる。歩行の負担になるのでバッグは置いておく。

 車にキーをかけてから、このまま放置して通行の妨げにならないかふと不安になった。だが、懐中電灯に照らされた道に積もる古い枯葉の上には(わだち)は見えない。頻繁に車が通らないということだ。

 まだ、もう少しここで待機しているべきかと迷いもあったが、これで吹っ切れた。

「おお寒っ――」

 すっぽりフードを被り、充明は来た道を下り始めた。


                 5


 ポケットからはみ出したストラップのクマが歩調に合わせぶらぶらと揺れる。

 やっぱ邪魔だな。

 だが、ただの編みぐるみでも今は共に歩く心の支えだった――

 もと来た道を引き返しているはずだった。間違えないように注意して歩いていたのだ、少しのアップダウンはあっても基本下っていないとおかしい。なのに、いつの間にか道は(のぼ)りばかりになっていた。

 何度かスマホの電波を確認したがいまだ届く場所に出ない。なので助けも呼べない。

 充明は自分が登山の上級者コースに迷い込んだハイカーのように思えた。

「ここってそんなに高い山じゃないよな。何でこんなことになるんだろう」

 そう独り言ちたあと、急に鉄井の都市伝説が頭に浮かんだ。

 うわ、こんなところでやなこと思い出した。

 もし不審な男がいたらどうしよう――って、そんなバカなことないか――いやわからんぞ。あり得るかもしれない――

 あーだめだ、だめだ、こんなこと思ってちゃだめだ。もう忘れよう――はい、全部忘れた。 

 真っ暗い山中は時間の感覚がおかしくなるのか、スマホを確認してもまだ八時台なのにまるで深夜のようだった。とりあえず時間が時間なので、ひとまず安心したが迷った道からいつ出られるのかさっぱりわからない。

 先輩たち、遅いんで心配してるかな。今頃飲んだり食ったりして僕のことなんか忘れてるんじゃないの? 

「僕の歓迎会でしょぉ。誰か気づいて助けに来てよぉ」

 充明は白い息と一緒に泣き言を吐いた。

 前方を照らしていた懐中電灯の光の環が突然闇に吸い込まれた。

「な、なんだ?」

 慌ててぐるりを懐中電灯で確かめる。レンガが囲んでいるのが見え、その闇がトンネルの入り口だとわかった。

 扁額には右側から『一本又峠隧道』と書かれていた。

「やっと峠に来た? ってことは、地図通りに戻ったってことか? じゃ、ここから隣町まで歩けばいいのか。よかった――って、いったいどんだけ時間がかかるんだよっ」

 膝が崩れ落ちそうになるのを踏ん張って充明は頬を叩き、深呼吸すると「仕方ないっ。もう少しだ、がんばろっ」と、暗い穴に踏み込んだ。


                 6


 暗く湿ったトンネルは山の中よりも薄気味悪かったが、それほど長くはなく、上りから下りに変わると出口が見えてきた。半円の向こうがきらきらと光っている。

 それを見て出口に向かって走った。

 トンネルを抜けると宝石をちりばめたような光輝く町が左側の眼下に広がっていた。

 これほどきれいな夜景を今まで見たことがなかった。

「よっしゃぁぁぁ」

 光を目印に坂道を下る。

 だが、町の光は下っていくにつれ木々に隠れ始め、完全に見えなくなってしまった。

 それでもこの道を下り続ければ地図に記された道に出るはずだ。きっと目印の信号もあるに違いない。

 そう信じ、充明は雑木林に挟まれた道をひたすら下った。


 ところが気が付くと再び山中に迷い込んでいた。

 アスファルトの車道を下っていたはずなのに、今は樹海のような深い雑木林を彷徨っている。もう町の方向がどっちだったのかさっぱりわからなくなっていた。

「なんなんだよぉ――なんなんだよぉ――」

 折れた枝や飛び出た根っこに足を取られ転びながらも、充明は懸命に歩いた。

 電池が切れて懐中電灯の光が消えた。暗闇の中を一歩も進めなくなりしゃがみ込んだ。スマホのライトを使いたいが、電波が届く場所に来るまでバッテリーを消耗させたくなかった。

 あまりの寒さにフードの紐を締められるだけ締めて顔を隠し、時々服の上から腕や腿を激しく擦った。両手の平で鼻と口を囲み、はあと息を溜めて冷たくてもげそうな鼻も温めた。

 暗闇に目が慣れてくると、思いのほか周囲が見えることに気づいた。ぼんやりとだが歩けないことはない。

 立ち上がった充明はゆっくりと歩を進めた。

「あっ」

 走行音が聞こえる。

 少し先の木々の向こうからちらちらと光が近寄って来た。

 車だっ。あのあたりが車道なんだ。

 枝を散らし、枯れた倒木につまずきながらヘッドライトを目指して走った。

 間に合ってくれっ。

 車道に飛び出すと大きく両手を振った。

 目の前で車が停止する。

 急いで運転席側に近づき、不審者に思われないよう笑みを浮かべて会釈し、

「すみません。道に迷った者ですが――」

 開けてくれるのを待たず、息を弾ませて窓を覗き込んだ。

 ドライバーが身動きもせずにこちらを見つめている。その顔が浜西に似ていた。

「あれっ先輩? 探しに来てくれたんですかぁ」

 充明の目に涙が浮かんだ。

 やっぱり浜西さんはいい人だ。

 だが雰囲気が少し違う気がする。なんとなく老けているような――兄弟か親戚なのか?

 確かめるためガラスに張り付いた。

 するとドライバーの顔がみるみる歪み、裂けるほど大きな口を開けて悲鳴を上げた。

「あ、やば。やっぱり先輩じゃなかった――

 すみません、怪しいものじゃないです。道に迷ったんです。乗せてって下さい」

 懸命にガラスを叩く。

 しかし車はいきなり発進すると、止める間もなく猛スピードで道を下っていった。

 充明は再び暗闇に取り残された。

「なんでだよぉ」

 肩を落としてふらふらと車の跡を追いかける。

 子供のように声を上げて泣きながら、そのまましばらく歩き続けた。

 我に返るとまたもや暗い雑木林に迷い込んでいた。


                 7


 浜西が精神を患って入院してからひと月が経った。

 鉄井は不謹慎だと思いつつも心が弾むのを抑えられなかった。発病が峠を通った後だと知ったからだ。

「絶対、一本又峠の怪だよな」

 ふうちゃんと噂話をしていると、横を通った課長に頭を小突かれた。

「馬鹿なこと言うな」

「でも課長。きっと峠は関係してますよ。小林さんもあそこでいなくなったし」

 小林はトンネルの少し手前でバンちゃんを側溝に脱輪させていなくなっていた。

「あのな、鉄井。小林は左遷させられた悩みから失踪したんだ。あいつがミスしたわけじゃなかったのに――

 本社で問題になってたろ。自分の失敗を部下に(なす)りつけたやつのこと。小林ももうちょっと我慢していれば本社に戻れたかもしれんのに――

 しかし、いなくなって何年経つんだ。五年か、六年か――」

「七年ですよ、課長。わたしのクマちゃん持ったまま」

 ふうちゃんがデスクに緑茶の入った湯呑を置く。

「そうか。もうそんなに経つか――」

 課長が深いため息をつき、茶をすすった。

 だが、鉄井はいまだに充明が自ら失踪したのではないと思っている。

 小林さんには身辺を整理した様子も書置きもなかった。支社に来た当初ならともかく、あの頃にはもうみんなと仲良くやっていたから思い悩んでいたとは思えない。

 バンちゃんが脱輪したんで歩いて峠を越えようとしただけだ。きっとそこで何かが起こったんだ。

 そう課長に何度も言ってみたが聞いてくれなかった。鉄井の説が都市伝説に由来しているので子供じみた話だと相手にしてくれないのだ。

 どこかで自殺している。はっきりと口にしないが課長はそう思っているのだろう。

 だが、鉄井は自分の説を信じていた。

 今現在ネットで飛び交う『一本又峠の男』の目撃情報。

 クマの人形をポケットからぶら下げたオレンジ色の男が雑木林の中に立っているという。

 小林さんは同じ色のパーカーを持っていた。人形はふうちゃんのだろう。

 きっと浜西さんは一本又峠の男になった小林さんの顔を見てしまったんだ。


                 *


「いったいここはどこなんだ? 早く行かなきゃ、僕の歓迎会だ。先輩たちきっと待ってる」

 充明は膝まで埋まる下草を踏み分けてますます深くなる雑木林を歩き続けていた。

 立ち止まってスマホを確認する。相変わらず電波は入ってこない。

 時間の表示はさっき先輩に似た人の車に逃げられてから数分しか経っていなかった。

「あれからずいぶん歩いたと思うけど――山の中はやっぱり時間の感覚がへんだな」

 なんだかおかしくてくすくす笑っていたが、微かな走行音が聞こえてきて顔を上げた。

 ヘッドライトの光が木々の間から見え隠れしながら近づいてくる。

「おーい。おーい」

 充明は大声を上げ、車に向かって走り出した。


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