第9話
ランドーガ家の夜会に参加することになったアシュリーは、久しぶりにドレスアップすることになった。ジェラルドとのトレーニングを終えた後、自室に戻ったアシュリーは侍女と一緒にドレスを確認する。
「相変わらずドレスのデザインが酷いわね……」
誕生日に着用したドレスはもちろん、それ以外のパーティ用ドレスも胸元はあいているが、身体のラインははっきりと出ないデザインのドレスばかり。これでもパーティ用のドレスは日常用のドレスと違い、少しは美しく見えるようより細密にアシュリーの体型に合わせて作られている。しかしながら、今の流行と大きく異なるドレスに違いはない。アシュリーはやはりため息がこぼれてしまう。
夜会に行けばトレンドを取り入れた美しいドレスをたくさん見ることが出来るであろう。特に今回のランドーガ家のパーティは参加者の多くが新興勢力になるだろうし、よりトレンドを意識した高価なドレスが場内を占めるはずだ。その中でこのデザインは……。良くも悪くも目立つ。目立ちすぎる。
行きたくないと思うが、ジェラルドに行くと返事をしてしまった手前、アシュリーは諦めて誕生日で着用したドレスを着ることにした。手持ちの中では、まだトレンドを意識している方だ。
侍女に手伝ってもらいながらドレスを着ていく。コルセットでどうにかなる太さではないので、締め付けはほどほどにしてもらうのがアシュリースタイルであった。心得ている侍女は何も聞かずにいつも通りの締め付けをする。全力で締め付けないので簡単に終わり、ドレスのボタンを閉めていく。
いつもと同じ動作、流れなのに、何かがしっくり来ない。
もしかして、緩い……?
「ねぇ、カリスタ……」
アシュリーは困惑しながら侍女のカリスタに呼びかけると、同じように困惑した声が返ってきた。
「お嬢様……」
どうもカリスタもしっくりきていないようだ。
「コルセット、いつもより厳しく締めたかしら……?」
万が一の可能性を考え、確認をする。ぬか喜びはしたくない。
「いいえ、そのようなことは……」
カリスタは戸惑いながらも可能性を否定した。
これは、もしかしなくても……。そう思ったアシュリーは一つの答えにたどり着く。
「私……、や、痩せたの……?」
たどり着いた答えは、アシュリーにとって信じられないものだったため、声は震え、疑問形になってしまう。毎日自分の姿を鏡で見ていたアシュリーは、自分の体型は変わっていないのだと思っていた。
「お嬢様、恐らく……。改めて考えると、以前と比べてコルセットの紐も余った部分が長くなったような……」
カリスタも自信なさげに答える。カリスタにとっても衝撃的だったのだ。
驚くべき事実に困惑していたアシュリーだったが、じわじわと実感が湧いてくる。これまでの食事制限とトレーニングは無駄ではなかったのだ。鏡では分からない変化を、一ヶ月前に着用したドレスが証明してくれている。
毎日着ている日常用ドレスは動きやすさも考慮されている。そのドレスでは気づけないほどの僅かな変化。しかしながら、アシュリーにとってその変化は大変、誠に、心から意義のあるものであった。
アシュリーが過激なダイエットを行い、倒れてしまったことも知っている侍女のカリスタも嬉しかったようで、二人は一緒になって喜んだ。努力は報われるのだ。これからも頑張ろうとアシュリーは決意を新たにした。
この嬉しい情報を共有したかったアシュリーは迎えに来たジェラルドにすぐ報告をすることにした。
ジェラルドの到着を聞いたアシュリーは玄関で待つジェラルドのところへ急いで向かう。夜会に向け正装したジェラルドはアシュリーを見つけると嬉しそうに手を振った。いつものボロボロの手袋ではなく、白い綿の手袋だ。初めてちゃんと見るジェラルドの夜会用の正装姿に、アシュリーは報告したい気持ちをすっかり忘れて、立ち止まってしまう。黒のジャケットはジェラルドが持つ栗色の髪とキャラメル色の瞳にマッチし、普段と比べて凛々しく見えた。
――――騎士の制服姿も見てみたい。
きっと素敵だろう。いつもの優しい笑顔よりも、指導してくれる時の真剣な表情が似合うはず。
「……アシュリーちゃん?」
変なところで急に立ち止まったアシュリーにジェラルドが声をかける。アシュリーは妄想を止め、慌てて歩みを再開した。
「ごめんなさい、ジェラルド様。お待たせしてしまいましたね」
「全然待ってないよ。それに、女性を待つのは紳士の務めだしね。よし、じゃあ、行こっか」
ジェラルドが片手を差し出してくれたので、アシュリーはそこに手を重ねる。
歩きながらジェラルドがドレスのことを「そのドレス、やっぱりいいね。アシュリーちゃんに似合ってて好きだよ」と褒めてくれたので、お礼と共にサイズが合わなくなったことを報告した。
「本当に! アシュリーちゃんが頑張ったからだね!」
破顔したジェラルドは何故かアシュリーの両手を自身の両手で包み、上下に激しく揺らした。アシュリーはそのジェラルドの喜びっぷりに少し驚いたものの、嬉しく感じた。アシュリーの身に起きたことをまるで自分のことのように感じてくれる人なんて、先ほどのカリスタを除いて家族以外誰もいなかった。
「ジェラルド様のおかげです。ジェラルド様が支えてくださるから、継続して運動をすることができましたし、食事も調整できました」
「俺は大したことしてないよ。アシュリーちゃんの殿下を思う真摯な気持ちが、今のアシュリーちゃんを作ったんだよ。俺は少しお手伝いしただけ」
「いいえ、それは違いますっ!」
謙遜するジェラルドにアシュリーは間髪入れずに否定する。確かにアルフレッドへの気持ち、アプロへの復讐心、断罪への憧れは原動力だ。とはいえ、自堕落なアシュリーは一人だけでは楽なほうに流れようとしてしまう。何もかも諦めていただろう。ジェラルドと一緒に取り組んだことによって、責任を感じるようになり、毎日継続してトレーニングすることができたのだ。
「殿下への気持ちも確かにありますが、継続して行えるかは別の問題。あの日、ジェラルド様からご提案をいただけなかったら、今日のドレスは変わらずピッタリだったと思います」
簡単に想像できる。「散歩は運動。これだけで十分だ!」と言い聞かせ、それ以外の運動はせず、甘いハードルしか設けないくせに、途中で嫌になって終わってしまう自身の姿。自分で断言するのも情けないが、間違いなく1ヶ月は持たないだろうとアシュリーは思った。食事だって、フィルエンドのオススメ攻撃に耐え切れず、色々なものを適量以上口にしていただろう。
「この変化が一歩に過ぎないことは重々承知です。でも、今までは増えていく一方だったので、とっても嬉しくて……。ジェラルド様、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
キャラメル色の瞳を見つめながら、アシュリーは改めてジェラルドに感謝の言葉を述べた。
「アシュリーちゃん……。うん、こちらこそ、これからもよろしくね。殿下の心からの感想をいただけるよう、一緒に頑張ろう。きっと上手くいくよ。大丈夫!」
ジェラルドの明るい言葉にアシュリーは満面の笑みを返した。
朗らかな気持ちのまま侯爵家の馬車に乗り込む。いつも通り、ジェラルドはアシュリーが乗る際に手を差し伸べてくれた。
気が進まなかった夜会も、今のテンションならなんとかなりそうだ。興奮さめやらぬまま、アシュリーは会場に向かった。