9.誘拐騒ぎの顛末は
馬車が止まったと同時に、体がガクンと揺れ目が覚めました。あらあら私ってば、色々考えている内に寝てしまったみたいです。
どのくらい時間がたったのでしょう。よくわかりませんが最初よりは薄暗いような気がします。
「おい、ねーちゃん。寝てんのか」
目隠しと口を覆っていたハンカチを外されて、自分がまだ幌馬車の中にいることを知りました。薄暗いのは幌の中だったからなのですね。
寝ていたので正確なところは分かりませんが、おそらく数時間ぶりに見るおヒゲさんは、相も変わらずでっぷりとして、威風堂々です。あれ? これじゃ褒め言葉になっちゃいます。違う違う、ふてぶてしい態度です、が正解です。
私は出来る限り眉間に力を込めておヒゲさんを睨みました。
「私をどうする気なんですか」
「アンタをどうこうしたい訳じゃないんだよねぇ、こっちも。ただ、アンタのお師匠さんに、ちょっとした薬をつくってもらいたいだけなんだ」
おヒゲさんはちっとも怖がる気配はありません。うわーん。なんだか舐められていますよ、悔しいです。
「じゃあ普通に注文してくださいよう」
「それが何度言っても断られてるから困ってるんじゃないか。あれだけ金払いよく仕事を注文してやったのに」
おヒゲさんは口髭をさすりながら、黒い服の男の人達に私を運ばせました。木を組んで、四角く作っている倉庫のような小屋です。
ポイ、と荷物を投げ込むように置かれて、お尻がズズズッと滑ってしまいました。
「いたーい。もう! おじさん、手のロープも外してください」
「それまで外したらアンタ逃げちゃうじゃないか」
「それはそうですけど。そもそもなんで私が誘拐されなきゃならないのですか」
「だからそれはさっき言ったろ!」
言いましたっけ? ああ、お師匠様に薬を作って欲しかったんでしたね。でも私を誘拐したってお師匠様が薬を作ってくれる訳無いじゃないですか。
おヒゲさんは、大きなお腹をぽんと叩いて難しい顔をします。
「自白剤、睡眠剤、そこまでは良かったのに。どうしても腹下しの薬をつくってくれない」
「腹下しですか? 便秘でも?」
「いや、まあ、そういう訳じゃないんだが」
おヒゲさんが表情を曇らせたのを見て、私は口をつぐみました。
可哀想に、便秘なのですね。そのポンポンのお腹には確かに一杯詰まっていそうです。でもそれなら同情の余地があります。
「私がお願いしてみましょうか? 何本必要ですか?」
「五十本だ」
「そんなに?」
もう一度おじさんのお腹を見ます。うーん。確かに大きいけれど。
「……一本で、ちゃんとすっきりしますよ?」
「ええい。俺が飲むわけじゃないって言ってるだろう!」
「あれ、そうでしたっけ」
また勘違いをしてしまったみたいです。五十本だとしたら、先日の自白剤の時と同じ数です。おヒゲさんは、お薬屋さんでもしているのでしょうか。
お師匠様がお薬の注文を受けないのは何故なのでしょう? 転売されてると知ったから?
「とにかく、今手下がイーグさんの家に脅迫状を置きに言ってるから、お前は大人しくしてろ」
「どうして私を攫ってくるときに一緒に置いてこないんですか。二度手間ですよ」
「うるさい、忘れたんだ!」
おヒゲさんも割とうっかりサンなんですね。妙な親近感が湧いてきました。
「とにかく、大人しくしてろ!」
おヒゲさんはたぷたぷの体を翻し、大きな音を立てて扉を閉めました。ガチャリ、と重たい音。どうやら鍵も掛けられてしまったみたいです。
一応目と口は自由になったものの、腕は相変わらず縛られていて身動きは取れません。
この状態では逃げられそうにありませんね。大声は出せますけど、ここから叫んだって外に聞こえるかどうか。
「困りましたね。どうしましょう」
腹薬がほしいだけの為に誘拐するだなんて、なんて人なんでしょう。そんなに太ってるのを気にしているなら、運動でもすればいいのに。
とにかく、思いつくだけの悪口を言って気を紛らわせることにします。
「おじさん、そんなことしてると女の子にもてないですよ」
「うるさい!」
「それに腹下しのお薬よりダイエット薬をつくってもらった方がいいかもしれないです」
「お譲ちゃん、何気に失礼だぞ!」
最初はこんな感じで扉の向こう側から反応があったのですが、しばらくすると何にも言い返されなくなってしまいました。
いやん。退屈です。一体今は何時なんでしょう。
この小屋には上の方に明かりとりの窓がついているのですが、最初に入った時より、薄暗くなっているのは間違いありません。
もうすぐ夕飯の時間でしょうか。帰らなかったらきっとママも心配します。お腹もすいてきたし、困りました。
「いい加減、誘拐なんてやめましょうよう」
悲しくなってきて大声で叫びましたが、おヒゲさんからは反応がありません。徐々に寒さも忍び寄ってくるみたいで、ブルっと身を震わせて肩をすくめます。
どうしましょう。パパ、私がいなくなったら心配しますよね。ママなんかボロ泣きしちゃうかもしれないです。
お夕飯の時間に、泣きながらお鍋をかき回すママが頭に浮かんできました。ああママ、泣かないで。私も、ママのおいしいご飯が恋しいです。そんなママを慰めるように、パパとアミダが傍に立ちます……。
……ああでも、そうです。
今はアミダがいたんでした。だったら、パパもママもそんなに寂しくないかも知れません。
アミダは、私がいなくなったらどうなんでしょう。
困らない……ですかね。私がいてアミダに得になることなんか別にないですし。オリジナルがいない方が、のびのびやれるかもしれません。
お師匠様だって、力仕事をやってくれるアミダがいたら楽だろうし。
そうです。他の皆だって、アミダがいれば平気なのかも知れません。
私と同じ顔のアミダ。性別が変わってしまったけど、ドジなところといい、皆に可愛がられるところといい、以前の私にはアミダの方が近いような気がします。
もしかしたら、私の方が薬で出来た分身なのかもしれません。だとしたら、このままいなくなっても、誰も困ったりしないかも……。
「……ううう、嫌です」
そんなことを考えていたら本当に涙が出てきました。
私はここです。お願い、探してください。私の事、忘れないでください。
「お、お師匠様ぁ。お願い、来てくださいぃ」
ぼたぼた泣きながら、何度もお師匠様を呼んでいたら、入口の方から騒がしい音が聞こえてきました。
「な、なんでここにいる? 閉じ込めておいたはずなのに」
おヒゲさんの声です。引きつった声はまるで怯えているみたい。
「あなたは重大なミスを犯したのよ。私は魔女。抜け出すのなんて簡単に決まってる。この私をさらうなんてバカなことをする男には呪いが必要だわ」
私と同じ声で何やらおどろおどろしい言葉を、棒読みで語っているのは、……もしやアミダ?
「や、やめろ」
「うるさいわね。じっとして。さあ、これを飲みなさい」
「やめ、うわああああ」
一体外では何が起こっているのでしょう。アミダは棒読みなのに、おヒゲさんが本気で怖がっているので、そのギャップが余計恐ろしいです。
それからもドタドタと足音がいくつか響いて、少しすると静かになりました。
「アミ? ここにいるの?」
扉を叩きながら聞こえるのはアミダの声。
「こ、ここです。ここにいます」
「ちょっと待って、カギを。あれ? カギはどこだろう」
ああん。イマイチ決まらないです、アミダ。カギはきっとおヒゲさんが持ってるんだと思うのですけど。
「どけ、アミダ。カギならぶんどってきた」
そこへ、お師匠様の声がしました。聞いた途端に目頭が熱くなって、再び涙がポロポロこぼれてきます。
良かった。助けに来てくれたんですね?
私、お師匠様にとって要らない子じゃないですね?
ガンガンと荒っぽい音が鳴った後、ギィと鈍い音を立てながら扉が大きく開きました。
そこには怖い顔をしたお師匠様がいて、私を見つけるなり持っていたカギを投げ捨てて駆け寄って来てくれました。
「アミ! 無事か」
「お師匠様ぁ」
走って抱きつきたい。……ですのに、腕が縛られていて身動きが取れません。嬉し涙があふれ出して、同時にお鼻もグスグスします。あああ、鼻水は見せたくないです。私、かなりテンパってきました。
「よしよし、もう大丈夫だぞ」
お師匠様は私の腕の絡まりを取ると、上着を脱いで私を包んでくれました。
袖の辺りで涙を拭きつつ、こっそり鼻もかみましょう。
ごめんなさいお師匠様。後で洗濯して返しますから。