2.
椎名と高頭は、小学校のときから一緒だった。
椎名は、色が白く、全体的に体の小さなはかなげな少年だった。
おとなしく、ずっと本を読んでいる。控えめに笑う姿はまるで女の子のようだった。
一方、高頭は、活発で常にグループのリーダーであり、やんちゃなガキ大将といったところであった。
体も大きく、日焼けした浅黒い肌が健康的な子供であった。
ちょっとクラスでも浮き気味だった椎名を高頭がからかった。
「おい、女男! 気持ち悪いんだよ! オカマ! オカマ!」
高頭が、みんなの前で椎名を罵倒すると、女子も男子も大笑いして、一緒に叫ぶ。
「オカマ! オカマ!」
椎名は、耐えられなくなって、その場で泣き出す。
それを見て、また周りは笑う。
「泣いた、泣いた! 女みたいに泣いた! 泣き虫オカマ!」
子供という生き物は、本当に残酷だ。
あとさき考えずに、その場のノリで倫理観が吹き飛ぶ。
集団化するのも早い。
集団から外れたら最後だ。
小学校一年で同じクラスになり、その後クラスが分かれても高頭から椎名へのいじめは執拗に続いた。
高頭は、ボスだったため、誰も彼に逆らうものはいなかった。
椎名の友達になるものはいなかった。椎名を守る者はいなかった。
なぜ、こんなにも高頭が、椎名に固執するのか。
高頭自身もよくわかっていなかったが、なぜかひどく椎名のことが気になった。
椎名が、他の誰かと話をしていると無性に腹がたった。
椎名が、他の誰かを見ていると苛立ち、すぐにからかいにいった。
椎名が、自分以外の何かに関心を向けているのがなぜか嫌だった。
一度、あまりに本に熱中しているので、読んでいる本をとりあげて、教室の窓から投げ捨てたことがある。普段、何をしても押し黙って、じっとしている椎名がその時ばかりは、バンッと机をたたき、怒りをあらわにした。でも何も言わずに、教室から出ていき、投げ捨てられた本を取りにいった。
それ以来、高頭は本には手を出さなくなった。
椎名は、高頭に対する唯一の反抗なのか、絶対高頭と目を合わせなかった。
そのことが、高頭の怒りに火をつけ、より深いいじめの原因になっていることを椎名は知らなかった。
小学校から高校まで、椎名は一度も高頭を見なかった。
ここまで、いろいろと干渉しているのに、自分の存在がないものとして扱われているようで、高頭は椎名にバカにされているようで、憎しみの念さえ抱き始めていた。
中学に入り、あの椎名に友達ができた。
長瀬 裕也だった。
椎名が、読んでいる本に興味をもち、本の話題で話をするようになったのである。
クラスが違っていた高頭は、二人が図書館で何やらひそひそと話しながら笑いあってるのを初めて見て、世界が歪んでいくような怒りに襲われた。
笑っている椎名を見るのは、小学校の入学式以来だった。
その笑顔は、自分以外の他の誰かに向けられている。
どす黒い感情が、高頭を覆っていった。
二人の友情を壊すのは造作なかった。
椎名が、陰で長瀬の悪口を言って回っているとこっそり教えるだけだった。
それだけで、簡単に崩れた。
また、椎名は一人になった。
お前に友達なんて作らせない。もう誰も近寄らせず、深く本の世界に入り込んだ椎名を眺めながら高頭はほくそえんだ。
中学3年になり、高校受験となったとき、高頭は椎名の受験先が気になって仕方なかった。
椎名自身は、高頭と離れられる唯一のチャンスだったので、高頭に何度聞かれても受験先は決して口にしなかった。
県内には、二人が通える範囲で、二つの進学校があった。
県内トップクラスが、K高。成績トップ30人が東大へ行くほどの進学校だ。
N高は、県内4位の進学校で、ほとんどが地方国立大や私大への進学するくらいの学力の学校だった。
高頭の成績であれば、当然K高進学と思われたが、彼は合格していたものの私立K高にはいかずに、公立N高を選んだ。
椎名がN高に合格していたからだ。
学校なんて、どこに入っても一緒であると考えていたし、それよりも椎名と離れることが高頭には考え難いことだった。
このころには、高頭は、椎名に対する自分の思いに薄々気づき始めていた。
必死で気づかないように、見ないようにしてきたが、膨れ上がった感情に向き合わないのは無理があった。
小学校の入学式で、桜咲く並木道の中で、桜を見上げて笑っている椎名を見たときから、心奪われていたのだ。でも、相手が男であり、自分も男であることに戸惑い、その思いがなんなのか気づけずにいた。
友達になるきっかけを見失い、からかって泣かせてしまった。
嫌われてしまったことがショックで、さらに嫌われるようなことを重ねてしまった。
高校になった今も、相変わらず小学生のような真似をしている自分に腹立つこともあったが、椎名との間にできてしまった深い溝を埋める方法など、高頭の頭には全く思い浮かばなかった。
一方、椎名は、高頭は必ずK高へ行くものだろうと踏んでいた。
ところが、まさかのN高進学に愕然とした。
ようやく、いじめから解放されて、新しい生活が始まると思ったのに、また同じような3年間を過ごす羽目になる。地獄のような日々が容易に想像できた。
椎名の心は折れてしまい、もう学校を辞めてしまおうかとも思った。
でも、その勇気もなく、高頭からの陰湿はいじめに耐えながらなんとか学校に通った。
そんな椎名の地獄の日々に、一筋の光が差したのは、2年前に異動してきた並木の存在だった。
シュッとした佇まいの中に大人の余裕を醸し出し、飄々としていながらもきちんと生徒のことを考え、向き合ってくれる良き教師であった。
椎名と並木の直接の出会いは、椎名が高校2年のとき、図書室で太宰の文学全集を読んでいたら、並木が声をかけてきたのがきっかけだった。
「太宰か~。俺も読んだな~。今この時期に太宰に出会えたことは幸運だと思うよ。
俺もちょうど思春期に太宰と出会ってね。なんというかやっと理解者に出会えたような気になったよ」
理解者という言葉に椎名ははっとした。
同じ思いを太宰の作品に対して持っていたからだ。
その言葉をきっかけに急速に椎名は並木に惹かれていった。
並木は1年の担任で、ほとんど接点はなかったが、学校内で並木の姿を見かけるだけで、椎名の心は波だった。
こんなことは初めてだった。
際限なく、眺めていられる。
ずっと見ているだけで、胸が熱く、痛みが走るような。
どうしようもないこの感情が、恋なんだと悟るまでそう時間はかからなかった。
誰にも悟られてはならない。たとえ並木であっても。
瞬間的にそう思った。
誰かにばれてしまったら、この恋も自分も終わる。
椎名は、誓った。
ひそかに、思い続けると。