第32話
ジェラルドが去った後、入れ替わるようにカリスタが入室し、紅茶を用意してくれた。ありがたく頂戴しながら、そのままカリスタとたわいもない話をする。自分を責めていたカリスタも、この屋敷で過ごしていくうちに気持ちが切り替わったようで、笑顔が戻っていた。
毎日顔を会わせているというのに、会話は途切れることも無く続いていく。温かかった紅茶もいつの間にか冷めており、それに気がついたカリスタがアシュリーに声をかける。
「まあ、もう紅茶が冷えてしまいましたね。入れ替えてきますね」
少し驚きながらも、紅茶が冷めてしまうほど盛り上がったことが嬉しかったのか楽しげにそう告げるカリスタは、ポットと紅茶のカップを銀の盆に載せていく。
その光景を穏やかな表情で眺めるアシュリーだったが、突然、何かが衝突している音が耳に入ってきた。カリスタの耳にも入ったのか、彼女の手は止まっていた。
侯爵家の滞在中、常に静かだったので、興味が湧いてくる。それに、この音には聞き覚えがあった。フィルエンドとジェラルドが練習試合をしていた時と同じ、木と木がぶつかり合う響き。
自ずと音が聞こえてくる窓の方へとアシュリーは向かっていく。庭と呼べばいいのか、訓練用スペースと呼べばいいのか判断に困る場所で、二人の青年は見事な剣捌きを披露していた。その内の一人はジェラルドで間違いないが、見覚えのないこげ茶の髪の男性はジェラルドにフェナーと呼ばれていた部下だろうか。
どうして二人は剣を合わせているのだろうか。不思議に思いながら二人の軽やかなやり取りを眺めていると、部屋をノックする音が聞こえてきた。
窓から視線を外し、扉の方に身体を向けながら入室を促すと、見慣れた藍色の騎士がいた。いつも身に着ける騎士の制服とは違って、イードンはシンプルなシャツとベストを見にまとっていた。相変わらずラフに着こなしているのがイードンらしくって、アシュリーは頬を緩ませながら歓迎した。
「まあ、イードン様。ごきげんよう」
「レディ・アシュリー、元気そうだな。ジェラルドから話を聞いて心配だったんだが、変わらない姿を見て安心した」
「お立ち寄りいただきありがとうございます。カリスタ、お茶を……」
アシュリーがカリスタに声をかけると、すぐにイードンは手でそれを制してきた。
「レディ・アシュリー、俺に気を遣う必要はない。それに、実はさっき振る舞われた茶で十分なんだ。ここの茶は上品過ぎる。俺の口には合わない」
やれやれと両手を上げるイードンの姿に、これは本当に要らないのだと理解したアシュリーは、カリスタに片づけだけをお願いする。カリスタが黙々と片付けていく横をイードンは通り過ぎると、窓の傍にいるアシュリーの横に立った。視線はもちろん、外の二人に注がれていた。
「ジェラルドはかなり前向きになっていたよ。例の部下から練習試合を申し込んだら、嬉しそうに受け入れていた。これなら復帰もそう遠くなさそうだ」
静かに語るイードンだったが、声色から深い喜びを感じ取れた。
「元々、ジェラルド様は前向きな方ですから……。時が解決してくれたのでしょう」
アシュリーにいつも前向きな言葉と考え方をくれたジェラルドの姿が脳裏を過る。自分自身に対しては、少し後ろ向きな部分も確かにあったが、元々の性質は明るい人だ。自然と、復帰の方向へ進んでいっただろう。
そうしみじみと思うアシュリーであったが、イードンは少し違ったようだ。
「それもあるが、レディ・アシュリーに助けられた部分も大きい。礼を言わせてくれ。ありがとう」
頭を下げるイードンにアシュリーは慌てる。だって、ジェラルドは自分の力で気持ちを整理したのだ。何もしていないし、それどころかイードンに頼まれた活だって入れられていない。頭を下げてもらう理由も、感謝の言葉を貰う理由も、アシュリーには存在しなかった。
「そんな、お礼をいただくことは何もしていません! イードン様に頼まれた活も、倒れてしまったせいで何もできていませんし……。前もお伝えしましたが、精神的にも物理的にも助けられているのは何時だって私の方なのです」
変わらないアシュリーの反応に、イードンは喉を鳴らしながら笑う。
「これ以上俺が何を言っても、レディ・アシュリー、あなたは考えを変えないのだろうから、この話はこれで止めにしよう。でも、この感謝の気持ちだけは受け取ってほしい」
「わ、分かりました……」
釈然としない気持ちのままアシュリーはそう答えると、イードンは笑みを浮かべた。
「そういえば、もう少しでレディ・アシュリーも入学だな。何か困ったことがあったら、俺に聞いてくれ。役に立てると思う。結構な人の弱みを握っているんでね」
「ふふっ、それは頼もしいですが、少し怖くもありますね。私もイードン様の前での振る舞いは気をつけなくては」
「どちらかと言えば、俺の方が弱みを握られてしまいそうだ。平和第一で頼むよ、レディ・アシュリー」
イードンは真面目な顔をしながら手を差し伸べた。アシュリーも真面目な顔で握手に応じる。なんだか、そのやり取りが愉快で、アシュリーはその顔を保つことができなかった。




