4.
翌朝、椎名は重い足取りで学校へ向かった。
正直、今日ほど学校に行きたくないと思った日はなかった。
何もかも失う日。
椎名はそう思っていた。
この世の終わりのような表情をして、椎名は教室に入った。
もうどこまで広まっているだろうか。
クラス中の視線が自分に集まっているような気がする。
椎名は、席につき、ホームルームが始まるまでの間、本の世界に逃避しようとした。
そこに、ふらりと高頭がやってきた。
「安心しろ。誰にも言ってねぇーよ」
予想もしない言葉に、椎名は固まる。
「なんのこと?」
椎名は精一杯白を切る。
「並木のこと」
「並木のことなんて、なんとも思ってないけど」
椎名は、心にもないことを言って、自分で自分が傷つくのがわかった。
「・・・・・・」
高頭が、またじっと椎名を見つめる。
「思ってもないこと言うの、辛いだろ?」
またも予期せぬ高頭の言葉に、椎名はたじろぐ。
「僕が、誰の事好きだろうと、高頭に関係ないじゃん」
「ごまかすなよ」
高頭には、何もかも見透かされている。椎名はそう確信し、何を言っても無駄なような気がしてきた。
そのとき、並木が入ってきた。
「おはよう!みんな!」
低くしなやかな声が、教室に響く。
さわやかで、自然な笑顔が今日も椎名の心を一瞬で癒す。
こんな絶対絶命のときでも、椎名の心は、並木を見ると湧き立つ。
青ざめた絶望的な表情の中に、希望の赤みがさすのだ。
それを高頭は見逃さない。
その一瞬の椎名の心の高鳴りを察知して、高頭は自分自身がどす黒く塗りつぶされていく感覚に襲われた。
そんなにも並木が好きなのか。
自分には、一切見せたことのない表情。
高頭は、自分の席に戻り、並木をにらみつけた。
この状況をどうしたらいいのか高頭は昨日からずっと考え続けている。
椎名への今までの自分の仕打ちを考えて、高頭は絶望的な気持ちになっていた。
当然のことだが、好かれるはずもない。
今まで椎名に近づく者がいれば、すべて排除してきた。
椎名を孤立させ、自分が椎名の何もかもを支配したかった。
実際、支配してきたと思っていたのに、心だけは支配できなかった。
ホームルームが終わり、並木が出ていく。
1時限目が始まる。
高頭は、椎名をずっと眺めていた。椎名の一挙一動をすべて見逃さないように。
この数か月ずっと見てきた。
授業中も休み時間も。考えない日はなかった。
いつも本当は、優しい言葉をかけたかったのだが、なぜかいつも冷たい言葉をかけ、気持ちと裏腹な行動にでてしまう。そのたびに、ひどい後悔の念にとらわれた。
二人きりになりたいと何度も思ったが、二人になると言葉すらまともにでなくなる自分がいた。
いつも仲間とつるみ、嫌がる椎名にバカなちょっかいを出してからかい笑っていた。
自分のアホさ加減に、反吐が出た。
一次元目が終わり、15分の休憩に入る。
高頭は、また椎名の元に行き、告げた。
「放課後、話がある。校舎裏に来い」と。
◇◇
椎名は、高頭の予想に反した言動にずっと戸惑っていた。
何か裏を感じながら、真綿で首を絞められる感覚だった。
殺すなら殺せ。
そんなことを叫び出しそうだった。
いつも高頭は、椎名のほうを見て、ニヤニヤと残虐な笑みを浮かべていると椎名は思い込んでいた。
椎名は高頭の想いを全く理解していなかった。
なぜこんなにも執拗に執念深く何年にもわたって、自分をいじめるのか。
自分が、一体何をしたというのか。
椎名は皆目見当がつかなかった。
何か自分は高頭に悪いことをしてしまったのか。
謝って済むことであれば、何度でも謝りたいと思った。
この苦痛から何とか解放してほしかった。
そっとしといてほしかった。
普通の学校生活を送りたい。
普通に友達がいて、いろんな話をして、笑い、喜び、たくさんの思い出を作りたかった。
でも、今の自分には友達一人おらず、好きな人ができても想うことすら許されず、なんの思い出もなく、寂しい空っぽの人間になってしまっていた。
全部、高頭のせいだ。
あの男が、自分からすべてを奪っていったのだ。
何か手に入れようとすれば、奪い、変わろうとすれば、押し戻し、抜け出そうとすれば閉じ込められた。
アイツから解放されたい。
アイツの目の届かないところへ行きたい。
何度そう願ったことか。
高校進学で叶うと思っていたのに、まさかの高頭のN高進学でその夢もついえた。
アイツは、きっと俺がこの世にいるのが許せないんだろう。
俺をこの世からきっと抹殺したいんだ。
高頭の想いは椎名には、微塵も伝わってはいなかった。