キャラメルが運ぶ幸せ(前編)
王都内ではあるものの、一歩先に進めば田舎が待ち構えている、そんな場所に知る人ぞ知るパンや菓子を取り扱う店があった。その店を一人で切り盛りしている男がいた。名はバリー・ベイカーと言った。
バリーの作る菓子は特に評判で、貴族のお得意様も多かった。奥様のために買いに来るメイドが一日に何人もやってくるほどだ。その中で、一人だけ男性使用人の客がいた。その珍しい客は、来店しては決められた商品を購入し、無駄話を気が済むまでして帰っていく。
週に一回の頻度でやってくる男は、今日も入店すると同時に挨拶も無しにカウンターに肘をついた。
「いつものよろしく。ああ、あと、俺用にパイ菓子もね」
満面の笑みを浮かべながら頼む男に、バリーは悪い印象を抱いていなかった。むしろ、その親しみやすさを好意的に捉えていた。
「お前はいつもサボってるな」
バリーは呆れながらもドライフルーツを包んだパイを紙袋に入れて男に渡す。男は受け取るとその場ですぐに食べ始めた。
呆れながらその光景を一瞥すると、バリーは近くの棚へと移って瓶を取り出した。瓶の中にはキャラメルがたくさん詰められている。この調子の良い従者が仕えるお坊ちゃまは、この店のキャラメルのファンだった。
慣れた手つきで作業していくバリーの背中に、声がかけられる。
「これぐらいをサボっていると言ったら、世の中サボりばかりだぜ? あー、やっぱここのが一番美味いや。作り手は厳ついおっさんで甘いもの苦手そうなのに。全くもって不思議だね、この繊細な甘さは」
「厳ついおっさんが甘味好きで悪かったな。甘いものならいくら食べても物足りないんでね」
「そいつは凄いや。俺はこのパイだけで十分だね」
そう言い切った従者だったが、何かを思い出したようで、またバリーに声をかけた。
「……って、あっ、そうだ。忘れてた。キャラメルの量、少し増やしてもらえないか?」
いつもと違う流れに、バリーは訝しげながら振り向く。
「珍しいな。いったいどうしたんだ? お前のお坊ちゃま、ストレスでも溜まっているのか?」
「ジェラルド様は至って健康だよ。最近、面白いことを始めたみたいでな。お友達の妹さんと一緒に運動をしているらしい。ご褒美にキャラメルをあげてるから、その分増やしてほしいんだってさ」
食べながら器用に話す従者に感心しつつ、バリーは質問をぶつけていく。
「そりゃまた急な話だな。ご令嬢の運動だなんて、無駄に広い部屋を歩いて終わるイメージなんだが、まさかそれに付き合ってるのか?」
「いやいや、話を聞く限り本格的だよ。どうやらその令嬢、かなり豊かな体型らしくってね。俺はまだ見たことないんだけどさ。半年で痩せたいんだとか。ジェラルド様がその話に乗り気でね」
「お前のお坊ちゃまも大変だな」
「本人は楽しそうだよ。俺としても嬉しいね。最近、よく暗い顔してたからさ。何か新しいことに取り組もうとしている姿は、見ていて安心するよ」
ふてぶてしい常連客のらしくもない感傷的な発言にバリーは内心驚く。何だかんだ、仕える令息のことを慕っているようだ。良い一面もあるじゃないか。
「無事に上手くいくと良いな」
そう声をかけ、バリーは背を向けて作業に戻る。
いつもより少し量を増やしたキャラメルが、その令息と令嬢の励みになるのだろうか。わずかに口角をあげながら、バリーはキャラメルを紙袋に入れた。
買う量は増えたが、従者の来るタイミングは変わらず、週に一度。その都度聞かされる話はなかなか面白く、いつの間にかバリーの楽しみになっていた。
ある時は、
「この前、例の令嬢を初めて見たんだけどさ。確かに、一般的な令嬢よりも恰幅があったね。でも、一生懸命頑張っているみたいで、微笑ましかったなぁ。上手くいって欲しいよ」
と、応援したり。
またある時は、
「聖剣の日が近いからって、この間買い物に付き合わされたよ。百貨店の香水専門店。俺、居心地悪くて悪くて。ジェラルド様は顔色変えずに女性の店員さんと話が出来てて、本当に尊敬したわ。あー、でも最後、帰り際は珍しく照れてたなぁ。最近、いつも見せない表情を見せるようになって、正直面白い」
と、主人に向かってあるまじき発言をしたり。
さらには、
「俺の勘だけどさ、ジェラルド様、例の令嬢のこと好きになっちゃったんじゃないかと思うんだよね。だって、令嬢に会いに行く日は、朝から身振り手振りの動作がいつもより大きいんだよ。奥様以上だね、あれは」
と、主人の込み入った話までし始めたり。
とにかく、お喋りが過ぎていたが、何だかんだで従者の主人に対する愛を感じる話はバリーのお気に入りだった。
順調に進むダイエットに、近づいていく二人の関係。これは婚約も近いと思っていたバリーだったが、その予想は突然裏切られた。
それは、厳しい寒さにチョコレートドリンクが外せなくなっていた頃だった。ついこの間まで、「急遽、屋敷に例の令嬢が泊まることになった! 令嬢はどんどん美しくなるし、二人ともいい感じで、いやぁ嬉しいね!」と、笑顔で言っていた従者が、珍しく暗い顔をしながら、珍しくのそのそと店内に入ってきた。
いつもと違う様子にバリーが心配になりながら声をかけると、呆然とした顔のまま従者は話し始めた。
「ジェラルド様が、仕事に復帰するって」
「……? 良かったじゃないか。なんでそんな暗い顔しているんだ」
「それに伴って、令嬢との週一の運動を辞めるんだとさ。だから、もうキャラメルは一人分で良いんだって」
「それは……、急な話だな。とはいえ、別に縁が切れる訳じゃないんだろ? そこまで落ち込まなくてもいいんじゃないか」
「それが、俺は全く知らなかったんだけど、令嬢には好きな人がいるらしくて、その人がきっかけで痩せようと思ったんだってさ。ジェラルド様は最初からその事を知ってたみたいで、これ以上一緒にいると良くないから、もう会うことは控える、なんて言っちゃって……」
この世の終わりだと言わんばかりに、従者はカウンターに勢いよく顔を伏せた。
「ジェラルド様、ほんとにそれで良いのかよ……。俺はやだよ……」
弱々しい吐露に、バリーはかける言葉を失った。
従者は動きそうにもないので、バリーは勝手にキャラメルとパイを用意していく。無意識に動く身体が用意したキャラメルは二人分の量で、思わず苦笑いを浮かべてしまう。話を聞くだけのバリーにとっても、この終わり方は苦かった。
その後、従者は何だかんだで元に戻っていき、前のように無駄口を叩けるようになっていた。仕事に復帰したご主人様は大忙しのようだが、その分従者は暇なようで、滞在時間は延びていった。
店内での飲食サービスを試験的に始めたバリーは、時間潰しに働かないかと声をかけてみたが、従者からは良い返事を貰えなかった。本当にご主人様を尊敬しているようで、中途半端な掛け持ちはしたくないらしい。
残念に思ったものの、従者の主人に対する変わらない敬意にバリーは感心した。
もうそろそろ春になろうとする頃、従者が神妙な顔をしながら店を訪れた。思わずバリーが声をかけると、令嬢が数週間後に屋敷を訪問することが決まったと返ってきた。従者は複雑な心境らしく、戸惑いを感じさせる声だった。令嬢のことを考えて身を引いたことを知っているからこそ、彼女が来ることを素直に喜べないようだ。
「報告待ってるからな」
バリーの声に従者はゆっくりと頷いた。
その後も従者は何とも言えない顔で店を訪れては帰っていく。気がつけば令嬢の訪問予定日も過ぎ、バリーは従者が来店する時を待ち構えていた。はやく報告が聞きたかったのだ。
ついに訪れたその日、従者は何か考えているようで、眉を寄せながら店に入ってきた。
「で、どうだったんだ?」
展開が気になるバリーははやる気持ちを押さえながら、ゆっくりと問いかけた。
「うーん、それがどうもすっきりしなくって。令嬢は本当に好きな人いるのかな。帰り際に寂しそうな表情をしていたんだけど、特別な意味を感じさせる表情だったんだよね」
「お前のお坊っちゃまはやっぱり何もしなかったのか?」
「うん。ちょっとアクシデントはあったけどね」
「そうか」
理性的な主人に関心しつつも、バリーは少し残念に思っていた。ちょっとぐらいアプローチしたって良いじゃないか、と心のなかでぼやいてしまう。
「やっぱり令嬢もジェラルド様のことが好きなんじゃ……」
従者は従者で思うところがあるらしく、独り言なのか、会話にしたいのか分からない声の大きさで呟いた。その声にバリーは何も答えず、キャラメルの入った瓶の元へ向かった。
従者が抱いていたこの疑惑は、意外にもすぐに答えが出た。
その日はとても温かな日だった。春らしい新作の焼き菓子の案を考えながら、バリーはカウンター越しに窓の景色を眺めていた。通りに面している窓からは、優しい日差しが差し込んでいる。通りを歩く人々もどこか嬉しそうだ。
そんな平和な光景に、急ぎ足で歩く人が登場したかと思ったら、勢いよく店の扉が開いた。バリーが目を大きくしていると、最近見ることのなかった満面の笑みを浮かべた従者がその場で大きな声を出した。
「ジェラルド様が例の令嬢と婚約した!」
「は?」
理解が出来なかったバリーに、従者が駆け寄る。従者はそのままカウンターに勢いよく手を置き、自身が知り得る全ての情報をバリーに提供した。令嬢が好きだと思っていた相手に抱いていた感情は尊敬の気持ちだった、とか、令嬢と従者の主人が同じ気持ちだった、とか。
「学園の警備から戻ってきたかと思ったら、ジェラルド様、放心状態でさ。明日、出かける。婚約するかもしれない、なんて突然言い出すもんだから、思わず、え? って言っちゃったよ。そんな俺に向かって、ジェラルド様はご婦人方を確実に落とす笑みを浮かべながら、俺もよく分からない。幸せな夢を見てるのかも、とか言っちゃって、もう俺も棒立ち。遅れておめでとうございます、って言ったけど、俺が本当に理解できたのはベッドで横になった時だったよ。いやぁ、本当によかった、本当に……。俺、嬉しいんだよ……」
感極まって泣きそうになる従者を宥めながら、バリーは情報を整理していく。話が理解できると、喜ばしい気持ちがバリーの中に広がっていった。それはお気に入りの甘いお菓子を食べた時の幸せな感覚と似ていた。
「よかったな。おめでとう」
バリーの祝福に、従者は何度も何度も頷いた。
春の陽気にも慣れたある日の昼下がり。バリーは誰もいない店内で一人、カウンターに紙を置き次の新作の案を描いていた。季節の果物を使用したのど越しの良い菓子を売り出したいと考えているものの、なかなか良いアイディアが浮かばない。
何か甘いものでも食べて休憩をしよう。そう決めたバリーが伸びをすると同時に、店のドアがゆっくりと開いた。
「アシュリーちゃん、こっち見てよ、ね?」
「未熟な自分が恥ずかしくて、お見せする顔がありません……!」
先陣を切って入ってきたのは見慣れた従者で、その後ろに続いて、やけに整った顔の貴族の令息っぽい紳士が、これまた綺麗な顔をした令嬢に微笑みかけながら店に入ってきた。何かあったのか、令嬢は頬を染めながら唇を尖らせていた。
これが、例の二人か。バリーは恋人同士のやり取りを暫し眺めた後、やれやれと呆れながら二人の近くに立つ従者へ目を向けた。視線に気づいた従者は得意げな笑みを浮かべている。
「どんなアシュリーちゃんも素敵だから、気にせずに色々な顔を見せて欲しいな」
甘い雰囲気で、甘い言葉を令息が囁く。令嬢は更に顔を赤くさせた。
さっきまで甘いものを求めていたはずのバリーだったが、急にその気持ちが失せていく。それどころか、胸焼けしそうな勢いだ。
甘いものならいくら食べても物足りないバリーだったが、流石にこの甘さはもう十分だった。




