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魔法薬あります  作者: 坂野真夢
番外編
33/34

Episode5 呪いと婚約者・10

 その後、お父様が北の町からターニャさんを連れてきてくれました。ターニャさんはとても不満そうでしたが、お父様には頭が上がらないらしく、渋々赤ちゃんの体に呪い解除の呪文をかけてくれました。


「お、おぎゃあ、おぎゃあ」


 目覚めたとたんに大泣きを始めたアイーダを、私はようやく抱きしめます。


「よしよし、お腹空きましたか?」

「おぎゃあ!」


 おっぱいに手を伸ばすアイーダ。うわあい、カワイイです。ようやく自分でおっぱいをあげれるのですね。


 いそいそと寝室に移動しておっぱいを咥えさせてみます。憧れの授乳ですよ。ドキドキします。

 と、ウキウキで望んだのに、思うように飲んでくれません。不満そうに口を離し、再び泣き出します。


「アミダ、どうやったらいいんですか!」


 慌ててアミダに聞く私。今や猫のアミダが授乳の先輩とは、トホホです。


「ちゃんと口いっぱい広げさせてから咥えさせないと駄目だよ?」

「こ、こうですか。あれえ、外れちゃった」

「……自分でがんばりなよ、アミ。猫の手じゃどう頑張っても手伝えないんだから」

「うわあん。はいぃぃ!」


 初めての自分での授乳はとっても大変でした。思えば、アイーダだってずっと眠っていたのですから飲み方を知らないのですよね。


 あんまりにも上手くできなくて、泣きたくなったりもしましたが、投げ出したいとは思いませんでした。

 出来なかった時の切なさを、覚えているから。結果が失敗だとしても、挑戦出来ないことに比べたらずっといい。まして今はアミダが横で見ていますもの。私、絶対泣き言など言いません。頑張ります。


 他にもオムツを替えたりと、私にとっては初めての赤ちゃんのお世話をしました。バタバタ動く足を抑えるのは大変で、私の手がもう二本くらいあったらいいのにと思うようなことばかり。


 ママになるって、凄いんですね。これをやってたアミダに尊敬の念が湧いてきます。うちのママもお師匠様のお母様も、こんな気持ちを超えて今があるのでしょうか。だとしたら、お師匠様はやっぱり望まれて生まれてきたんですよ。

 一人目の時はこんなに大変なんて分かっていなくて産んじゃいますけど、二人目の子供は、辛いのも大変なのも分かってて、それでも生まれてきて欲しいって願うのですもの。


 

「はあー。終わりましたー」


 ようやくお世話を終え、ぐずるアイーダをあやしながらリビングに戻ると、お師匠様たちは難しい顔を突き合わせていました。


「……ってことは、そこで魔法が使われたってことか?」

「おそらくね。多分精神状態がそのまま出るんだと思うわ。ターニャちゃんは魔法の気配を感じたんでしょう?」

「そうよう、おば様。やっぱりこんな危険な子とは別れさせて、私と結婚するようイーグに言ってやってくださよう」

「ターニャは黙ってろ!」


 何でしょう。揉めています?


「あ、あぶぅぅぅ」


 お師匠様の怒鳴り声に、アイーダが泣き出してしまいました。

 私がギュッと抱っこして、アミダが尻尾で頬を撫でるとようやく落ち着いてきましたが、軽くしゃくりあげています。


「お師匠様、アイーダがびっくりしますよ」


 私の責めるような視線に、お師匠様はバツが悪そうに頭をかくと、私達を呼び寄せました。


「悪い。でもちょっと座れ。アイーダはゆりかごにおいて」

「え、でも」


 ようやくご機嫌が直ったのに、またぐずられると大変なのですけど。


「わしが抱いていてやろう、アミちゃん」

「助かります、お父様」


 快く言ってくださったお父様にアイーダを渡し、緊迫した雰囲気のあるテーブルにつきます。真正面にターニャさん、隣にお師匠様とお母様。いずれも私の顔をジーっと見つめています。

 ああああん、なんか怖いんですけど。


「……今回の入れ替わり現象の原因が分かった」

「え? そうなんですか? どうしてなんですか?」


 お師匠様ったら凄いです。どうやってそんなの分かったのですか。


「ターニャの話と親父たちの見解を全部あわせて考えると、原因はアミ、お前だ」

「えええええ! 何でですか、私何にもしてないですよ」

「お前、普段から無意識に魔法を使ってんだよ。それで、ターニャが来た時に出したお茶に、混乱の魔法をかけていたみたいなんだ」

「お茶に?」


 お茶に魔法なんかかけれるんですか!

 ああでも、そういえばママにお茶を入れてあげたときは、『アミちゃんのお茶を飲むと元気になる』って言われましたが。


「お前、ターニャが来た時、かなり混乱してなかったか?」

「して……ましたね。そりゃあもう、頭ぐるぐるってくらいに」


 だって。いきなり婚約者とか言われたら、正妻としてはパニクって当たり前じゃないですか。


「その時のお茶から魔法の匂いがしたのよ。ムニャもそう言ってるわ」

「ぶみゃーご」


 ターニャさんの使い魔さんまで同意しています。


「え? ってことは」

「お前はそのお茶飲んだんだろ? ターニャは飲まなかったそうだから、その茶だけだと何が起こるのかは分からんが、ターニャの呪いと混ざって体内で入れ替わり現象が起こったってことだと思う」

「そ、そうなんですかぁ」


 そんな凄い魔法を無意識で使っていたことにビックリですけど。

 呆けた返事をしたら、いきなりお師匠様のこぶしが脳天に落ちてきました。


「そうだよ。アホ! だから俺が帰ってくるまで実家で待ってろって言ったんだ!」


 うひゃあああ。久々にお師匠様から怒られました。怖いですぅ。


「ご、ごめんなさい。でも、お師匠様痛いです!」

「ごめんじゃ済まん。これから半年ぐらいかけてみっちり魔力のコントロールを教えてやる。言っとくけどスパルタだからな」

「はいぃぃ!」


 本気で怒ってますー。いやーん。どうしましょう。


「で、でもお師匠様」

「なんだ」

「大変でしたけど、アミダがちゃんと戻ってきてくれたから良いこともあったじゃないですか」


 なけなしの反論に、お師匠様は間の抜けたような顔をして、それからくしゃっと笑いました。


「……まあ、な」

「終わりよければすべて良しですよう!」

「でもそれをお前が言うな」

「みゃーおん」


 アミダまで、そうだよって感じで一鳴きします。

 あああん、結局悪いのは私なのですかー。仕方ないです。明日からは修行を頑張ります。



「……ぷっ」


 不意に、お隣の席から吹き出したような声がして、私もお師匠様も目を疑いました。


「あ、あはははは。ごめんなさい。可笑しい。イーグがこんな風になるなんて」


 笑っているのはお母様です。あの無表情だったお母様がですよ。私はびっくりしちゃって何にも言えなくなってしまいました。


「おふくろ……」


 それはお師匠様も同じのようで、私よりももっと複雑な顔をして、笑うお母様を食い入るように見ています。


「よかったわね、イーグ。この子といたらあなた間違ってる暇なんか無いわ」

「……っ」

「あなたを、正しい方に連れて行ってくれる子よ」


 そう言うと、お母様は真顔になって立ち上がり、私の手を握りました。


「イーグをよろしくお願いします、アミさん。……私はこの子を傷つけてばかりの母親だったの。だから、何も言う資格は無いのだけど。あなたみたいな人がイーグの傍に来てくれて安心したわ」

「お母様」

「ちょっとーおばさままで! こんな小娘のどこが良いのよー!」


 ああん、ターニャさん、うるさいです。


 よく分かりませんが、私は感動です。だって、お母様が笑ってくれて、お師匠様が照れていて。二人ともなんだかちょっと嬉しそうなのですもの。






 その夜、食事を終えた私は、アイーダをお師匠様にお任せしてお母様との時間を作りました。ターニャさんはお父様に送られてお帰りになったので、余計な茶々も入らないはずです。


  正直、お母様の事はよく分かりません。優しい人なのか怖い人なのか。だけど今は、優しい人だと信じたいと思っています。さっきの笑顔がとても素敵だったのですもの。


「お庭で話さない?」

「はい!」


 お母様の提案に従って、夜のお庭に出ます。まん丸のお月様が、私達を見下ろすように夜空にぽっかり浮かんでいて、予想以上に明るいです。足元もしっかり見える。今日は満月なのですね。


「お母様、色々ありがとうございました」

「いいえ。私は何にもしてないもの」

「そんなこと無いです! お母様が来てくださらなかったら、きっとまだアイーダの体の中で途方にくれていました」


 私がぺこりと頭を下げると、困ったように笑います。


「アミさ……ちゃんは素直ね。それに、何でも良いほうに考えてくれるのね」

「え? そ、そうですか?」

 

 でも私も、やきもちもいっぱい焼きますし、いつもテンパっては自分のことばっかりになってしまうのですけど。


「安心したわ。イーグを頼むわね」

「はい。いやでも、どちらかと言うと私の方がドジばかりしてしまっていて迷惑をかけているのですが」

「そんなことないわ。今回のあなたたちを見ていて分かった。イーグはあなたに救われているのよ」

「お母様?」


 お母様はその美しい横顔を空に向けます。月明かりが白いお顔を照らして、その白い顔をますます白く、幻想的なものへと変化させます。まるで人間ではなく、芸術品のようです。


「……私には普通の人が持ってるような常識が無いの」

「常識、ですか?」

「そう。目の前の人間が望むような魔法を使いなさい。善とか悪とかそういった考えは必要ない。……これが夜の魔女の常識。赤ん坊の時からそこで育った私には、何が良いことで何が悪いことなのか、よく分からないのよ」


 それは前にお父様がポロッと言っていたような気がします。


「昔からバーグは……あの子の兄は父親似で底抜けに明るかったけれど、イーグは物静かで気持ちを表すのが苦手な子だったの。夜の魔女が母親ってことで、いじめられることもあったみたいだわ。その頃、子どもたちのしつけに関してはすべてお母様……あの子たちのお祖母様にお任せしていたから、私はあの子が傷ついていることもよく分かってなかった」


 だから?

 だからお師匠様とお母様の間には微妙な距離があるんですか?


「ある日、イーグが泣いて帰ってきて。とあるお友達のことを大嫌いだって言ったの。アイツなんか死んじゃえばいいって。私はそれを聞いて、ある日イーグが学校を休んだ日にやってきたその子に呪いをかけてしまったのよ」

「え?」


 胸がざわつきました。お母様は無表情のまま私の方を向きます。まるでお人形みたいに透き通った肌にはあたたかみが感じられない。一瞬ゾクリとして、後ずさってしまいました。


「死なせようとした訳じゃないわよ? ただ、少し痛い目を見せてやろうとして腹下しの呪文をかけただけ。イーグが望んでるんだから、私は正しいことをしたんだって思っていたの。でも違った。実際その子が病気になったらあの子は泣いたわ。何をしたんだって私を攻め立てた。……私は子供の言葉を鵜呑みにしてしまった。ちょっとした不満を吐き出しただけだったのに、本気にして大問題にしてしまったのよ」

「お母様」


 お母様が目を伏せ拳をギュッと握りました。強く握った部分が赤くなって、お母様が急に血の通った人間らしく見えてきます。


「それからは、あの子たちと出来るだけ関わらないようにしてきた。私ではダメなのよ。あの子の暗い部分を押し広げてしまうだけ。イーグも、私のところになど寄り付かなかったわ。そして、……何も言わずに家を出て行ったのよ」


 お母様の後悔が、その立ち姿から伝わってきます。私はなんでもいいから励ましてあげたくなって、でもなんて言っていいか分からず、必死に声を上げました。


「でも、私だって何もできません。いつだって、お師匠様に助けてもらってばっかりです」

「それでいいのよ。あなた自身が光なの。あなたを大切にしようとするならば、イーグは何も間違わない。あなたの望みに、人を不幸にしたいって感情が無いからよ」

「……そうでしょうか」


 私は、そんなにキレイではありません。お師匠様を渡したくなくて、ターニャさんには何度も帰って欲しいですって願ったりしてます。


「もちろん、万人にって訳じゃないわよ。万人にとって光になれる人間なんていないわ。でもイーグにとってあなたは光よ。私にとって夫がそうであったように」

「お父様……ですか」

「そう。私に新しい世界を見せてくれた。間違いを教えてくれた。それでも愛してくれた。私にとっては世界で一番大切な人だわ」


 そう言ったときのお母様の表情は何て素敵なのでしょう。もともと綺麗なお顔ですが、頬が染まって、清純な少女のような可愛らしさがあります。


「私の光もお師匠様です。私に、魔法薬作りというお仕事を教えてくれて、人の役に立つことの素敵さを教えてくれました」

「そう。……互いにそうなら、とても素敵ね」

「はい!」


 私は、お母様と握手をさせてもらいました。ぎゅっと握った手のひらは温かく、私はなんだか安心しました。

 

 お母様は不器用なだけで、きっと優しい人です。そんな自信が持てました。


 お師匠様にも今度教えてあげましょう。そうしたらお師匠様の不安をみーんな消してしまえるかも知れませんもの。


*


 翌日は雲ひとつ無い晴れた日でした。


「結局わしは大して活躍できんかったなぁ」


 悔しそうに言うのはお父様です。


「そんなことはありませんよう。私の魔法が暴発した時家が壊れなかったのは、お父様が障壁を張ってくださったからだと聞きました」

「イーグが言ってたのか? ふん、あいつめ。可愛いところあるじゃないか」

「お師匠様はきっとお父様のこと尊敬してるんですよ」


 にっこり笑ってそういうと、後ろから頭をこつんと叩かれました。


「断じてそんなことは無い。魔力が強いのは認めるけど、親父は破天荒すぎる」

「はっはっは。魔法使いと言うのは別に常識的じゃなくてもいい。魔法そのものが非常識なものなんじゃからな」

「あっそ」

「常識的なお前には魔法薬が向いてるのかもな」

「ああ、天職だ」


 笑いあう二人の間の空気はとても柔らかく、大人同士の互いを認め合う会話で、私は見ているだけでニマニマしちゃいます。だって、お師匠様が二割増し格好良く見えるんですもの!


「じゃあ、わしらは帰る。アイーダが大きくなったら今度は見せにきてくれ」

「ああ」

「お父様、お母様お元気で」


 ぺこりと頭を下げてから顔を上げると、そこに佇んでいたお母様の瞳が、潤んでいて。私もですが、お師匠様も驚いたように息をのみました。


「……元気でね」


 ポツリ、吐き出したような声はとてもか細く。お父様は優しく微笑みながらお母様の背中をさすっています。

 

 お師匠様は言葉を考えあぐねているように黙ったままでしたが、地面に向かっておろされている拳にきゅっと力が入っているのは分かりました。

 アミダはそんな二人の間にはいって、お母さまのドレスの裾をしっぽで撫でました。


「にゃーおん」

「お元気でって言ってます」


 私が通訳すると、お母様は嬉しそうに目を細めます。



 お父様に手を引かれるようにして、魔法の箒に乗り込む二人と一羽。お母様の使い魔のフクロウさんは夜型らしく今は籠の中でとっても静かです。


 ふわり、地面から足が上がった瞬間に、不意に顔を上げてお師匠様が叫びました。


「おふくろっ、またアイーダを見せに行くから」


 目を見張ったお母様が、ゆるりと笑います。目じりに溜まった滴が、風に吹かれて私のところまで飛んできました。


「幸せになりなさい、イーグ」


 お父様たちは一気に天空に舞い上がり、私たちの元には言葉だけが残されました。


 お父様は何かの呪文を唱えながら、オーバーアクションでお空に文字を描きました。すると、どこから現れたのか花びらがはらりはらりと落ちてきます。とってもキレイな花吹雪。


「孫の出産祝いだぞー!」


 雄たけびと共に、箒はスピードを上げ、あっというまに豆粒のような大きさになってしまいました。それとは逆に頭上から降り注がれる花びらはどんどん私たちに近づいてきて、まるでキスをするように頭や頬に落ちてきます。私にもお師匠様にもアミダにも。そしてアイーダにも。


 寂しいですお父様。今度会えるのはいつになるでしょう。


「あの馬鹿親父、誰がこれ片付けると思ってんだよ」


 軽く舌打ちをするお師匠様も、実際は別れが寂しいのか少し涙声になっていたのですが、きっと気づかれたくはないと思いますので、私も知らぬフリをします。


「でもキレイです。嬉しいですよね、アイーダ?」

「ぶー?」


 お父様の残していってくれた花びらのお陰で、私たちはまた忙しくなりそうです。悲しんでばっかりいるより、その方が良いってお父様なら言いそうです。


 そうですよね? きっと。



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