9.
N高には、美人で賢く、性格もよいという3拍子がそろった女子がいる。
吉永 理世だ。
あまりに美しく、気高く、清楚な雰囲気に気圧されて、男子の誰もが憧れていても、そばに近寄れる者はいなかった。
その吉永が、高頭に告白したという噂が広まり、教室がざわついていた。
普段、全くクラスの動向を気にかけない椎名の耳にもその噂は耳に入ってきた。
高頭は、実際非常に女子にモテた。
成績は、常にトップクラスで、サッカー部の主将をつとめており、全国大会にも出場するような有名な選手だった。
頼もしく、男気にあふれていた。少しクールで寡黙なとこも女子からしてみれば、魅力的だったんだろう。
まとめ役に任命されれば、見事にその場を仕切り、ゴールへと導く。
頭の回転も早く、口で言うより先に動くタイプだった。
顔も整っており、浅黒い肌に、大きな切れ長の目が涼し気に光る。
高頭が通り過ぎるときは、一斉に女子が高頭の方を見る。
通りすぎた後も振り返り、眺めているような調子だ。
ここまでモテる高頭であったが、誰とも付き合うことなく、いつも男子とばかりつるんでいる。
高頭からちょっかいを出すのは、椎名に対してだけ。
女子たちも不思議がっていたが、高頭が硬派な男だからだろうということで落ち着いていた。
そんな高頭に釣り合う女子がいるとしたら、吉永しかいなかった。
お似合いのカップルである。
椎名は、そのことを聞いても別段気に掛ける様子はなかった。
高頭が、誰と付き合おうと関係ない。
女子の誰でもいいから付き合って、自分への関心をなくしてほしいと心から願っていた。
はずだった。
でも、実際、高頭と吉永が二人でいるところを目撃し、椎名は自分の心がざわつくのを感じていた。
なにこれ?
よくわからない感情が頭をゆっくりもたげ始めた気がした。
見たくない。
直観的にそう思ってしまった自分が、信じられなくて、混乱した。
本当にお似合いの美男美女のカップルだった。
周りも認めるような誰にも邪魔できないような、入り込む余地のないような整った二人だった。
椎名は、自分の中に生まれた小さな違和感を、のどになにかつっかえたようなむずがゆい何かを感じたが、必死で気づかないようにした。
その違和感は、椎名の中で膨れ上がっていくのだったが、今の椎名はそれを知る由もない。
◇◇
高頭は、吉永に呼び出されて、告白された。
周りの男子が吉永のことを美人だとか付き合いたいとかいろいろと騒いでいたが、高頭は単刀直入にいって、全く興味がなかった。
高頭の関心は、幼いころから何も変わらず、椎名だった。それは今も変わらない。
椎名の一挙一動のすべてが、自分の心をざわつかせ、あの目に見られると胸が熱くなる。
何度も何度も高頭は、椎名を抱きしめたときの感触を思い出していた。
そんな狂おしいほどの感情が、吉永を含む女子に一切湧いてこなかった。
みんな同じ風景の一部としか考えてなかった。
だから、吉永に告白されてもなんとも思わなかった。
迷惑とすら思ったが、下手なことを言えば、厄介なことになる。
「受験に集中したい」というまっとうな嘘で、断ったが、吉永はなかなか引き下がらなかった。
クラスの違う吉永が、告白してからというものしょっちゅう高頭の元にやってくるようになった。
付き合ってもいないのに、そばにきて、にこやかに話しかけてくる。
高頭は、とりあえず適当に相づちを打って、その場をやりすごしていた。
しかし、周りからみれば、二人は付き合っているとしか思えなかった。
絵に描いたような完璧なカップルに、誰も文句を言うものはいなかった。
登下校の際よく一緒にいるのをみんなから目撃されていた。
椎名もよくその光景を目撃していた。
二人が仲睦まじく、寄り添っているのを。
実際は、吉永の片思いであったが、椎名はそんなこと知る由もなかった。
椎名は、苛立っている自分に驚いた。
あの登山の日以降、高頭は一切話しかけてこなかった。
まるで、自分の存在なんか忘れ果てたような。
それをどんなに望んだかしれないのに、実際そうなると椎名の胸にぽっかりと穴があいたようだった。
椎名は、自分の裏腹なわけのわからない思いから解放されたくて、図書館に向かった。
本の中に入ってしまえば、きっと忘れられる。
この変な気の迷いも、心のざわつきも。
しばらく本を読んでいたら、目の前の席にどさりと誰かが座った。
椎名が視線を上げるとそこには、高頭がいた。
心臓が跳ね上がった。
いつもとは違う動揺だった。
生唾をごくり飲み込み、本に集中しようとするが、全く集中できない椎名がいた。
いつまでも高頭は話しかけてこない。
ただ座ったままぼーっとしている。
図書館には、誰もおらず、席は有り余っているのに、自分の目の前に座った高頭。
何を言われるのかと冷や冷やしながら、内心声がかかるのを少しだけ期待している自分もいて、またも驚いた。
待っても待っても、高頭は何も言ってこなかった。
この沈黙に耐えられず、ついに椎名が口を開いた。
椎名から高頭に話しかけたのは、二人が出会ってから初めてのことだった。
「吉永さんは?」
「逃げてきた」
高頭の言葉が理解できずにいた。逃げるって、何? 彼女なのに。
「彼女なんでしょ?」
「ちげーよ」
高頭の即答に、驚いて、本から視線を高頭にやる。
「好きでもなんでもねぇ」
まっすぐ椎名の目を見て、高頭が言い切った。
「断ったのに、付きまとわれてるだけ」
その回答に安堵している自分がいることを、椎名は認めたくなかった。
「なんで・・・断ったの? 学年一の美人なのに」
「・・・・・・」
椎名の問いに、高頭はしばらく沈黙して、はっきりと言った。
「他に好きなやつがいるから」
「その人とつきあえばいいじゃん」
「そいつには、別に好きなやつがいる」
高頭は、遠い目をしてつぶやいた。
そして、大きなため息をついた。
高頭がこんな寂しそうな表情をするのを初めて椎名は見た。
こんな表情をさせる相手とはいったい誰なのか。
椎名は、まだみぬ高頭の想い人を想像して、その人物に嫉妬している自分がいることに気づいた。
「その人に、気持ちは伝えたの?」
「別のやつに夢中なのに、好きだって伝えたら、お前なら振り向くのか?」
高頭の問いに、すぐさま回答できなかった。
相変わらず、並木が好きなのは変わりなかった。
今の自分は、誰に告白されようとその思いにこたえることはできない。
椎名は、うつむいたまま横に首を振った。
高頭は、そんな椎名をじっと見ている。
やっぱりなという感情とともに、椎名を眺めた。
その二人の会話をどこから聞いていたかわからないが、吉永が泣きながら近づいてきた。
「好きな人がいるなら・・・なんで言ってくれなかったの?」
綺麗な顔から、涙がぽろぽろと流れ落ちる。
椎名は、余計なことをしてしまった自分を悔いた。
高頭は、澄ました顔をしている。
高頭は、吉永のほうを向き立ち上がった。
「吉永、ごめん。正直に最初から言うべきだった。
俺には好きなやつがいる。そいつのことしか考えられない」
吉永は、嗚咽しながら、踵を返し、図書館を走り去ってしまった。
「うまくいかねぇな」
高頭の言葉が、今の全員の気持ちを表すものだった。