第17話
たっぷりと見学した後、ジェラルドは自身の用事を済ませに校舎へと向かった。残されたアシュリーとイードンは邸宅を後にし、イードンから周囲の案内を受け、近くにある東屋へと場所を移した。
東屋には三人がけのベンチが置いてあり、二人はそこに腰を下ろした。体格の良いイードンの横に座っているというのに、それなりの隙間が誕生していた。
ベンチの前には噴水があり、水飛沫が奏でる清らかな音を暫し楽しむ。
会話を始めたのはイードンだった。
「ジェラルドが元気なのは、レディ・アシュリー、あなたのおかげなのかもな」
アシュリーは思わず首をかしげる。ジェラルドはいつだって元気で、むしろ色々なものを分けてもらっているのはこちらだ。
「私の方が、ジェラルド様の元気と前向きさを分けていただいているのですが……」
「いや、あなたが頑張ろうと一生懸命励む姿は、間違いなくジェラルドの支えになってるよ」
イードンの発言に疑問を抱くアシュリーは、その賛辞を素直に受け取れなかった。
イードンは喉を鳴らしながら笑うと、身体をアシュリーの方に向けた。
「ジェラルドをよろしくな。ここだけの話だが、あいつ、領地の災害だけでなく、仕事のことでも悩んでいるんだ」
「確か、部下の方の件ですよね? 詳細は知りませんが、好意が裏目に出てしまったとか……」
あの馬車での出来事は記憶に新しい。意外なジェラルドの姿が忘れられなかった。
「どうやら、ジェラルドはあなたに相当心を許してるようだ。あいつが悩みを口にするだなんて、珍しい」
イードンは目を見開きながら、そう言った。アシュリーが知っていたことを予想していなかったようだ。感心した様子で、アシュリーに微笑む。
「そう、部下の件で、色々とあったんだ。騎士の世界も階級差があって、俺みたいな庶民と貴族とでは、就く地位が違うんだ。もちろん、目指す高みも違う。実力が考慮されることもあるが、貴族の方が上の地位に就くのは早い」
イードンはゆっくりと説明を続ける。
「ジェラルドの部下は平民出が多いんだが、その中の一人に有望な人材がいた。そいつがもっと伸びるようにジェラルドは、選抜合宿に推薦したんだ」
「選抜合宿……。初めて聞きました」
「内部の者にしか、知られていないからな。毎年、役職のない者を対象に行われている特別な合宿なんだ。参加者の枠は限られている。総合的に見て選ばれた者と、隊長に推薦された者しか参加は出来ない」
「総合的に、とは随分と曖昧なんですね」
「貴族のために用意された枠だからな。都合良く解釈できる枠が好ましい。とはいえ、枠には限度があるから、そこそこの貴族では参加できない。そこで、そいつらは隊長枠を狙うんだ。その時期の隊長への媚びへつらいは、なかなかに面白い」
滑稽だ、と続けて言うイードンは愉しげに笑う。
「真面目なジェラルドは、そういう輩を良しとする訳もなく、平民出の若手騎士を推薦したんだが、それによって若手騎士への風当たりが強くなったんだ。俺としては当たり前の展開なんだが、良いとこのお坊ちゃんのジェラルドには、それが衝撃的だったみたいで、塞ぎこんでたよ」
アシュリーの脳裏には、馬車で見た姿が浮かんでいた。あの日と同じように、落ち込んでいたのだろうか。どこまでも優しい瞳を曇らせて、自分を責めていたのだろうか。
「優しいジェラルド様らしいお話ですね。その後、推薦された騎士の方はどうされたのですか?」
「今頃は国境沿いの山で野営でもしてるんじゃないか。年明けには終わるから、戻り次第ジェラルドに活を入れてもらう予定だ。あなたにも協力してもらいたい」
「私、ですか?」
「ああ、今一番ジェラルドに響きそうだからな」
イードンは当然だと言わんばかりの顔つきで、アシュリーに堂々と答えた。困惑するアシュリーは、その期待に応えられる気がしなくて、不安な気持ちを抱えたまま噴水を眺めた。イードンは何かを勘違いしている。ジェラルドの役に立てることなど、自分に出来るわけがないのに。澄んだ水飛沫の音を聞いたら落ち着けるかと思ったが、アシュリーの不安は流れることは無かった。
イードンにどう返したものかと悩んでいると、噴水の奥から見慣れた姿が見えてきた。ジェラルドが用を済ませて帰ってきたようだ。手を勢いよく振りながら、ゆっくりとこちらへ向かってきていた。
イードンもジェラルドに気がついたようで、二人はベンチから立ちあがってジェラルドが来るのを待った。ジェラルドはその姿を確認すると、駆け足になった。ちょっとしたシーンでも、スチルのような光景にしてしまうのだから、イケメンはやはり凄い。アシュリーはその光景を一人で楽しんだ。
「二人とも、お待たせ」
ジェラルドは息を乱さずに、軽やかに声をかけてきた。自分だったら息が上がりそうだと思いながら、アシュリーはジェラルドを見つめる。心なしか、いつもより顔がスッキリしているように見えた。
「早かったな」
「先生と話をしただけだからね」
ジェラルドは微笑みながら優しい声だった。
その様子を見てアシュリーは気がついた。きっと、その先生との会話が表情の理由なのだろう。どんな話をしたか気になったが、自分が踏み込んでいい領域なのか分からず、会話を広げることはしなかった。
「そうか。まあ、用が済んだのならよかった」
イードンは特に関心が無いようで、話をさらりと流した。アシュリーとジェラルド二人に視線を向けると、続けて口を開いた。
「せっかくここまで来たんだ。二人とも、他に何かやりたいことはあるか?」
「俺はもういいかな。アシュリーちゃんは? 他に見たいところある?」
「お気遣いありがとうございます。実は舞踏会の会場を見学しただけで、胸がいっぱいで……。残りは、入学してからの楽しみにします」
はにかみながら、遠回しに十分であることを伝える。実際の教室などを見に行ったら、どうなるか分かったものじゃない。夢で見たゲームと同じ光景に、興奮し過ぎてしまう危険性があった。端正な顔を持つ二人の前で、はしたない姿をアシュリーは見せたくなかった。
「じゃあ、食堂でお茶でも飲みながら休憩して帰ろうか。イードンも付き合ってくれるだろう?」
「もちろん」
空色の瞳が嬉しそうに輝いた。
食堂では、紅茶とお茶請けの焼き菓子を楽しみながら、様々な会話が繰り広げられた。基本的に、ジェラルドとイードンが話をし、アシュリーは聞き手になっていた。二人の会話はとても面白く、聞いているだけで楽しかったし、たまにアシュリーに話を振ってくれるのが嬉しかった。
休憩と言うには長すぎる休憩を終え、ついに帰路に着くことになった。行きと同じ馬車に乗る。馬車が動き始めると、イードンは姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。アシュリーも負けじと手を振り続けた。
「舞踏場、綺麗だったね。アシュリーちゃんがあそこで輝く姿は、きっと素敵だろうね」
振り続けて痛くなった手首を労わっていると、ジェラルドが温かな声で語りかけてくれた。
「輝けるように、もっと頑張ります。今日は本当にありがとうございました。とっても良い一日になりました」
「アシュリーちゃんの役に立てたのなら、嬉しいよ。俺も今日は良い一日だったな。久しぶりに先生に会えたし。……実は、ちょっと相談に乗ってもらったんだ」
「相談、ですか?」
気になっていたことを本人から話題にすると思わなかったアシュリーは、驚く気持ちを隠し平穏を装って聞き返した。
「うん、仕事の復帰についてね。悩んでいても、結局復帰するんだから、早めに戻れって言われちゃったよ。あはは」
「ず、随分はっきりと仰る方なんですね……」
「そうなんだよ。だから会いに行きたかったんだ。背中を押してほしくって」
「何かされるのですか?」
アシュリーは、疑問に思ったことをそのまま口にしていた。踏み込んでいいのか、などという不安はもうなかった。
「隊長代理をお願いしている副隊長から、一度来てほしいって言われててね。当然、行かなきゃいけないんだけど、誰かの後押しが欲しかったんだ。自分でも情けないけどね」
「そうでしょうか。結果的にジェラルド様は戻られるのですから、何も問題ないと私は思いますけど……」
アシュリーの言葉に、ジェラルドは目を細めながらありがとう、と返してくれた。
暫し、静かになる馬車の車窓を覗きながら、アシュリーは考えていた。イードンが考えるほどの存在では無いと思うものの、ジェラルドにとって、自分は少しは気を許してくれている存在なのかもしれない。
なんだか、それが嬉しいような、少し恥ずかしいような気がして、考えるのを止めたくなったアシュリーは、意味もなくジェラルドに会話を振ることになった。
学園訪問から三日後、体重計が示す数値は再び減っていった。




