Episode5 呪いと婚約者・7
お茶を飲んで休憩した後、お父様がお師匠様の背中を叩きながら出て行ってしまいました。
お家に残されたのは、お母様とアミダと私。
なんだか気まずいですね。
少しでも空気が良くなるように、私はゲンくんが持ってきてくれた猫のぬいぐるみを手で触ったりしながら「あぶー」と声を出しました。
「……あの」
アミダも緊張しているようです。お母様に話しかけて良いものかタイミングを探るように、チラチラと視線を送ります。
「あなたはどうして出来上がったの?」
お母様はアミの体の心臓部分を見ながら、ポツリとそう問いかけました。
「僕ですか?」
「そう。男の子なのね?」
「はい。僕はアミが作った自白剤でなぜか分裂してしまったアミの一人格です」
「分裂?」
「だと思います。僕の記憶は途中までアミと一緒なんです。だけどあの薬を飲んで、僕という存在が出来上がってしまった。考えも見た目もそっくりだった。だけど僕は男の子として生まれたんです」
お母様は黙ったまま促すように頷きます。
「その意味は分かりません。一つだけ分かることは、分裂してからは僕はもうアミじゃなくなってしまったってことです。アミの中に戻ってからも、同化することができなくて、ただ存在していました。そのまま時間に任せていたら、ある時変化が起こったんです。アイーダが存在するようになって、その成長と共にようやく意識が溶け始めてきたんです。僕はこれでアイーダとアミの中に溶けて終わりになる。そう思って、寂しいような嬉しいような複雑な気持ちになりました。そんなタイミングでのこの事件です」
お母様はアミダの言葉に頷きました。
「……一度分かれると、二人がそれぞれ違う経験をするでしょう。だから違う部分ができるの。そこが残ってしまってできた人格がきっとあなたね」
「じゃあ、今の僕は“アミ”ではないんですか? だったら僕は何者なんですか」
「あなたは“あなた”よ。アミダという名前だったかしら? きっかけは分裂でも、戻れないってことはアミさんとは違う一人格なんでしょう」
「じゃあ。……だったら僕はどうしたらいいんでしょう」
アミダの問いはもっともなものなのですが、私にはその答えは見つけられません。
でもお母様はさらりと言い放ちました。
「器を探すのね。自分が入れそうな器。そこに移すしかないわ。この子をその体に戻すのと同じ要領よ」
「器って言われても」
アミダが困ってます。
そうですよね。中身の無い器なんてそうそう転がってないです。前みたいに、ちゃんと私とアミダが分裂できれば問題ないのでしょうけども。
「もしくは、その体をのっとればいいわ」
「え?」
えええええー! お母様ってば、綺麗な顔して何てこと言うんですかー!
「あなたに一番合う器よ。まして今そこに入ってるのはあなただし。時間がたてばもっと定着するわ。私は別にそれでもいいと思うけど」
良くないですよー!! そうしたら今度は私が行き場をなくしてしまうじゃないですか。
お母様ってなんなんですか。訳が分かりません。やっぱり怖い人なんですか?
アミダは真剣な顔でお母様を見た後、私をちらりと見ました。ここで泣くのは卑怯な気がして、動揺する赤ちゃんの体を必死で押さえ込みます。
アミダは低い声でぽそりと呟きます。
「……良くないですよ。お師匠様が悲しみますもん」
「でもあなたは生き残れるわ」
「生き残っても、お師匠様に嫌われるんじゃ意味がありません。それに、……そうしたらアミが可哀想です」
「あぶ、あぶううう」
アミダの出した結論に私は我慢仕切れず、泣き出してしまいました。
だってだって、アミダがとっても優しくて、悲しいんですもん。
どうやったら誰も傷つかずに幸せになれるんですか? そんな都合のいい方法は無いんですか?
嫌です。私はアミダも絶対無くしたくないんです。
アミダの器を探さなきゃ。どうすればどうすれば。
あ、ひらめきました!
あれです! 前に私が作った分裂剤。あれをもう一度作ることができたら、アミの体がもう一つ現れるはずです。
*
私が庭まで響くような声でわんわん泣いたので、聞きつけたお師匠様が外に出してくれました。ポカポカの陽気に涙は止まり、「何泣いてんだ、アミ」とあやしてくれるお師匠様に胸はキュンキュンしっぱなしです。
アミダとお母様の会話の続きが気になるのですが、赤ちゃんになっている私は自分では移動できません。
「お、イーグ。わしにも抱かせてくれ」
「……変なことするなよ」
「信用ないなぁ。よしよし。可愛いなぁ、孫は」
お父様は、私を抱えると目尻にシワを寄せて笑ってくれます。
「今はアミがはいってるんだからな。忘れんなよ」
「分かった分かった。案外ヤキモチ妬きだなぁ、イーグは」
お師匠様から殺気が感じられます。お父様、からかうの楽しいのは分かるんですけど、ほどほどにしないと命が危険かも知れません。
「なあ、……なんでおふくろが来たんだ?」
ぽつりというお師匠様に、お父様が笑って見せます。
「イーグの一大事だからだろ?」
「何を今更。俺たちのことになんか関心無かったくせに」
吐き捨てるように言うお師匠様の姿は珍しいです。いつもは口が悪くても、どこか優しさが感じられますのに。
「関心が無かったわけじゃない。サーシャは自信が無かっただけだ。考えても見ろ、魔女の森で生まれ育ったサーシャには一般常識が無い。わしの母親、……お前たちのばあさんに色々教えてもらってる段階だったんだ。お前たちを育てる時に、サーシャが何も口を挟まなかったのはそういう理由だよ」
「……親になれないって言うなら子供なんか作るなよ。一人ならともかく二人もだぞ? そんなの言い訳にしか聞こえない」
「お前たちが出来たのは神様の采配さ。授かったものは産むだろう」
「よく言うよな、エロジジイ。大方アンタが考えなしに……」
そこまで言って口ごもってしまうお師匠様。本当に恥ずかしがり屋さんです。
「まあ、そのへんは責任感じるがな。……でも、バーグはもうサーシャのことを許してるよ。お前も人の親になったんだからわかるだろ? 子供は可愛い。無条件にだ。その可愛い子供たちに、悪い影響を与えることを一番恐れていたのはサーシャなんだよ」
こんな話はじめて聞きます。お師匠様とお母様は、結局意思が通じ合っていないのですね?
「だったらなんで今更出てきたんだよ」
「事に呪いが関わってるからだよ。サーシャは呪いに関しては我が家で一番知識がある。いくらわしが魔力が強くても、分からないことにはどう力を使っていいかわからないだろう?」
「それは、そうだが」
「サーシャは夜の魔女と罵られることを恐れてる。だから結婚してからずっとあの町を出なかった。今回わしの申し出に従って町を出てきたのが、何よりのお前への愛情の証拠だ。……ずっと心配してたんだぞ? お前がいきなり旅立ってから」
「だけど、おふくろは」
お師匠様は私をお父様から受け取ると、頭を撫でて悲しそうな顔をします。
「何が正しいかなんて分かってないじゃないか」
「イーグ」
「おふくろは目の前にいる人間が望むようにするだけだ。例えそれが悪人であろうと」
さっき、お母様がアミダに言った言葉を思い出しました。確かに、あれはアミダにとっては良いアイディアです。
「それが、夜の魔女の常識だ。そう簡単には意識は直せんよ」
「でもアミは話せない。フェアじゃないだろ。これでアミを救い出せるのか?」
私を撫でるお師匠様の手。その苛立ちは、私を心配してくれていたからなのですか?
「大丈夫だよ」
お父様は、こともなげにそう答えます。
「適当なこと言うなよ」
「適当じゃないさ」
繰り返して、笑います。いつも自信たっぷりなお父様。どうしてそんなに素敵に笑えるのでしょう。
「お前がサーシャに願いを言えばいい。その願いに、アミちゃんが不幸になるような筋書きは無いはずだ」
さらりと言われたその言葉に、お師匠様が体がびくりと震えます。
「……俺だって、正しいことを願ってるかなんて分からない」
「イーグ」
「アミもアイーダもアミダも、皆生かしたい。それは正しいのか?」
「正しいかは分からんが、欲張りではあるな」
お父様はゆっくり歩き出し、お師匠様の背中を軽く叩きました。
「欲張りが悪いなんてきまってないぞ、イーグ」
「……親父」
「欲しいものが多い時は、それをやり遂げる甲斐性を持てば良い。……違うか?」
にやりと笑われて、ああやっぱりお父様だなんて思っていると、お師匠様も同じなのかクスリと笑い出しました。
「親父がたまに羨ましいよ」
「おお、いいぞ。いくらでも羨ましがれ。尊敬してもらってもいいぞぅ」
「馬鹿には付き合ってらんねぇ。俺も何とか探してみる。アミを元に戻す方法を」
そのまま、お師匠様は私をお父様に預けて、家の方へ駆け出していきました。
なんとなく、元気にはなったみたいですね。凄いです、お父様。
「あぶー」
嬉しくて手を伸ばすと、お父様が笑って私をあやしてくれます。
「アミちゃんもイーグが元気だと嬉しいんだな。アミちゃんも諦めちゃいかんぞ。絶対に戻るって願うんじゃ」
「あぶー」
そうですね。大事なのは心だって、前にお師匠様も言ってました。
こんなことになってからずっと、どうしたらいいんでしょうって悩んでばかりでしたけど、それじゃ駄目だったんですよね。
絶対元に戻るんです。今度こそアミダも消さないで。私の一部じゃないアミダがもう存在しているなら、絶対になくしちゃ駄目です。
誓いも新たに頑張ります。赤ちゃんの体で何ができるのかわかりませんが、私に魔力と言うものがあるなら、何にもできない訳ではないはずです。
*
それから、お師匠様は薬作成室にこもり始めました。
私も何とか頑張らなきゃって思っていますが、現実はため息ばかりついているアミダにあやされながら、モニカさんからいただいた猫ちゃんのぬいぐるみを持っては投げる、という動作を繰り返してばかりです。
あああんもう。とにかく話せるようになりたいです。今こそ成長する薬が欲しいのですけど、お師匠様作ってくれないでしょうか。
「あぶー。だー」
私が一生懸命アミダに手を伸ばすと、アミダは困ったように笑います。
「ごめんね。早くこの体返してあげなきゃね」
「だーだー」
違うんです。アミダのせいではないですよう。
「だってこの体は女の子の体だもん。……これはアミのものだよ」
「だー」
「僕は、……男の子だもん」
駄目です、アミダ。悲しまないで。私が何とかしますからどうか笑って。
必死こいて手を振ったり声を出したりしてるんですけど、アミダの顔がなかなか晴れません。何か笑いをとりたいです。ああん、赤ちゃんの体でできることは何でしょう。
「あーだっ」
勢いよく、猫のぬいぐるみを投げます。赤ちゃんの手は上手く投げれないので、見当違いな方にばかり飛ばしてしまいますけど。
「こら、アイーダ、駄目だよ」
「あぶっ」
だって。何かしてないと駄目です。落ち込んでたってどうにもならないじゃないですか。
今の私には、笑わせることは難しそうですが、怒らせることはできそうです。
戻してくれた猫を、もう一度ポイ。膨れたまま取ってきてくれたぬいぐるみを再びポイ。
「こらー、アイーダ。……じゃなくてアミなんだよね。もう、何でおとなしくしないのさ。意識は本物のアミなんでしょ?」
「あぶ」
本物のアミだからこそ、こうしてるんです。
だって。泣かれるより、怒られてる方がいいんですもん。黙ってじっとしてるより、怒りながら猫を拾ってきてくれるアミダの方が、元気そうに見えるんですもん。
「あーぶーっ」
何度もポイポイ投げていると、アミダが本気になって怒り始めました。
「もう、次やったら返してあげないからね!」
「ぶっ!」
やれるものならやってみてください。私だって、泣き叫んじゃうんですから。
「ああー。もうまた! 何考えてんだよぅ。うえええん」
「おぎゃああああ」
いつの間にやら私たちは一緒に泣いたり喚いたりしていました。ものすごい声を出していたと思うのですが、皆忙しいのか今日は誰も止めに入ってはきませんでした。
たくさん泣いて、息が切れて、お腹がすいて。お互いに大人しくなってきた頃、人影が近づいてきました。お師匠様かと思いましたが、それよりずっと小さな影。ゲンくんです。
「やあ、直したから持って来たよ。はい」
「あ、ごめんなさい。変な顔で。あの、ありがとうございます」
差し出された額縁を、アミダが受け取ってその絵に見入っています。
「この間はゆっくり見れなかったけど、……凄くキレイですね」
「何で泣いてたの、ねーちゃん」
「いや、この子が。アイーダが言うこと聞かなくて」
「それで泣いてたんだ。あはは。やっぱりねーちゃんはねーちゃんだね」
ゲンくんの何気ない言葉に、アミダの動きが止まります。
「ぼ……私、変わってないですか?」
「うーん。なんかちょっと変わった。何がって言われたらわかんないけど。子供生んだから大人になったのかな」
いやん、失礼です。私は最初っからオトナですよう。
「そうですか」
小さく、寂しそうに笑うアミダ。そんなアミダを見て、ゲンくんは私が飛ばしてしまったぬいぐるみをとってきて渡してくれました。
「さっきの光景、かなり笑えた。いい大人がムキになって赤ん坊と喧嘩して」
「うわ。恥ずかしい」
「そういうの、いいよね。ねーちゃんはいつも一生懸命」
そう言って恥ずかしそうに頭をかいたゲンくんは、「じゃ」とすぐに立ち上がって走りだしました。
「あのっ、これ、ありがとうございます!」
「いいよ。お礼なんて。じゃあね」
その見送っているアミダの顔を見て、私は嬉しくなりました。
だってアミダが笑ってるんですもの。それも、とってもいい笑顔で。




