Episode5 呪いと婚約者・9
皆さん、私の胃袋が落ち着くのを待っていてくれたようです。
私はぬいぐるみを抱きしめながら、ゆりかごの中でまだかまだかとその時を待っています。
「……そろそろいいかな」
立ち上がったのはお師匠様。全員の顔を見渡した後、私のところに来てほっぺを撫でてくれます。
「いいか。絶対に消えるなよ? アミ」
「あーぶ」
分かってます。頑張りますよ。私もアミダも、絶対に生き残ってみせますから。
「じゃあ、やりましょうか」
相変わらず何を考えているのか分からないのはお母様です。無表情に立ち上がったかと思うと、使い魔のフクロウさんと何かお話したりしています。
でも、今回の魔法の全権を握っているのはお母様です。お母様は暗示をかけたり、呪いをかけたり、人間の内部に作用する魔法のエキスパートなのだそうです。
お父様はモノを動かしたり空を飛んだりという物理的な魔法は得意ですが、そっちはからっきしらしく、今日はサポートに回ってくれています。
「まずはこの子からね」
お母様はお師匠様から私を受け取ると、顔を覗き込んできます。
近くで見ると、お母様ってすっごくお綺麗です。年齢的に言って皺とかが多少あるのは仕方がないことなのでしょうけど、それでも透き通るような白い肌と深い緑色の瞳。そして長く艶のある黒髪がけんかするわけでもなくキレイに融合しています。
理想の魔女を作ろうとしたら、こんな感じになるのかもです。
「今からあなたの意識を縛るわ。あなたを失うとイーグに怒られそうなの。後生だからちゃんと自分を維持して頂戴ね?」
小声で呟かれたのはそんなこと。
なんだ、お母様はやっぱりお師匠様に嫌われたくはないんですね?
「ディア・ボレ・ディード・スクラチーノ」
お母様が呪文を紡ぐと同時に、なんとなく頭を抑えられたような感じがしました。そして『私』が遠くなっていくみたい。
あれれ、おかしいです。見えているのに触れないみたいな感じです。
「アミダはこれを飲むんだ」
お師匠様が持ってきたのは魔力強化剤ですかね。前にアミダを私に戻した時にも使ったものです。
アミダは神妙な顔で頷いてそれを飲みました。
「アミダさん、アミさんを引っ張るのよ。強く願うの。完全になりたいって。そうすればその体は元の持ち主を必ず引っ張り出すはず」
「はい」
体の表面を電気でも流れてるみたいにビリビリします。そのうちにそのビリビリが一方向に集まってきます。アミダのいる方。アミダが磁石みたいに引っ張ってる。
「アミさん、何も考えず楽にして。無意識に身構えるとあなた勝手に魔力使っちゃいそうだから」
そうは言われましても。思考を止めろってのは結構難しいのですけど。まして色々気になることもあるこの状況では。
アミダは大丈夫なんですかとか、私は大丈夫なんですかとか。気にしちゃ駄目って思うほど、あああああ、全然頭が空っぽにならない。
「アミダさん、力を貸すわ」
お母様がアミダの肩に手をのせた瞬間、強い引力を感じて、私の意識が真っ暗になりました。
ぐるぐるぐる。まるで回転しているみたい。あっちこっちに引っ張られる感覚があって、なんだかバラバラになりそうです……。
――――……ここはどこなのでしたっけ。
暗い。真っ暗。辺りは何もなく、ただの広い空間のようです。
私、何でここにいるのでしょうかね。というか、私って誰なんでしたっけ。
体を動かそうとして、それもできません。何にも見えない。私には体もないのでしょうか。
……てことは生きてないってことなのでしょうか。
あれぇ。死んじゃった? でも、誰でもないのなら、それでもいいのでしょうか。
暗闇の中に、変な呪文が響いてきました。
『ディア・ボレ・ディード・フラクチノード』
呪文は暗い空間を音のボールになって飛び回ります。そのボールが私にぶつかった途端、何か私を包んでいたようなものがはがれていきます。
わあ、なんか変な感覚です。ぽろぽろ落ちていく。なのに、記憶の方は徐々にもどってくるみたい。
あ、そうです。私の名前はアミで、怪我をしたときに助けてくれたお師匠様に恋をしたんです。
とっても大好きで、何かのお役に立ちたくてずっと頑張ってきました。
だけど私はドジばかりで、お師匠様に迷惑をかけてばかり。こんな私、お師匠様はきっと呆れていますね。
それでもやっぱり大好きなので、お師匠様の気持ちが知りたいです。
教えて、教えて。どうすれば教えてもらえますか? 告白するには、ちょっと自信が無いんです。
『だから僕が生まれたんだよ』
あれ? これは誰の声ですか?
『君はお師匠様の気持ちを聞きだすために作った薬で僕を生み出したんだ』
ああ、そうです。アミダです。私の分身。
アミダのお陰で、私はお師匠様の気持ちを知ることができて、自分も好きになれました。とても大切な存在です。
『でも僕の役目はもう終わったでしょ?』
響く声が小さい。でも駄目です。嫌です。行かないで。
『僕はどうやって生きていったらいいかわからないんだよ』
アミダがいないと、私はまた自分を嫌いになってしまいます。存在価値ならいくらでもあります。
アミダが体の中にいるって思うだけで、私はとっても幸せな気持ちになったんですから。
ねぇ、行かないでください。
アミダの声が小さくなる。そしてとても大きなお師匠様の声がしました。
『アミ、絶対消えるなよ』
強い意志の宿る声に、私の意識は一気に外に向いてしまいました。
アミダの声は消えて、暗闇だった世界が渦を巻いて一点に集まっていく。代わりに広がったのは明るい光溢れた世界です。
「……アミ!」
目の前に、お師匠様の顔。うわあ、近い。近すぎなくらいです。
「おお、目を覚ましたな」
この声はお父様ですね?
私は体を起こして、自分の体を見ます。大きく広がる手のひら、スカートの下から伸びる足、ちゃんとお胸もあります。ああ、自分の体に戻ってます。
「どっちだ?」
お師匠様の簡潔な質問に、アミダのことを思い出しました。
「アミダは?」
私は自分の両腕をつかんで必死に呼びかけます。
「アミダ、アミダどこですか? まだ私の中にいますか? 教えてください」
だけど、体の中からは何の反応もありません。
「アミなのか?」
お師匠様が私の体を抑えて、顔を覗き込みます。お師匠様の温かさはちゃんと感じられるけれど、アミダの気配は何処にもありません。
「はい。アミです。でもアミダが、アミダが」
「おふくろ、今この体に魔力はどのくらいある? 俺に見えない魔力でもおふくろなら見えるだろ」
お師匠様が振り向いた方向には、お母様が神妙な顔をしていました。
指をゆっくり宙に浮かせて、私の肩先の辺りを指差します。
「もう抜け出てるわ。器がなければ消えていく。イーグにも見えるはずよ、その肩先辺りで空気がゆがんでるでしょう?」
「わしには見えんぞ?」
「あなたはそっちの能力は弱いもの。イーグは強いわ。私の次に」
「俺が?」
お師匠様は目をしばたかせて私の肩辺りに手を伸ばしました。
「ここか」
「お師匠様、アミダがここにいるんですか?」
「アミダというか、アミダの魔力の塊だ。意識がここにあるかまではわからん」
お師匠様が空気を撫でています。どうしよう、このままでは消えてしまうのですよね。
「……その体から抜け出したのはその子の意思よ。消えるのも多分本人の希望だわ」
「お袋!」
「その子の意思をあなたたちが決めるのはおかしいでしょう?」
お母様はそう言うけど、私はやっぱり諦め切れません。
だって。アミダはまだ知らないでしょう? 世界には私やお師匠様だけじゃなくて、アミダと知り合って幸せになっていく人がもっともっといるんですよ?
この間ゲンくんだって、アミダとお話して楽しそうだったじゃないですか。
存在する意味は、これからいくらだって増えていくんです。何もないなんて思うのは、外の世界を知らないから。未来はいくらだって広がっているのですから、今ここで諦めちゃったら駄目なんですー!!
「消えちゃ駄目です」
「アミ」
「アミダはまだ赤ちゃんみたいなものじゃないですか。これからです。勝手に諦めちゃ駄目です!」
その時、私の頭に閃いたのは、お師匠様が作ってくれた分裂剤です。まだ不完全でも、何もしないよりは可能性があるんじゃないですか?
「お師匠様、お願い。分裂剤をください」
「駄目だ。あれは失敗作だ。お前に何かあったら」
「でも、分裂させようとする薬ですよね」
以前私が薬を作った時、効果が出すぎるということがありました。もし私に、薬の効果を上げる力があるなら、もしかしたら上手く行くかも知れないじゃないですか。
私は、久しぶりの自分の体を持て余しつつも走りだし、薬棚からバッテンのついた小瓶を取り出しました。
「アミッ」
そしてお師匠様が止めるのも聞かずに、それをぐっと飲み干します。
お薬が通ったところが、ひりひりします。次にお腹の辺りが熱くなって、引っ張られるように体中の熱が集まってきます。でもダメ。以前のような、体から何かが抜け出る感覚がしません。
……ダメなんですか? やっぱりアミダの器を作ることは出来ませんか?
「……アミダ」
私はふらふらと赤ちゃんの傍に行きました。探していたのはアミダなのですけど、私には見えないので他に向かうところがわからなかったのです。
「お願い、アミダ。戻ってきて」
涙が浮かんできます。眠るアイーダの顔を見ようと手を伸ばしたのに、触れたのはぬいぐるみの方でした。
「……ダメね。小さくなってきたわ」
お母様の声に、涙が溢れてきました。
「嫌です。……アミダ」
お願いお願いお願い。消えてしまわないで。何ならもう一度私の中に入ってください。
どれだけ時間をかけても、アミダが生きていくための器を必ず見つけますから。アミダは必ず、これから幸せになれるんですから。
「アミ、落ち着け、暴発してる」
「凄いわ。こんなに魔力が膨れ上がるなんて」
「この体自体に魔力増強剤を使ってるからだ。駄目だ、暴発する」
体が熱い。苦しい。でも諦められません。
私はアミダが大好きです。それだけじゃダメですか。生きていく力にはなりませんか。
「おお、ようやくわしの出番か。障壁魔法でいいか?」
「アミダー!!」
ぼおおおおん、と凄い音がしました。
私の体はものすごく熱くなって、光の玉みたいなのが自分から離れていきました。
それが光って視界を一瞬真っ白に染めて。
……周りが見えるようになるまで、数秒かかりました。
感覚が戻ってくるのは順番があるらしくて。まずは耳に、シューシューといった空気の抜けるような音が届き、次にもやが見えてきて、次に触感が戻ってきました。
そして感じるのはふさふさとした手触り。うん? ふさふさ?
「みゃーご」
「え?」
「は?」
皆の驚いた声。私もびっくりです。
どうして、ぬいぐるみの猫が本物になっているのですか?
私の手の中にいた紫色の猫ちゃんは、一鳴きすると体をのばし、顔をぺろりとなめました。
「……どうなってるんだ?」
「とりあえずぬいぐるみの猫が本物になったようよ」
「そんなことできんのかよ。親父そんな魔法知ってるか?」
「うーん。生命のない物に命を与えるのは聞いたことがないがなぁ」
「多分、違うわ。命を入れ込んだのよ。イーグの薬の効果は、命の分裂までは出来ても、別の体までは生み出せなかった。それをぬいぐるみの体に埋め込んで生きてる猫にしたのは、多分アミさんの力。イーグの薬とアミさんの魔力が相互作用して、この結果を生み出したんだわ」
皆さんの話を聞いていると、じゃあもしかしたらもしかしてこの猫ちゃんは。
「アミダなのですか?」
「みゃーお?」
あああああー! 会話ができないですー!!
私は半泣きでお師匠様に訴えます。
「アミダかも知れないですけど、話ができません!」
「またかよ」
「話ができる方法あるわよ。使い魔の契約をすればいいわ。そうすれば話せるようになる」
そういえば、前に使い魔の召喚魔法を使った時に来てくれたモカちゃんとは話せましたね。お母様も、使い魔のフクロウとよくお話されてますし。
「でも、召喚魔法を使ってもアミダが来てくれるとは限らないんじゃないですか?」
「これだけあなたと密接した存在なんだから、まず間違いなくこの子が来るわよ。しかも都合がいいことに猫だわ。猫は使い魔に向いてる動物なのよ」
「じゃ、じゃあ」
使い魔の呪文。以前教わったそれをまずは紙に書き出しました。
「お父様、お母様、これで合ってますよね」
「おお、そうだぞ。言い間違えないようにな」
「……お前、一応学習はしてるんだな」
お師匠様のつっこみが痛いです。
そうですよう。いつも間違えてばっかりですもん。一言一句間違わないためには、紙に書くのが一番確実です。
そうしてたどたどしく呪文を唱えると、空気がきらきらと光りもやがかかったと思ったら、その中心にさっきの紫色の猫ちゃんがいました。
「……アミダなの?」
「どうなっちゃってるの? アミ。僕は消えてない。しかも新しい体がある」
「アミダ!!」
私の瞳からは、涙がボロボロ。だってだって、良かったです。アミダがいなくならなくて。
「消えないでください」
「でもアミ」
「お願い消えないで、一緒にいてください。アミダが大好きです」
私の方が子供のように駄々をこねて泣きました。アミダはぎこちなく体を動かし、私の頬をなめてくれます。
「泣き虫アミ」
「だって。だってぇ」
「凄いね。ぬいぐるみの体に命を吹き込んじゃうなんて」
「アミダは猫でもいいですか? やっぱり人間がいいですか?」
「僕は……」
アミダがぺろぺろと頬を舐めてくれる。頬がベトベトしてきましたが、それでも嬉しいです。
「なんでもいいから自分だけの体が欲しかった。アミの分身じゃなくて、僕自身の体」
尻尾がふわりと上がって揺れます。まるでリズムでも刻んでいるように。
「ありがとう、アミ」
その途端に、ぶわわわって涙が沸き上がって。さっきより大泣きになった私に、アミダが困ったように「みゃおん」と鳴きます。
「うえっ、アミダ大好きです。これからもずっと一緒にいてください」
「僕もだよ。アミが大好き」
二人でそう言い合ったら、何かがつながったかのように私たちの間をふわりとした空気が包みました。
「契約成立のようね」
お母様の言葉とともに、キラキラした光が私達の内部に消えて行きます。
「ほえ」
「アミ、顔拭きなよ」
アミダの尻尾が私の目元をくすぐります。拭いてくれるつもりなのは嬉しいんですけど、これはくすぐったいです。
「きゃー止めてください、アミダ。くすっくすぐったいですー!」
「ホントにアミダなのか?」
私以外には、アミダの言葉は聞こえていないようです。お師匠様は半信半疑みたい。
「アミ、お師匠様に言って。僕ですよ、アミダですよって」
「はい! お師匠様、本当にアミダですよ」
「僕しか知らないことを言うから、お師匠様に言って。アミと僕が分裂して、アミが誘拐された時。
お師匠様動転しまくって、馬から二回落ちたんだ」
「ええっ」
そんなの初耳ですよ。怪我しなかったのですか。
「アミ、何て言ってるんだ?」
「えっとあの、私とアミダが昔分裂して、誘拐騒ぎがあったときに。あの、……お師匠様が、馬から落ちたって」
神妙な顔だったお師匠様の顔が、徐々に真っ赤になっていきます。うわあ、こんなお師匠様は結構カワイイです。
「な、内緒だっていっただろ!」
猫のアミダに向かってお師匠様が怒鳴ると、「みゃー」とアミダが前足で顔を隠します。そんな姿を見ていたら、私もやっぱりこの猫ちゃんがアミダなんだって実感できて、思いっきり勢いよくアミダを捕まえて抱きしめました。
「みゃー!! 何すんのアミ、苦しい」
雄たけびを上げるアミダ。
「……もういなくならないでくださいっ」
二年前、アミダがいなくなって、寂しかったです。私も、お師匠様も、本当に寂しかったんですよ。
「みゃー」
照れたようにちいさな、アミダの泣き声。
お師匠様が私からアミダを奪って、抱き上げます。
「二度と消えんなよ」
「……みゃー」
ねぇアミダ。皆あなたのことが大好きなんです。
私の分身だからじゃなくて、あなた自身が大好きなんですよ。




