第14話
思いもよらない人物の登場に内心慌てるも、習慣とは恐ろしいもので、アシュリーは無意識に礼をしていた。
「殿下、お会いできるとは光栄です。実は、母が体調を崩しまして、代理として参りました」
「ウェストビー公爵夫人も体調を……?実は、こちらも母が体調を崩していて、それで僕にお声がかかった次第なんだ」
「……奇遇、ですね」
アルフレッドは暢気に「何か病が流行しているのかな」などと言っているが、アシュリーは気づいていた。これが仕組まれた逢瀬であることに。
王妃とアシュリーの母はご学友で、各々が嫁ぐ前から親交はあった。二人は自分たちの子供をくっつけたいのだろう。どこまで本気なのかは分からないが。
アシュリーはこの状況を見て、一人納得した。こういう仕組まれたイベントが、アシュリーをもどき令嬢にさせたのだ。
今まで、夢で見たゲームのアシュリーが、自分のことを婚約者や唯一の婚約者候補と言っていたのが、不思議で仕方なかった。しかしながら、親同士がこのように仕組んでいたら、勘違いしてしまうのも納得がいく。
アシュリーは、夢で見た自分の姿を哀れんだ。勘違いしてしまうのも、仕方がないと思えた。親にとっては、ただの戯れかもしれないが、場をわざわざ用意しているのだ。アルフレッドの気持ちはさておき、可能性は少しだけでもあったはずだ。ゲームのアシュリーもある種の被害者だったのだ。
少なくとも、今は勘違いなどしていない。ダイエットだってしている。あの夢とは違うシナリオを目指せるはすだ。
とはいえ、今はダイエットの途中。久しぶりに会話をしたマーガレットから、「少し痩せた」と言われたが、まだまだ未完成。アルフレッドもその変化に気づいてくれるのではないかと期待してしまうものの、顔を合わせるのは、やっぱり恥ずかしい。
緊張しながらアルフレッドに席を勧めると、ちょうど開演のブザーが鳴り響く。
明かりは落ち、場内の視線は一気に舞台へと集中する。誰もこの国の王子が観劇に来たことに気がついていなかった。
「楽しみだね」
柔らかくて甘い笑みをアルフレッドはアシュリーに向ける。
この幸せそうな笑みは、アシュリーが隣にいるから、ではなく、好きな演目だからである。
それでも、アシュリーの胸は高鳴った。やっぱり、アルフレッドは格好いい。いつだって紳士的。舞台に向けてだとしても、アシュリーの体温を上げるには十分だった。
この人から、心のこもった感想をもらえたら、どんな気持ちになるのだろうか。見惚れてもらえたら、どんなに幸せだろうか。
きっと、とてつもなく幸せに感じるのだろう。
「ええ、とっても楽しみです」
はにかみながらアシュリーは言う。これから始まる舞台が楽しみなのか、痩せた自分に捧げてくれる言葉が楽しみなのか、分からなかった。
第一幕は大変素晴らしいものだった。女優の切なくも熱い演技は、見ているこちらも恋に苦しんでいる気持ちにさせた。最後の歌唱では、心揺さぶられ涙を流す者もおり、たくさんの拍手と共に一度幕を閉じた。
アルフレッドも感動しているのか、暫く拍手を止めなかった。
明かりがつくと、一つ深呼吸をしたあとに、アルフレッドはアシュリーに声をかけてくれた。
「もう幕間か。早いね」
「あっという間でしたね。後半も楽しみです」
「きっと、後半も早く終わるだろうね。……ああ、そうだ、時間があるし何か頼む? 僕は紅茶を貰おうと思うけど」
アルフレッドは優しい声でアシュリーに尋ねる。
「それでは、水をいただけますか?」
アシュリーは迷わず告げた。
「えっ、水で良いの? サンドイッチとか、焼き菓子もあるみたいだけど」
アルフレッドは困惑しながら、念のため、確認をした。アルフレッドとアシュリーの付き合いはそれなりに長い。アシュリーが暴飲暴食を行うことも、もちろん知っている。知っているが故に、アシュリーの水だけ発言は信じられなかったようだ。
「はい、水をいただければ十分です」
アシュリーは強い意志を込めながら答えた。
アルフレッドはまだ信じられないのか、不安そうにアシュリーの顔を伺う。それでも変わらないアシュリーの姿勢に、疑問を抱きながらも、ボックス席の扉を開け、近くに控えている従者に声をかけた。
席に戻ると、アルフレッドは何か聞きたそうに口を開くが、迷いが生じたのかすぐに閉じた。何度かそれを繰り返すが、アルフレッドは何も聞いてこない。結局、従者が戻ってくるまで、アシュリーとアルフレッドは無言であった。
従者から紅茶を受け取ったアルフレッドは、ゆっくりと一口飲む。ようやく意思が固まったのか、遠慮がちに問いかけた。
「アシュリー、その、何かあったの……? 水だけなんて、珍しいけど」
「少し、痩せようと思いまして。一ヶ月前から全体の食事を見直したり、運動をしたりしています」
アシュリーから痩せるという言葉が出てくると思っていなかったらしく、アルフレッドは息を呑んだ。
「そ、そうだったんだ。だから水だけだったんだね。効果は出そう?」
アシュリーの奇行に理由があることを知り、安心したアルフレッドは、優雅に微笑みながら尋ねる。マーガレットは気づいた変化を、目の前の王子は気づかなかったようだ。アシュリーは少し悲しみを覚えたが、すぐに気持ちを切り替える。変化は僅かで、ダイエットはまだまだこれから。気づいてもらえるほど、痩せればいいだけのことだ。
「ええ、少しはあったようです。これからも継続して頑張りたいと思います」
明るく宣言すると、アルフレッドも笑顔を返してくれた。
幕間の終わりを告げるベルが鳴り、第二幕が始まる。悲劇的なストーリー展開に加え、心を揺さぶるドラマチックな音楽と役者の演技に、観客は熱中する。終盤には、会場から嗚咽が漏れた。
幕が下りると、場内に割れんばかりの拍手が響き渡った。カーテンコールも終わると、アルフレッドはゆっくりとアシュリーに声をかけた。
「……終わったね」
アシュリーはすぐに返事をすることができなかった。このアルフレッドの発言は、例の選択肢が出る前の台詞だったからだ。思わずドキッとしたが、選ぶ選択肢は決まっている。
「とっても面白かったですね」
嬉しそうなアルフレッドは、正解の選択肢を選んだ時の立ち絵と同じ表情を浮かべた。現実と夢で見たゲームが入り混じり、アシュリーは不思議な感覚を覚える。
「うん、そうだね。やっぱりこのプログラムは好きだなぁ。暫く見れなくなるのが残念だよ」
暫く、とはどういう意味だろうか。アシュリーが首を傾げると、アルフレッドは理由を教えてくれた。
「ああ、実は諸外国への訪問が決まってね。入学式前の舞踏会まで、戻らないんだ。入学したら、暫く他国に訪問できないから、今のうちにということらしいよ」
国王命令だから従うしかなくてね、とアルフレッドは苦笑いする。
「殿下、そうだったのですね。大変なこともおありかと思いますが、充実したご訪問になることをお祈りしています。お戻りをお待ちしておりますから……」
「ありがとう。アシュリーも頑張ってね、応援しているから」
アルフレッドの優しい言葉に、思わず笑みを零す。求めている褒め言葉ではなかったが、アシュリー個人に向けての発言だ。仕事ではない、温かみを感じる言葉だった。アシュリーは、ただただ嬉しかった。
舞踏会まで会えないのは非常に残念だが、過程を見せずに、結果だけを見せるのもいいかもしれない。大きな変化になるよう、継続して頑張ろう。
アシュリーは、そんなことを考えながら、王子として優しく微笑むアルフレッドを見つめた。




