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成功者の元に集いし蝶たち

 授業が終わった放課後、アシュリーは一度自分の部屋に戻り、着替えてから寮の玄関前にきていた。


 時間をかけて丁寧にストレッチを行った後、アシュリーは深呼吸を一つする。



「放課後も走る私は偉い」



 いつも通り自分自身を鼓舞すると、アシュリーはゆっくり走りだした。


 週に一度のマーガレットとサラとのお茶会を除いた日以外、基本、アシュリーは放課後一人で走ったり、筋トレを行っていたりしていた。他の生徒はサークル活動に勤しんでいるようだったが、アシュリーはどこにも属していなかった。


 学園での生活は一年だけなので、既存の団体や先輩後輩は存在せず、各々が一からコミュニティを作り上げていた。人数が増えた場合は生徒会に申請を行って、正式な団体として活動することができた。


 一から作り上げる、と言っても定番のスポーツや趣味のコミュニティは毎年正式な団体として登録されるので、入学前に卒業生から引き継がれる場合も珍しくは無かった。


 アシュリー自身もサークル活動には興味があったが、挨拶回りで不在だった期間中にほとんどのサークルが立ち上がってしまい、参加する機会を逃してしまっていた。出来上がった輪に入っていくほどの社交性を持ち合わせていないアシュリーは、どこにも属さないまま今日も一人で走るのだった。




 ある日の放課後、今日は走るルートを変えて講堂付近に行こう、などと考えながらアシュリーはストレッチをしていた。人の通りが少ないので走りやすいし、目立つこともないだろう。距離が短いが周回すれば問題はない。


 いい感じに身体が解れたアシュリーはお決まりの言葉を口にする。



「継続している私えら――――」



「あのっ! アシュリー様!」



 言い切る前に、背後から名を呼ばれる。突然の呼びかけに驚くのと同時に、自分を鼓舞していたのが知られたのではないかと冷や汗が流れる。流石に誰かに聞かれるのは恥ずかしい。


 恐る恐る振り返ると、そこには全盛期のアシュリーには及ばないものの、それなりの恰幅をお持ちの女子生徒が一人立っていた。制服のジャケットは今にも弾けそうだった。アシュリーの数少ない知り合いの誰とも顔が一致しない。



「突然ごめんなさい。私、アシュリー様とどうしてもお話したくて……!」



「あの、ごめんなさい。どなたかしら……?」



「あっ! そ、そうですよね。私ったら、とんだ失礼を。ロッティ・フィントップと申します。父はフィントップ男爵の位を授かっております」



 慌てながら喋るロッティはそのまま言葉を続ける。



「おこがましいのは重々承知で、アシュリー様にお願い事がございまして、その、一緒に走っていただけませんか。ご迷惑にならないよう努めますので……!」



 そういうとロッティは勢いよく頭を下げた。その様子を眺めながら、アシュリーは困惑していた。言葉は理解できたものの、目的や意図が理解できなかった。一緒に走りたい、ということは彼女も痩せたいのだろうか。それとも何か違う理由があるのだろうか。それに、何故、自分なのだろうか。


 真意を掴めず、どう返したらいいものかと悩んでいると、ロッティはそれをお断りと判断したらしく、顔を下に向けながら、慌てた様子で手を振り始めた。



「ご、ごめんなさい! そうですよね。初対面の人間にいきなり言われても困ってしまいますよね。その、失礼しました」



 なんだか勝手に話が終わってしまいそうなので、アシュリーも慌てて疑問を口にする。



「違うの。その、どうして私なのか気になってしまって、すぐにお答えできなかったの」



「アシュリー様は私にとって憧れの存在なんです!」



 アシュリーの疑問にロッティはすぐさま嬉しそうに答えていく。



「半年で見事に美しくなられて……。私も痩せたいと思っているのですが、なかなか上手くいかなくて。それで、アシュリー様の真似をすれば、少しでも痩せられるかなと……」



 眉尻を下げていうロッティを見つめながら、アシュリーはまるで昔の自分を見ているような気分を味わっていた。痩せたいのにうまくいかない。このもどかしさは痛いほど分かる。



「そうだったのね。特別なことは何も教えられないけど、それでもよければ私は構わないわ。本当に、教えられることなんて何もないのだけれど……」



 念のために繰り返し伝える。アシュリーはダイエットのプロでもないし、栄養管理のエキスパートでもない。ジェラルドみたいな指導だって出来やしない。教えられることなんて、何一つなかった。



「アシュリー様と一緒に走れるだけで嬉しいです! 私、今日は準備が出来ていないので、明日からよろしくお願いします!」



 満面の笑みを浮かべながらロッティは頭を下げた。


 次の日の放課後、宣言通り現れたロッティと共にストレッチを終えた後、アシュリーはゆっくり走り始めた。ロッティもその背中についていく。


 徐々にスピードを上げていくと、最初はついてこれていたロッティとの距離がどんどん生まれていった。ロッティは普段、あまり運動をしていないのだろう。ついには明確な距離が出来てしまった。アシュリーは心配になってロッティのところまで戻る。思っていた通り、息が途切れ途切れで限界に近そうだった。



「フィントップさん、少し休みましょう?」



 アシュリーの提案に無言でロッティは頷く。幸いなことに近くにベンチがあったので、そこに二人は腰かけた。



「あのね、私のペースに無理に合わせることはないと思うの。私なんて、最初は長時間歩くことから始めたし……。フィントップさんにはフィントップさんに適したペースがあると思うわ」



 なるべく優しい声で語りかけたアシュリーに、ロッティは返事の代わりに何度も頷いた。まだ息が整っていないようだった。昔の自分を見ているようで懐かしくなりながら、アシュリーは暫く横にいるロッティを見守った。


 アシュリーはアシュリーの速度で、ロッティはロッティの速度で再び走り始める。並走ではないものの、寮から講堂にかけてを周回するコースなので、並走のように重なるタイミングが何度か発生した。その都度、アシュリーはロッティに声をかけ、お互いを鼓舞しあった。アシュリーにとっても、ロッティにとってもそれは励みになった。人と一緒にトレーニングするのも悪くはない。


 走り始めてから一時間が過ぎた頃、アシュリーはそろそろ終えることにした。寮まで走り切り、呼吸を整える。暫くするとロッティが遅れて寮の前を通り過ぎたので声をかけた。



「私はもう終わりにしようと思うのだけれど、フィントップさんはどうかしら?」



「私も、今日は、終わりにします……っ!」



「ええ、それがきっといいわ。一緒にストレッチをして終わりにしましょう」



 アシュリーはロッティと一緒に丁寧に運動後のストレッチを行う。終わる頃にはロッティの息も整っており、会話をすることができた。



「アシュリー様、凄いですね。これを毎日だなんて……」



「慣れればフィントップさんも出来るようになるわ。私なんて、最初の頃は歩くのを毎日続けるだけで心が折れそうになったんだから」



 アシュリーの実体験に基づいた発言に、ロッティは安堵の笑みを浮かべた。



「正直、苦しいな、止めたいなと走りながら思っていました。アシュリー様も似たような経験をお持ちだったんですね」



「動かずに済むように生きていたから、始めた当初は大変だったわ。支えがなかったら、絶対に途中で諦めていたと思うの。フィントップさんは私と違って今の段階で走れているし、そのうちもっと身体を動かせられるようになるわ」



「アシュリー様……。あの、明日もご一緒していいですか? もう少し、続けてみたくて……」



「ええ、もちろん」



 アシュリーは満面の笑みで答えた。


 それからアシュリーはロッティと一緒に放課後を過ごすようになった。アシュリーに予定が入っても、ロッティはサボることなくトレーニングを行い、自分なりに頑張っていた。そんなロッティの存在は、アシュリーにとって刺激となり、毎日新鮮な気持ちでトレーニングを行うことができた。


 なんだかんだ人と一緒に行動するのも悪くはない、なんて思い始めていたアシュリーのもとに、再び一緒にトレーニングがしたいという女子生徒が現れた。ロッティほどではないがふくよかな生徒で、好きな男子生徒を振り向かせるために痩せたいとのことだった。断る理由もないので、ただ運動をするだけだと説明し、アシュリーは彼女を受け入れた。


 それから少し経つと、また違う女子生徒が参加したいとアシュリーに申し出てきた。どうやらこの集まりが巷で噂になっているらしい。各々がそれぞれ自分のペースで運動をしているだけだと説明するも、それが良いとのことで、また新しいメンバーが増えた。


 それからもどんどん参加を希望する女子生徒が現れ、気がついたらアシュリーを含めて9人の集いになっていた。アシュリーを除いた8名は、差はあるものの皆ふくよかだった。


 人が増え、勢いが増していくこの集まりは、アシュリーの気持ちとは裏腹にどんどん学園に広まっていく。



「レディ・アシュリー、最近楽しそうな活動をしていると聞いたよ。新しい団体に、既存の団体は厳しいから、もし困ったことがあったら遠慮なく相談してくれ。役に立てると思う」



 警備中のイードンとすれ違った際には、朗らかな声で激励のメッセージをもらったり……。



「アシュリー様、聞きましたよー! 皆で楽しくトレーニングしてるって。もうそろそろ正式な団体として認めてもらえる規模らしいですねっ。申請書、用意しなきゃいけませんね! 私も今度混ぜてくださいねー!」



 お茶会の際には、サラにもこの集いのことを触れられてしまう始末だった。


 いよいよアシュリーは焦った。気楽なこじんまりとした集まりだと思っていたのに、いつの間にか、皆の視線を色んな意味で奪う刺激的な団体になってしまった。そもそもボリューミーな体型がここまで揃うと、圧が凄いのだ。これは些か目立ち過ぎている。それにこの人数になると、サラの言う通り、生徒会に申請をして正式な団体として登録する必要がある。


 確かにサークル活動に憧れはしていたが、それは誰かが軸になっている団体にお邪魔するのが前提であり、自分が旗を掲げる気など一切なかったのだ。


 自分の身体ですらままならないのに、人様の身体まで預かるのは無理だ。全員に集まりの趣旨を説明してはいるものの、責任を感じてしまう。人をまとめる自信もない。せっかく集まってきてくれたものの、解散したい、というのがアシュリーの本音だった。


 寮の近くにある広場で楽しそうにストレッチを行う8人を眺めながら、アシュリーは思案していた。どうにか穏便に解散出来ないものか。


 そう考えるアシュリーに背後から声がかけられる。聞きなれた優しくも凛とした声に振り返ると、そこにはアルフレッドがいた。眉尻を下げながら笑みを浮かべるこの国の王子に、アシュリーはすぐに察しがついた。


 アルフレッドはこの代の生徒会会長だ。わざわざこのタイミングでアシュリーに声をかけるのだ。目的はただ一つ、正式な団体としての申請要請だろう。


 その瞬間、アシュリーに名案が浮かぶ。そうだ、申請要請を機に、ここまで大きな集まりにするつもりはなかったとか理由を述べて、解散すればいいのだ。引き続き集まりたい、という人がいれば、その人に代表の座を渡せばいい。



「殿下、ごきげんよう」



 狙った通りに事が運ぶかどきどきしながら、アシュリーは慣れた所作で礼をする。


 アルフレッドはアシュリーの挨拶に応えると、早速本題に入ることにしたのか、遠慮がちに口を開く。



「アシュリー、その、言いにくいんだけど、一応規定で8人以上の集会を定期的に催す場合は生徒会にサークル活動の申請をしてもらわないといけないんだ」



 申し訳なさそうな顔でアルフレッドが告げる。その憂いに満ちた表情は流石メインヒーローと言ったところだったが、アシュリーはそれを視界に入れず、すぐさま悲しい表情を作る。わざとらしさ全開だったが、気にしてはいられない。このチャンスを逃したくはなかった。



「まあ、そうでしたのね。勉強が足りず、ご迷惑をおかけいたしました。殿下、申し訳ございません。ここまで大きな集まりになるとは私も思っておりませんでした」



 ようやくこの責任から逃れられる。自分だけで精一杯なのに、人様の減量に責任など持てるわけがなかった。



「……皆さん、これからは各々でトレーニングを行ってみま――――」



 細心の注意を払いながら背後にいる8人に解散の提案を伝えていると、突然大きな声がアシュリーを呼ぶ。



「アシュリー様! 持ってきましたよーっ!」



 元気な声で走りながら現れたサラは、嬉しそうに片手をあげている。その片手には白い紙が握られていた。


 まさか、と顔を青ざめているアシュリーのところにたどり着いたサラは、手に持った紙をアシュリーに渡す。無理矢理に近い渡し方だったので、アシュリーは拒絶できずに受け取ってしまった。


 恐る恐る中身を確認すると、それは予想通り申請書の紙だった。



「良かったぁ、間に合いましたね! 生徒会が動くという話を聞いて、大急ぎで書類用意しましたよ。アシュリー様の貴重な時間を奪ってはなんだと思って、記入は私がしておきました! 間違いがないか確認していただいたら、下にある代表者のサインをご記入いただいて完成です」



 褒めて欲しそうな顔をしているサラを横目にアシュリーは硬直していた。内容をざっと確認するも、不備は見当たらない。ここまで揃えてもらっているのに断るだなんて、どう考えても難しい。


 それどころかアルフレッドが紙を覗き込みながら恐ろしい言葉を告げる。



「良かったね、アシュリー。不備もなさそうだから、後はサインで終わりだよ。先に手続きを進めておくから、時間がある時にその紙を提出してね」



 事実上の承認が降りてしまった。アシュリーは言葉を失う。自分に、この8名をまとめる力があるとは思えない。何としてでも、断らねば。そう思って声を出そうとするアシュリーだったが、それよりも先にロッティが声をかけてきた。



「ついに正式な団体になるんですね。アシュリー様、私、嬉しいです。皆さんと一緒に、運動するのとっても楽しくって。自分の気持ちを打ち明けられる仲間がいることが、こんなにも心強いとは思いませんでした。今では、この活動が私の心の支えなんです」



 柔らかな笑みをアシュリーに注いでくれたロッティに、また言葉を失う。


 自分にとっての支えはジェラルドだった。ジェラルドがいたから、ここまでこれた。言葉にできないほど感謝している。


 そんな存在に、この団体がなっているだなんて思いもしていなかった。


 何も言えずにいるアシュリーに、ロッティは周りに聞こえない声で気持ちを告げる。



「アシュリー様のお気持ちは理解しております。でも、私はまだ皆と一緒に走りたいと思っているのです。我儘でごめんなさい。どうか、もう暫く私たちの支えになっていただけませんか?」



 ロッティにはお見通しだったらしい。知られているだなんて思いもしなかったアシュリーは、驚きながら彼女の顔を見る。ロッティは遠慮がちにほほ笑んでいた。不意に胸を打たれる。


 アシュリーはずっと考えていた。ジェラルドにどうやったら今までのお返しができるのだろうかと。もし、もしもジェラルドにしてもらえたことを、誰か違う人に繋げることができたのなら、それも一つのお返しになるのではないだろうか。


 そんな気持ちが自然と湧き上がってくる。きっと、ジェラルドは喜んでくれるだろう。


 ……とはいえ、そう簡単に気持ちは固まらない。



「か、考えさせて……っ!」



 叫びに近い声をあげながら、アシュリーはその場を走り去る。


 きょとんとする周りをよそに、ロッティはくすりと笑って、何故かサラは楽しそうに後を追い始めた。



「アシュリー様、おいかけっこですかー!? いいですね、負けませんよー!」



 勘違いもいいところだったが、周りの女子生徒たちもそう解釈し、嬉しそうにアシュリーを追って走り出した。



「違うっ! 違うのよ! おいかけっこじゃないのよ!」



 必死にアシュリーは否定するものの、サラと女子生徒たちは追いかけてくる。本能的に逃げたくなるアシュリーはどんどん加速していった。




 さっきまで賑やかだったのが嘘のように突然静かになった広場には、アルフレッドだけが残されていた。


 和気あいあいと仲間たちとおいかけっこするアシュリーの姿を眺めながら、この国の王子は寂しそうに笑う。



「アシュリー、君はどんどん変わっていくね。……ずるいぐらいに」



 切なさを滲ませる呟きは誰にも届かず消えていった。




 後日、アシュリーがジェラルドに人を束ねる方法を必死になって教えてもらったのは、また別の話。

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