8 小池家には天使が忍び込んできたらしい
「はあ……」
このため息は何度目だろう、と考えるとまたまたため息が出てきた。
* * *
なずなさんは既にアルバイトの方へ戻ってしまったらしく、望月先輩は一人で座っていた。
テーブルにはまだ手つかずでパイが残っている。
「……大丈夫?」
私が戻ってきたのが分かったのか、読んでいた本から顔を上げた。
考えてみると、私はゼリーを一口も食べず、いきなり財布を取りに行ったバカだ。
なのに、怒りもせず待っていてくれた。
「はい、迷惑かけてすみませんでした」
「……そんなに迷惑じゃ、ない。それより、早く食べよう」
往復は30分程度だったが、そのうちにパイは冷め、ゼリーは冷たさを失ってしまっていた。
しかし、望月先輩と食べたそのゼリーは私にとってとてもおいしいと感じた。
そんな小さな幸せが壊れたのは会計の時。
レジの店員がなずなさんだった。
お客さんが少なかったからか、すごく楽しそうに雑談している。
気心許しあえているような、出会ってすぐの私には出せない空気。
二人が一通り雑談した後、私は会計を済ませ重い気分で店を出た。
望月先輩は送ってくれると言ってくれたが、まだ7時前だし春なのでそこまで暗くない。
重い気分のまま一緒にいると関係が悪くなりそうで頷くことはできなかった。
* * *
なずなさんと望月先輩はただのいとこじゃない。
雰囲気でそのことが分かってしまった。
あくまで勘だ。
でも望月先輩の表情がいつもと違った。
そんな暗い表情を振り切ろうと気分を変えて音楽を聴こうと何となく手に取ったCDをセットするが流れてきたのは失恋ソングだった。更に気分が落ち込む。
しかし、そんな表情にも終止符が打たれた。
「どーしたの? 翼。いつもより表情が暗いよ?」
顔を上げると天がいつもとは違う優しい笑みで立っていた。
私はいつもと違う天に驚きつつ、慰めてくれたので
「ありがとう」
と感謝の言葉を口にする。すると天は
「立ち直った?」
と左に首をかしげた。
「うん、まだ少し尾を引いているけど……」
私は力なく微笑んだ。
「じゃあ、その気持ちに区切りがついたらもう一回作戦開始だよっ」
天はVサインをして私の部屋から出て行った。
* * *
その日の夕食、私はもう大体回復していた。
明日から望月先輩達にゆっくりと聞いていこう、と決意をするほどに。
その日はいつもよりゆっくり食べながらいろいろ考えていた。
どうやってこのことを確かめようかとか、もし私が予測した出来事だった場合どうするかとか……。
しかし考え事をしながら食べていたせいで天に
「翼、から揚げ食べないの? じゃあ私がいただいたぁ!」
とひょいと右手で持った箸に奪われてしまったが。
「こら! 勝手に人のものを食べちゃだめだ、天」
真琴がしかってくれたがその頃の私はまた考え事を始めるのだった。
* * *
皆が寝静まった頃、アタシは小池家にいた。
小池翼はアタシの敵だ。
だから空となずなの記憶を消さなくてはならない。
もう二人の記憶は消し終わった。
あと、翼だけ。翼だけで終わりだ。
ついでに翼は空に関わること全てを消しておこう。
そうすればもう主の恋は叶う。
今の空の心は主と翼の間で揺れているのだから……。
アタシが翼の記憶を消そうとしたその時、
――コトッ
と小さなしかし人がいるという合図ともなるべき音が聞こえた。
ここにいてはまずい。
そう判断し私は主の元へと向かう。
翼の記憶を消すのは明日でもいい。
しかし人に見られると後々大変だ。
私はこっそりと部屋を出た。