Episode5 呪いと婚約者・6
それから四日後のぽかぽか晴れた日曜日、青いお空に黒い点が見えました。
それはだんだん近づいて大きくなっていきます。
私は最初カラスかと思ったのですが、違いました。
箒でお空を飛べるお師匠様のお父様です。しかも今日はお一人じゃありません。後ろに長い髪の女性を一緒に乗せています。
「……来た」
お師匠様は最初微妙な顔をしていましたが、やがてその顔がこわばってきました。
「え?」
「だー?」
もうひと方の姿をじっと見て、唇を噛み締めます。
箒に乗ったお父様は無駄に一回転すると、女性を箒にのせたまま、ご自分はストンと降り立ちました。
「やあやあ、出迎えご苦労!」
相変わらずのシルクハットに素敵な角度のお髭。空気を読まない言動。ああん、お父様お久しぶりです。こんな姿でご挨拶もできずすみません。
「親父。……おふくろ」
お師匠様の呆然とした声。えええ、お母様なのですか? 昔お父様に聞いた時は、お母様はとある事情で町から出ないっておっしゃっていたのに。
お父様は女性の前に手を差し出しました。お母様と思しき彼女は、その手に自分の右手を軽くのせ、流れるようなスカートさばきを見せつつ箒から下り立ちます。
誰も乗らなくなった箒は、自ら意志を持っているかのように縦に起き上がり、お父様の脇に収まりました。
お年は食ってますが、まるで貴族のお姫様のようです。
「おふくろ」
ぎこちないお師匠様の声に、お母様は返事をせず目を伏せました。
艶のある綺麗な黒髪が腰のあたりまで伸びていて、肌の色は白く唇が赤く目立ちます。生地をタップリと使った紫色のドレスは、荘厳な雰囲気をますます近寄りがたいものにしています。どことなくターニャさんに似た容姿で、なんとなく気持ちが沈んでしまいます。手には小さな杖と大きな鳥籠。お母様の腰のあたりまでの高さがあります。そこに、くすんだ灰色のフクロウが入っています。これがお母様の使い魔なのでしょうか。
「すまんな、イーグ。待っただろう。随分面白いことになってるんだな。どれ、この子がわしの孫か。よしよし」
正反対の饒舌さでお父様がまくし立てて、私はお師匠様からあっさりと奪い取られました。
「おお可愛いなぁ。んーちゅっ」
そのままほっぺにキスをされて、思わず泣くのも忘れて固まってしまいます。ちょ、待ってください。そりゃ確かに赤ん坊なのですから、おじいさんからのチューは普通なのかもしれないですが、今の中身は私なわけで、なんか嫌ですー。
「ほ、ほぎゃ……」
泣き出しそうになった私をお師匠様が慌ててお父様から奪い取ります。
「このエロジジイ、何しやがる。今、中にアミが入ってるって説明、手紙に書いただろ?」
「おおそうだったな。とはいえわしも孫は可愛いもんでなぁ。いいじゃないか減るもんじゃなし」
「なんとなく減る。なにかが」
「はは。ほら、サーシャ。見ただろう、イーグのこの惚れっぷり」
からかうように笑って、お父様はお母様を仰ぎ見ます。ああ、お父様すっごく楽しそうです。
でも、私もお師匠様も、お母様もそんな気分では無いわけで、お父様だけが謎のテンションではしゃぐという状況になっています。
「ちっ、まあいい。なんでおふくろまで来たんだ? あの街を出たくないんじゃなかったのか」
「それだけお前のことを愛してるってことだよ」
「……っ、何を」
お師匠様は悲しいのか嬉しいのかわからない微妙な表情をして黙りこんでしまいました。苦笑したお父様がポンと肩を叩いて、お母様の背中を押して中まで誘導していきます。
お母様は通りすがりに私を見て曖昧なほほ笑みを浮かべたかと思うと部屋の中へ入って行きました。
言葉が話せないのでしょうか。先程から一度もお声を聞いていません。
「……んだよ、今頃」
残されたお師匠様は私を抱きしめたまま、しばらく何か考え込んでいたようですが、家の中から戸惑うアミダの声が聞こえてきて、我に返ったように戻って行きました。
*
「ああああ、あのあの、ど、どちらさまで」
「アミダ、落ち着け。俺の両親だ」
どもるアミダは、お師匠様の低い声を聞いて、ホッとしたように表情をゆるめました。四脚ある我が家のリビングの椅子が久しぶりに満員になりました。
「あぶぅ……」
お師匠様の様子が心配なので、私はあんまり元気が出ません。前にお父様が来た時は、嫌そうではありましたがこんなに沈んだ様子にはなりませんでしたのに。
“サーシャは黒の魔女だから”
前にお父様から、お母様のことをそんな風に聞いたことがあります。黒の魔女とは、呪いを専門とする“悪い魔女”だと、私は聞いたことがあります。ターニャさんも呪いが得意と言っていたので、きっとそうなのでしょう。
だとしたら、お母様とお師匠様の間が微妙なのはそのせいですか?
でも、確かに話さないし不思議な人ですが、お父様がこれだけ惚れ込むのですから、優しい人なんじゃないかと思うのですけど。
「あぶー」
「ん、どうした? ハラ減ったのか?」
あああん。心配して声をかけてるのに、私の方が心配されています。お師匠様ったらまるで私が食べてばかりのような。でも赤ん坊って確かに頻繁におっぱい飲むのですよね。いちいち屈辱だと思わないくらいには慣れましたもん。
……お話出来たらいいのに。お母様のこと、お師匠様の口からきちんと教えて欲しいです。
「さて。呼び出したのは他でもない。親父の助けが必要だからだ。手紙には書いたが、改めて状況を説明する」
お師匠様の低い声に、みんなが静かになりました。
「僕はお茶をいれますね」
「ああ、頼む」
アミダが立ち上がり、お師匠様は私をゆりかごに戻して、自分の傍に置きました。
お父様とお母様は並んで座りながら、お父様の方は面白そうに、お母様の方は神妙な顔でお師匠様を見ています。
「まず、今アミの中にいるのはアミであってアミじゃない」
「ほう?」
「三年くらいまえにアミが間違えて作った分裂剤で出来上がった人格で、アミダという名前だ」
「別人格?」
お父様がお髭を触って不思議そうに問いかけます。
「その当時は、実際に体が別れたんだ。アミはそのままだったが、アミダは男だった。性格はほぼ同じだったかな。若干アミの方が口数が減ったかもしれない。その時はうっかり部分をアミダが受け取り、アミの方は割と落ち着いたような気がする」
そうですね。あんな事をしなければ、今みたいなことも起こらなかったのでしょうか。でもあのお陰でアミダに会えたんですよね。私の分身といえども、アミダはアミダです。消えた時は親友をなくしたようでとても悲しかったです。
「それは魔力を上げることでアミにアミダを吸収させて一件落着したんだが」
「ほう」
「今回はなんか複雑なんだ。ターニャが何かしら呪いをかけたらしいんだが、その詳細はわからない。ただ、アミの意識は赤ん坊の中に入り、アミの体にはアミダがいる。しかも今度は男じゃない。そしてアミダの話では、生まれる前までは赤ん坊の意識もちゃんとあったはずなんだそうだ」
こうやって一気に聞くとホントに複雑ですね。
「……ターニャちゃんがやった呪いが何なのかは分からないの?」
お母様が初めて口を開きました。あら? お話が出来ないわけではなかったのですね?
お師匠様も驚いたらしく絶句しています。
「イーグ。聞いてるのか?」
「あ! えっ、ああ悪い」
「ターニャがやった呪いは何かと聞いておる」
再びお母様は口をつぐみ、そこからはお父様が話しだしました。なんか、変ですね。親子の会話というにはちょっと、あまりにもぎこちないような気がします。
「出産とともに眠りにつくように暗示をかけたらしい。でも現実はアミとアミダが分離して入れ替わっただけで、眠ってないんだ。アミダに向かって呪い解除の呪文も唱えさせたが、何も起こってない」
「ふむ……サーシャどう思う?」
お父様が髭をさすりながら聞き、お母様は一点を見詰めたまま黙っています。かと思ったらいきなり顔を上げて、私の方へと手を伸ばしました。
「あぶっ」
なんか、怖いです。お母様は妙に挙動不審ではありませんか?
「……っ」
とっさに息を飲んで、庇うように私に手をかざすのはお師匠様。その動きからは怯えが感じられて、とても息子が母親に対する態度には思えません。
お母様は苦笑いを浮かべ、すぐに手を引っ込めました。
「感じるわよ」
「え?」
「光の玉みたいな、魔力の塊。一つ、二つ。大きい、けど一つはくぐもってる」
「……赤ん坊の中に?」
コクリ、小さく頷いて、お母様はまた口をつぐんでしまいます。
「それはどういう……」
「お待たせしました」
そこへアミダがお茶をお盆に載せてやって来ました。
お父様とお母様の前に順にカップを置いていくと、不意にお母様がアミダの腕を掴みました。驚いたアミダが置くスレスレでカップを落とし、ガチャンと音がします。運良くこぼれずにテーブルには乗りましたがびっくりです。
「こっちには一つ。満ちてない不完全な塊」
「あ、あの」
「入れ物に対してあまりに不安定」
アミダが傷ついたような顔をしました。
“入れ物”って。まるでモノみたいな言い方です。私もアミダも生きてますのに。
お母様のことがよく分かりません。お師匠様のお母様なのですから嫌な人だなんて思いたくないですが、優しい人とも思えません。
「サーシャ。それはつまり赤ん坊の中に二つ分の魔力があるってことか?」
お父様の問いかけに、黙ったままお母様は頷きます。
この体の中に、もう一つの何かが入ってるんですか? あれえ、私には全然感じられないのですけど。
「それは、アイーダ……赤ん坊か?」
お師匠様の震えるような声。お母様はお師匠様の方に視線を向けると、表情を変えずに答えました。
「多分ね。眠っているのが赤ちゃんよ」
「でもくぐもっているって」
アミダが心配そうに見上げると、お師匠様は大丈夫だ、と頷きました。
「ターニャのせいだ。あいつ、出産と同時に眠る呪いをかけたと言っていただろう。その呪いが、なぜがアミじゃなくてアイーダにかかってしまったんだろう。だからアミダの体に呪い解除をかけても何の反応もなかったんだ」
なるほど。それならば筋が通りますね。じゃあ、赤ちゃんは私と一緒にいるんですね。
「ふむ。なるほど。ますます面白いことになってるな。じゃあ、ターニャちゃんを呼びつけて赤ん坊の方に呪い解除をかければいい訳か」
お父様があっけらかんというと、お母様は眉をひそめて首を振りました。
「この体に、それだけの魔力は無理。まずは分けないと」
「え?」
「寝てる……というか、封印状態になってるから。魔力も存在は見えるけど体に影響を及ぼしてない。眠ってて良かったんだと思う。目覚めた状態で二人共同じ体に同居してたら多分壊れてしまったわ。体のほうが」
お師匠様が息をのんで、ゆりかごにかけていた手に力がこもります。ゆりかごと共に私の心も揺れています。
壊れるって何がですか? 私が? 赤ちゃんが?
「今だってギリギリよ。中にいる子の魔力が強くて体のほうが引きずられている感じだわ。火がついたように泣いたりすること無い?」
「あ、あります」
ありますとも。悲しくなっただけで、泣いてしまったりなんかしょっちゅうです。
「なるほど。つまり、アミちゃんの意識と魔力を元の体に戻すのが先決ってことだな?」
まとめたお父様の言葉にお母様が頷きます。
アミダは青い顔で手を重ね合わせていて、お師匠様は渋い顔で押し黙っています。
でも私を私の中に戻すのは、どうすればいいのでしょう。それを探るにはまず私が赤ちゃんの中に入ってしまった原因を探さないと行けない気がします。でも……思い当たるフシが無いというのが本音ですね。
「……戻し方が分からない。それに、戻った時アミダはどこに行く?」
お師匠様の言葉には誰もすぐに返事をしません。きっとそれは誰も分からないから。
アミダが間を取り持つように、笑っていいました。
「お師匠様、僕のことはいいんです。元からいないはずの人間なんですから」
「馬鹿言うな! 何か方法があるはずだ」
アミダの空元気は、お師匠様が怒鳴られて、すぐに引っ込んでしまいました。唇を噛んで、俯いています。もしかしたら涙ぐんでいるのかもしれない。
お師匠様は、もうアミダを消したくないのですよね。分かります。私もです。もうこれ以上、アミダを振り回したら可哀想です。
「何か、方法を……考えないと」
繰り返すお師匠様。
だけど、皆は沈黙するばかり。それぞれが方法を考え出そうと頑張っていますが、いい方法が思いつかないのでしょう。
私も全然思いつきませんもん。どうしたらいいのでしょう。困りましたー。
「大丈夫よ」
静寂を切り裂いたのは、か細いお母様の声。
「何とかするわ」
一点を見つめたままそう言ったお母様を、お父様が嬉しそうな表情で肩を抱きました。お母様は真っ白な頬を少しだけ染めて目を伏せます。お二人は、とても仲が良いんですね。
お師匠様はと言えば、不機嫌そうでもあり、悲しそうでもあり、嬉しそうでもあり。
まさに何と言ったらいいかわからないような顔をしていました。




