いくさのおわり
血濡れた剣に渾身の力を乗せて、相手の身体に突き立てる。肉が断ち切れる感触が手に伝わってくる。悲鳴も上げず、ただひどく疲れた顔をして最期の吐息を零した相手。一瞬目が合い、緩やかに微笑まれた、気がした。
命が、零れ落ちたのを見届けて、剣を引き抜く。噴き出す生温かい赤。全身に浴びながら、相手が物みたいに崩れ落ちるのをぼんやりと眺めて。僕もまた、重力に従って座り込む。
「――……これで終わり、だな」
手から滑り落ちた血まみれの剣。赤く染まった手のひら。所々、乾いて赤黒くこびりついている。うなだれて、擦ってみてもなかなかその色は落ちなかった。
ざああと風が吹く。そばの草が揺れて、血の匂いをさらって行く。
草が風になびくささやかな音も聞こえるくらい、辺りは静かだった。さっき殺した相手が、最後のひとり。たぶん。死んだふりして機会を窺っているヤツもいるかもしれないけれど、警戒する元気はなかったし、それで死んでしまっても、まぁいいかと思えた。腕は重いし、立ち上がるのすら億劫。
「……つかれた」
季節は秋から冬に移ろうとしていた。吹き付ける風も冷たさを纏い、乾いた空気を運んでくる。きっと、もう少ししたら、野生の動物たちがやって来るだろう。死者しかいないこの平原は、冬ごもり前の彼らにとって、お手軽な食料調達場になる。だから、その前にここを離れなければ。彼ら相手に剣を振るえるほどの体力も気力も、残っていない。
「…………」
落とした剣を拾い上げようと掴み、持ち上げる。いつもよりずっしりと重たい。いつだってピカピカに磨き上げていたそれは、今は泣きたくなるくらい汚れていた。鞘に戻す前に服の端で血を拭う。軽く拭うと、刃がぼろぼろに零れているのがわかった。命を奪う、その行為と一緒に壊れようとしているみたいで、笑えた。鞘に戻して、それを杖がわりに立ち上がると、くらりと視界が揺れた。
「――……!」
どこか、とおく。
人の声が聞こえて、僕は瞬時に剣を抜いた。聞こえたと思った方向、斜め右後ろへ振り向く。素早く反応した体に、乾いた笑みが浮かぶ。意思とは関係なく、僕の身体は生へと動きたがる。どれだけ疲れてても。
振り返った先、まだまだ遠い場所に白いローブを翻しながらこちらに駆けてくる、一人の少女を見た。転がっている死者に足を取られるのか、はたまたただ単に地面の凹凸に足を取られているだけか。ぐらぐらと身体を頻繁につんのめらせながら、少女はまっすぐに僕を見ていた。味方か、敵か。まぁどっちにしろ、相手は女の子だし、力でどうとでもねじ伏せられる。そう判断して、剣を鞘に戻す。
そうして、彼女を視界に入れながら、惨状を見る。死屍累々という言葉がぴったりだなとぼんやり思った。
剣と盾と人と、馬、鎧。それから軍を示す旗。なんとなくの形を残し、それらすべてはぼんやりとした色で覆われている。ひとつひとつはまだ赤かったり、土の茶色が見えたりとあげることは出来るけれど、こうして俯瞰するように全体を視界に入れるとぼんやりとした色にしかならない。茶色のような、赤黒い色。
突っ立っているのは疲れて、もう一度座り込む。
「――よかった! 生きてますね!」
そうして。すぐそばまでやってきた少女はそう言って、微笑んだ。
白いローブの右胸あたりに刺繍されている紋章は、僕が所属している軍と同じ。ローブの白は癒術を専門とする後衛部隊に所属することを示す。僕に支給されたのはもっと裾の短い、黒色の上衣だ。そうそれも、この平原のどこかにあるはずだ。赤黒く重たく水分を吸って。
「戻りましょう、一緒に」
少女は僕にためらいなく、白い手を差し伸べる。
血の鉄臭いにおいが、肉が朽ち果てていく腐臭が、しないわけないのに。僕の鈍くなった感覚では強烈なはずのそれすら、感じられないが。
「……陣で、待っていればよかったんじゃない?」
そうすれば、ここまでひどい有様も見なくて済んだろう。たった、一瞬前まで息をして、生きていた人間の命を奪う、残酷さを目の当たりにしなくてすんだだろう。
「生きてる人がいるかもしれないから、探してきてって言われたんですよ。敵でも味方でも。わたしたちは、欠けた命の器を治すのが仕事ですから、誰にでも平等に手を差し伸べるんです」
「じゃあ、ここで死なせてって言ったら?」
「さっきの戦いで死ねなかったことを恨んで下さい。その、運の良さかそれとも自分の強さにか。わたしはあなたを生かすために来たんですよ、ここに」
減らず口を叩いてみても、彼女の笑みが崩れることはなかった。自分の仕事に誇りをもって、納得して従事していることがよくわかる。
それと引き換え、僕はどうだ?
口の端が、ほんの少し持ち上がる。それを見とがめたのか少女は笑みを深くした。僕の目の前に白い手を広げる。
「行きましょう」
「汚れるから、いいよ」
さあ掴まって、と言わんばかりの手を避けて立ち上がる。少女は一瞬きょとんとして、自分の手を見つめ、立ち上がった僕の手を取った。
「いいですよ。どうせこのあと、いっぱい汚れます」
掴まれた手から、じんわりと冷たさが伝わる。血濡れた僕の身体は生きたいと叫んで熱いのに、その命の器を補修する彼女は死を求めるように、冷たい。
「あ、すみません。わたしの手冷たいですよね。この気温もそうですけど、さっきまで冷水に触ってたんですよ。高熱出した患者さんがいて」
訝し気にしているのを気取られたらしい。やわらかな口調のまま、説明していく。たぶんそれは世間話の一環。僕は空っぽな相槌を打ちながら、手を引かれのろのろと彼女の後をついて行った。
あの時、僕は自軍を勝たせようと頑張っているわけではなかった。
そもそも、軍に入った事さえ、僕の意思ではなかった。
放り込まれた軍で、剣の訓練をした。体力づくりの、優雅なお貴族様の習い事の、延長線上にあったはずのそれ。なのにこうして、人に剣を突き立てて。
覚悟を決める時間はあった。
逃げても、問題はなかった。
それでも僕は剣を、人を殺めるための道具にすることを選んだ。そう、僕が選んだ。生きたいと喚く身体に忠実に。
最後のひとりに剣を突き立て、命を奪った瞬間。僕は終わったと思った。戦がとか、僕が人を殺めるのがとかそんな、ものじゃなくて。終わったという感覚。
あの時だけは、僕の身体も確かに感じていた。
やりたかったのは、こんな人殺しじゃなかったけど。だらだらと流されてきた末の道だったけれど。少なくとも、僕が選択して来た道。それが、ようやく途切れた。静かな水の流れは止まり、辿り着いてしまった。そのまま水の中に沈んでいても、岸に上がってもいい。そのまま流されていくという選択肢は、失われた。
きっと感じた「終わり」は僕の、これまでの行き方。
だから、ある意味あれは「始まり」の感覚だった。