第12話
例の令嬢二人は突然現れたアシュリーとジェラルドに驚くも、余裕の表情だ。
先ほどのやりとりは聞こえていないと思っているのだろうか。それとも、聞こえていたとしても心配する必要はないと思っているのだろうか。そうだった場合、きっとジェラルドは、無理矢理アシュリーのエスコートをさせられている可哀想な人、という設定なのだろう。実際はジェラルドから参加することも、踊ることも誘われたというのに。
どちらにしろ、ジェラルドも自分も舐められたものだと一人アシュリーは思った。
「お久しぶりです。いらしているとは思わず、ご挨拶が遅くなりました」
どうやらジェラルドの知り合いだったようだ。二人はお辞儀をすると微笑を返す。ピンク色のドレスを着た令嬢と紫色のドレスを着た令嬢は同時に「ごきげんよう」と軽やかに挨拶をした。ピンク色のドレスの令嬢は続けて口を開いた。
「今日もジェラルド様は素敵ですわね。多くの女性たちが声をかけられるのを待っていましてよ」
「ええ、そのとおりよ。会場に来てからは、ほとんどソファに座っていらっしゃったでしょ? そんな端にいないで、中央の方でお話いたしましょうよ。すぐに華やかな場になりますわ」
紫色のドレスの令嬢はやけに甘い声で言う。ソファに座っていた時に視線を感じていたのは、間違いなかったようだ。
今隣にいる女では華やかな場にならない、と遠まわしに伝えてくれたので、アシュリーはそれを粛々と受け止める。横からジェラルドの乾いた笑い声が聞こえてきた。
「……ところで、ご紹介したい方がいるのですがよろしいですか」
ジェラルドが尋ねると、二人は返事の代わりに笑みを浮かべる。どんな反応をしていいのか分からないアシュリーは、棒立ちするしかなかった。
「こちらは、私の大切な友人であるウェストビー公爵子息フィルエンドの妹君であるレディ・アシュリー・ウェストビー」
「ごきげんよう」
困ったアシュリーはとりあえず、挨拶だけすることにした。「仲良くしてくださいね」などという気の利いた言葉は、まだまだ新米のアシュリーから出てくるわけが無かった。
令嬢二人はまさかアシュリーが公爵家の令嬢であると思わなかったようで、二人して目を丸くした。微笑みも引きつり始めている。
ジェラルドはそんな二人の様子など気にせずに場を進めていく。
「レディ・アシュリー・ウェストビー、こちらは……」
そこで、何故かジェラルドは止めた。そのまま二人の紹介をするのが普通の流れなのだが、どうやらジェラルドは彼女ら自身から自分の名を言わせたいようだ。二人もその意図に気づいたようで、震えながら名前を告げた。
「わ、わたくしは……、私はブモリア家のロザネと申しますっ」
紫色のドレスを着ている令嬢もロザネに続いて名乗る。
「モッブード家の、ら、ララリアと申します。お目にかかることができるだなんて、恐悦至極ですわ」
さっきの嘲笑とは真逆の反応である。想像以上の変貌っぷりに、アシュリーは呆然とした後、自分を恥じた。身分を知ったらすぐに態度を変えるこんな人たちですら、自分は何も言い返せないのだ。こんな状況で断罪など、夢のまた夢の話だ。
せめてこのように馬鹿にされる要素は無くさないと駄目だ。もっと、立派な淑女にならなければいけない。自分のためにも。公爵家のためにも。今の自分を支えてくれているジェラルドのためにも。
この恐ろしい場を作り出したジェラルドは、彼女らの回答に満足したのか、笑みを深くする。
「ご紹介できてよかった。先ほどから、彼女に関心を持っているような声が聞こえてくるのです。そのような方を見つけられたら、お声がけいただいてもよろしいですか。こちらのレディは、このような夜会にあまり参加されない貴重なお方なので、せっかくですから皆さんとのご縁を繋ぎたいと考えています。お二人と同じように、ね」
大胆な物言いに、今度はアシュリーが目を丸くすることになった。ここまで直接的なことを言うとは思わなかった。
「は、はい……」
「もちろん、よろこんで……」
二人の令嬢は消えそうな声で返事をする。もう顔に微笑みは浮かんでいなかった。自分の家を名乗ったことで、様々な悪い考えが浮かんだのだろう。特に何もする予定はないが、今何を言っても信じてもらえないと判断し、アシュリーは黙ることにした。
すると、突然、思いもよらぬ方向から鈴を転がすような声が聞こえてきた。
「今宵はやけに小鳥の囀りがうるさいこと。ねえ、そうは思わない、アシュリー?」
肩眉を上げながら、深緑の瞳は楽しそうに輝く。淡い黄色のドレスが、健康的な彼女の美しさをさらに引き立たせていた。
「マーガレット……」
そう呼ばれたマーガレットは優雅に微笑みながら、令嬢二人に視線を好戦的にぶつける。彼女の分かりやすい挑発に、二人は竦む。ジェラルドは突然のマーガレットの登場に驚いているようだ。
ただでさえ公爵家と侯爵家が揃っているのに、マーガレットの家である伯爵家まで加わってしまったら、もう何が起こるか分からない。令嬢二人は「失礼します」と言って、その場を逃げるように去った。
去っていった二人をマーガレットはつまらなさそうに見つめる。
「もう逃げてしまうの? ほんと、つまらないわね。人のこと悪く言う暇があるなら、自分を高めればいいのに」
「マーガレット。あなた、いったい何をする気だったの……」
「あら、知りたい?」
「いいえ、やっぱり結構です」
楽しそうに笑う顔が怖い。アシュリーは全力で拒否する。聞いたら後悔しそうだ。
「そう。まあ、どちらでもいいわ。それより、アプロから聞いたわよ。あなた痩せようとしているんですって?」
アシュリーが頷くと、横にいたジェラルドが会話に入ってきた。
「一応、私がお手伝いしているんですよ。レディ・マーガレット・テルクシエ」
「そうでしたのね。騎士であるあなたがついているのなら、効果もありそうね。……確かに、少しフェイスラインがマシになったかしら」
思わずアシュリーは自身の顎や頬を両の手で触る。鏡で毎日見ている限り、変化はないと思っていたのだが、どうやら第三者からは違うように見えたようだ。嬉しくなり、思わず得意げな顔をマーガレットに向ける。
「ジェラルド様のおかげで、ほんの少しだけれど痩せたようなの。これからも頑張るわ」
「あなたがどこまで続けられるのか分からないけれど、まっ、頑張ってみることね。美を追求する人は好きよ。応援はしているわ」
肩を竦めながらマーガレットは言うが、一応本当に応援してくれているようだ。まるで念押しするように、もう一度「頑張って」と告げるとマーガレットはその場を去っていった。
残されたアシュリーとジェラルドは二人して顔を見合わせる。先に口を開いたのはジェラルドだった。
「今日は、もう、帰ろうか」
「……そうですね」
ジェラルドの提案に乗ることにし、三曲目が流れ始めた会場を静かに後にした。
会場を出た二人は、そのまま侯爵家の馬車に乗り込む。目的地は公爵家だ。
馬車が動き出すと、ジェラルドはアシュリーに頭を下げてきた。
「ごめんっ、アシュリーちゃん!」
「えっ、えっ、ええ!?」
突然の謝罪にアシュリーは驚きながら、顔を上げるようジェラルドに伝える。アシュリーが何度かお願いすると、ようやくジェラルドは顔を上げた。しかしながら、その表情は曇っている。
「気分転換になると思って誘ったのに、まさかこんなことになるだなんて……。気分を悪くさせちゃってごめんね」
「ジェラルド様は何も悪くありませんから……! むしろあの令嬢二人に色々としていただいたわけですし、こちらがお礼を言わなくては……!」
一人だったら、何も言い返せなかっただろうし、あんなどうしようもない人たちだとは知らないままだっただろう。
「名乗らずに、正面切って言えないことを言う人間を俺が嫌いなだけだし、アシュリーちゃんを誘った人間としては当然の対応だよ。そもそも、原因を作ったのは俺だし……」
ジェラルドは瞳を閉じ、沈痛な面持ちだ。
「あまり夜会に参加しないとフィルエンドから聞いていて、気分転換になるかと思ったんだけど、ごめんね」
「……ジェラルド様」
「……俺って、ほんと駄目だなぁ。またやっちゃったよ」
「また……?」
思わず聞き返すと、ジェラルドは自嘲しながら語ってくれた。
「うん、仕事で似たようなことを部下にしちゃってね。良かれと思ったんだけど、裏目に出ちゃって。他にも色々と重なって、自分に自信を無くしてさ。そんな時に父上が家を離れると聞いて、それを理由に騎士の仕事を休むことにしたんだ」
本当は長期間休む必要ないのに、とジェラルドは零す。
アシュリーは驚いた。庭の散歩で聞いた時に返ってきた回答は表の理由だったとは。こんな理由が隠されているとは想像もつかなかった。
どんな時も優しくて、紳士的で、平等で、凛々しい人。それがアシュリーの思っていたジェラルドだ。今、目の前にいる弱弱しいジェラルドの姿は初めて見る。どうしたら励ますことができるだろうか。
考えても答えは見つからない。とりあえず、アシュリーはジェラルドの発言を否定する作業を再開することにした。
「ジェラルド様、部下の方はどうか分かりませんが、少なくとも今日のことは裏目に出ていません。確かに、刺激的なことも起こりましたが、一緒に踊れて本当に楽しかったです。色々なお話が出来たのも嬉しかった。それに、夜会に参加しなければドレスが緩いことにも、顔周りが少し痩せたことにも気づくことはできませんでした!」
勢いよく言い切るも、ジェラルドは憂いを帯びた表情を浮かべていた。
「……ごめんね、アシュリーちゃん。なんだか、無理矢理言わせちゃったね。気を使わせてしまって申し訳ないよ」
「無理矢理ではありません。事実です。……それに謝られるよりかは、お礼を言われたい、です」
――――それに謝られるよりかは、お礼を言われたいかな。
以前、ジェラルドに言われた言葉をそのまま返す。
すると、ジェラルドははっとした表情を浮かべ、微笑んだ。
「うん、そうだね。……アシュリーちゃん、ありがとう」
ジェラルドからのお礼がこそばゆい。なんだか視線をあわせるのが恥ずかしくなって、手元を見つめてしまう。少しは役に立てただろうか。
「……そういえば、アイス食べ逃しちゃったね」
「あっ、そうでしたね。次は一緒に食べたいです」
「うん、次のお楽しみにしよう。……今日はとりあえず、キャラメルでも食べようか」
「はいっ!」
勢いのよい返事にジェラルドは綻びながら、いつもと同じ茶色の紙袋からキャラメルを取り出した。受け取ったアシュリーは、すぐに白い紙をはがして、口の中に入れる。
キャラメルの味は、目の前にあるキャラメル色の瞳と同じで、優しかった。




