第3話
アシュリーは次の日の朝から行動に出た。普段はものぐさなアシュリーがすぐに行動に出れたのは難易度の低いお手軽な取り組みだったからだった。ただ朝食を抜けばいいだけ。ずぼらなアシュリーにはとても簡単なことだった。
食堂に入ると父と兄はもう食事を始めていた。母は寝台で食事をとるからここにはいない。朝から美味しそうな香りが漂ってくるが、アシュリーはぐっとこらえる。簡単だと思ったがそこまで甘くは無いようだ。
決意が揺らぎそうだったので、昨日のアプロの言葉を思い出し、脳内で憎しみと食欲を戦わせることにした。今勢いのある憎しみの圧勝であった。
アシュリーはこの結果に一人頷き、席へと座る。やってきた給仕にミルクだけを頼んだ。なんだかんだで自分に甘いアシュリーは続いて頼みそうになるが、憎しみがそれを阻止してくれた。
アシュリーの普段とは違う行動に目ざとく気付いたのはフィルエンドであった。
「アシュリー、どうしたんだい?」
「どうかしまして、お兄様?」
「ミルクだけだなんて、体調でも悪いのかい? 昨日のパーティは忙しかったから、無理もないけど……」
「違います。体調は良いです」
フィルエンドの勘違いをハッキリと否定する。会話に入ってこなかった父であるダリウスも心配そうにこちらを見つめてくる。
「ああ、私の可愛いアシュリー。急にどうしたんだい。ミルクだけじゃ、お昼まで身体が持たないよ」
「お父様もお兄様も心配しすぎです。私のことは気にせずにお食事を続けてください。お昼は普段通りいただきますから」
そうアシュリーが言い切るとタイミングよく目の前にミルクが置かれる。まだ何か言いたげな父と兄を無視し、ミルクを淑女らしからぬスピード感で飲み切り、食堂を後にした。
自室に戻り、改めて鏡で確認する。アシュリーは昔からこの体型というわけではなかった。こんな立派な身体になったのはここ数年。色々な物を口にするようになってからだった。
複雑な味わいも楽しめるようになると、何を食べても美味しくて、あと一口、もうあと一口と制することなく食べていた。フィルエンドも美味しそうに食べるアシュリーが見たくてどんどん勧めていた。
結果、こうなった。
「やはり食べ過ぎが原因よね……」
元からアシュリーは太っていたわけではないのだ。小さい頃は自負するほど可愛かったし、周りからも評判であった。パーティーで嫌味を言ってきた従妹ですら嫉妬するほど。アプロの言う通り、痩せればアルフレッドが少しは心をこめた感想をプレゼントしてくれるかもしれない。
「やっぱり、食べる量を減らすべきなのよ。今日の私、朝はミルクだけだなんてとっても偉いわ」
自分で自分を褒め、悦に入る。
しかしながら、その悦は1時間も持たなかった。空腹がアシュリーを襲う。簡単なサンドウィッチぐらいならとアシュリーは一瞬思ってしまうが、アプロの言葉とアルフレッドへの想いがそれを阻止した。
家にいれば何でも出てくる。メイドを呼べば軽食なんてすぐ出てくるだろう。いくらアプロの言葉が腹立たしくても、アルフレッドからの賛辞が欲しくても、この環境にずっといてしまえばこの意思が食欲に負けるのは確実だ。
ここにいてはいけない。アシュリーは侍女を引きつれて外に出ることにした。
馬車に揺られて到着したのは老舗の百貨店だった。外商が定期的に来るので、ここに来る必要はないが、香水や筆記用具などを自分の好きなように見ることができるため、アシュリーは百貨店を訪れるのが大好きだった。
お気に入りの香水専門店に入ると満面の笑みで店員が迎えた。背が高く、細く、前世の記憶から見ても、今のトレンドから見てもとても美しい女性であった。クラリッサといった。いつも通り、奥の専用スペースへと案内され革張りのソファに腰をかける。
「アシュリーお嬢様、本日はいかがされましたか」
「少し気分転換をしたくてお邪魔したの。何か新作でも入ったかしら」
「まだ並んでおりませんが、ちょうど昨日届いた新作がございます。お持ちしてもよろしいですか」
「ええ、お願いするわ」
クラリッサが持ってきた新作の香水を試す。軽やかと言うよりかは重厚な香りで、自分にはまだ早いと感じた。
「とても素敵な香りだけど、私には早いわね」
「濃厚な香りを意識した香水になります。瑞々しいアシュリーお嬢様の素晴らしさを引き出すにはもう少し爽やかなものがよろしいかもしれませんね」
「……こういうのが似合う女性になりたいわ」
こんな香りが似合う女性がいたら、きっとアルフレッドを虜に出来るだろう。
「アシュリーお嬢様もこれから素敵な経験を積まれて、いずれ魅力的な女性としてご活躍されますよ。その時は是非この香水をまとってくださいませ。お嬢様にこの香水をお渡しできる日を楽しみにしております」
クラリッサは微笑みながらさらりと売り込んだ。微笑みがやけにきらきらしていて眩しい。彼女ならこの香水が似合うだろう。
その後少し談笑をし、店を後にした。いつも使っているお気に入りの香水が無くなったらまた訪れることにした。
世界各地の面白い文房具を扱っているフロアを訪れたり、この国で一番の取扱量を誇る本の販売フロアに寄ったりしていたらいつの間にかお昼の時間になっていた。
元々この百貨店は食品店が発展して今の規模になっていた。そのため食料品の販売はもちろん、レストランも充実していた。アシュリーは今日のお昼をここでいただくことにした。
テラス席が設けられているレストランに入ると、奥の席へ案内される。テラス席は一つだけ埋まっていたが、それ以外は空いていた。せっかくならテラス席で食事をしたかったが、仕方ない。アシュリーは腰をかけ、同席を拒む侍女を無理やり座らせた。メニューを確認し、鶏肉のソテーを頼むことにする。侍女もアシュリーと合わせることにしたのか同じものを頼んだ。
朝を抜いたからか異常な食欲だった。パンが先に提供されたので遠慮なくいただく。美味しい。美味しすぎる。
夢中になるもののアシュリーはアプロの嫌な言葉を忘れていなかったので、小さく千切って、一回噛んで食べた。しかしながらそれによって変わったのは食べるスピードだけで、すぐにパンのおかわりを要求することになった。
3回ほどパンのおかわりをしていると、メインがようやく到着した。ナイフとフォークで一口サイズにし、そのまま飲み込まずに一回噛む。パリッとした皮とジューシーな肉がたまらなく美味しい。噛むことによって味わいをより楽しめている気がした。この点はアプロに感謝しなければならないと思いながら、アシュリーはどんどん食べていく。
夢中になって食べていると、最近よく脳裏を過る声が聞こえてきた。幻聴かと思って、聞こえた方を向くとやけに眩しい銀髪がいた。何故かこちらを睨んでいる。怖いので目を背けているとこちらにやってきた。
「……給仕が何度もパンを運んでいると思っていたけれど、まさかキミだったとはね」
「別にいいじゃない。何か問題でもあるかしら。ちゃんと噛んでいただいているわよ」
アプロに言われたことは守った。自信満々にアシュリーは言う。
「当然のことをそんな偉そうに言われてもね……。パンをそんなにおかわりする人、初めて見たよ」
アプロは頭を抱えた。
「朝食べなかったからお腹が空いてしまったの。パンも美味しかったから、ついいただいちゃったわ」
「……どうして朝を抜いたんだい」
「食生活に問題があるとあなたに言われて私も考えたの。それで確かに量が多すぎたことに気づいたの。だから朝を抜いたのよ」
「…………」
アプロが呆然としている。何かおかしなことを言ったかとアシュリーは不安になった。
「……それで結局のところ、キミはパンをおかわりするほど食べていると」
「ええ、何かおかしいかしら」
「朝を抜いた分、食べてしまっては意味がないだろ!」
「あっ……」
アシュリーはショックを受けた。その通りだった。朝を抜くことだけが目的になっていて、全体の摂取量を考えていなかった。
なんてことだろう。今度はアシュリーが頭を抱えることになった。