Episode5 呪いと婚約者・4
結局、その日、私は動揺しちゃって泣き止むことが出来ず、お師匠様とアミダが交代しながら抱っこしてくれました。
そのうちに、赤ちゃんの体ですから泣き疲れてしまったらしく、私はいつの間にか寝ていました。夜中に何度も起きた気もするんですが、意識がちゃんと戻ったのは明るくなってからです。
「ああああ。赤ちゃん育てるのってこんなに大変なんだー」
今私を抱っこしながら弱音を履いているのはアミダです。目の下にはクマができています。
ごめんね、アミダ。私も出来れば泣かずにいたいのですけど、他に気持ちを伝える手段がないのですよう。 赤ちゃんって大変なんですね。言葉が喋れたらこんなに苦労しないのに。
「代わるよ。アミダには他に頼みがある」
「なんですか?」
机の上に栄養剤を置いて、お師匠様が私を抱っこしてくれます。こちらも負けず劣らず目の下のクマで人相が悪くなっています。
「この子の名前を考えて欲しいんだ」
「僕がですか?」
「ああ。俺もアミもお前が生まれてくるって信じて疑わなかったから、女の子の名前は考えてないんだ。どうせならお前に名付け親になってほしい。多分アミもそう言うと思うからさ」
「そう……ですかね」
「そうだよ。頼むぞ」
アミダは戸惑ったようですが、お師匠様は押し切るように肩をたたきました。それはナイスアイデアだと思います。流石はお師匠様です。素敵です。大好きです。
アミダにつけてもらった名前なら、アミダが存在した証にもなりますものね。
そこまで考えて、ふと気づきました。
そういえばアミダは、どうなるんでしょう。もし私がここにいるのが分かってもらえて、アミの体の中に戻ったとしたら、アミダの意識はどこに行くのでしょうか。
急に不安になって、アミダに向かって手を伸ばしました。アミダは私のほっぺをぷにぷにと指で押し、そして何故か寂しそうに笑いました。見てる私まで、悲しくなるような表情で。
「一晩考えさせてください」
「ああ、疲れてるのに悪いな」
「……いえ」
アミダはお師匠様に背中を向けてしまったのでもう表情が見えません。
私はアミダが泣いてるような気がして一生懸命手を伸ばしましたが、その背中が気づいてくれることはありませんでした。
その後、お師匠様の香りに包まれて安心した私は少し眠ってしまったらしく、その間のことは覚えていません。次に目を覚ました時、アミダは小さな明かりの下でぶつぶつと呟いていました。
「アミとお師匠様の子だから。アミィ……じゃああまりにアミに似すぎか。じゃあ、イミア。うーん、いまいち」
お名前を考えてくれてるみたいです。名前を混ぜあわせようとするあたり、私の名づけ法とそんなに変わらない気がします。
「アミとイーグ。アミとイーグ。……アミダとイーグ」
そこまで呟いて、アミダは頭を抱えました。髪の毛がサラリと前に下りて、アミダの表情を隠してしまいます。
「……僕ってバカだなぁ」
囁くようなその声はとてもか細く。そして痛々しくて。その切なさは私に伝染してしまいました。
「お、おぎゃあぁぁぁ」
「あ、ごめん。起きてたんだね」
泣いてしまった私を、アミダは優しく抱っこしておしめをチェックしてからおっぱいをくれます。
あったかくて美味しいです……って違いますー! ああもう、この屈辱的な瞬間に慣れつつある自分が恐ろしいです。
「よしよし」
「あぶっ」
「いい子だね。……お母さんだよー」
ぎゅっと抱きしめられると、温かくてホッとします。
いいな、アミダ。私もこんな風に赤ちゃんを抱っこしたいです。
おなかにこの子が居ると知ってからずっと、生まれてくる日を楽しみにしていました。まさか自分がその子の中に入り込んでしまうなんて露ほども思ってませんでしたのに。
おっぱいをあげたり、おしめを替えてあげたり、眠るまで抱っこしたり。きっと大変だってわかってますけど、自分でしたかったです。
……やっぱり戻りたいです。アミの体の中に戻りたい。
ギュッと抱きしめてもらっていると、体温が溶け合っていく気がします。こんな風に私とアミダも、自然に溶け合って一人の人間に戻れたらいいのに。
*
翌朝からも私たちの体には何の変化もなく、お師匠様もいつもの薬作りをしながら赤ちゃんの私の相手をしてくれたりしてました。おかしな状況でも人間というものは慣れていくのですね。すっかり日常という気分になるから不思議です。
「名前思いついたか?」
お店を閉めて、お夕飯を食べてくつろいでいるタイミングでお師匠様がそう問いかけました。アミダは小さく笑うとゆりかごをそっと揺らします。
「アイーダなんてどうです? お師匠様とアミの名前の響きを合わせた感じで」
ゆりかごに寝かされた私の視線に、お師匠様も入ってきます。そのお顔はみるみる近づいてきて、きゃードキドキしますーって思っていたら額がこつんと合わさりました。何を期待してしまったのでしょう。今の私は赤ちゃんだというのに。
「アイーダか。いいな。お前の名前も入ってるのがいい」
さすがお師匠様。ちゃんとそこも分かってくれているのですね。
「きっとアミも喜ぶよ。お前の名前はアイーダだ」
可愛いお名前です。アミダがつけてくれたっていうのが、私には一番嬉しいです。私とお師匠様とアミダ、三人の子供のような気がしますもの。
私の視界から、後ずさるようにしてアミダが消えました。その動きをたどるように、お師匠様の目線を動いていきます。
「……お師匠様」
離れたところから聞こえるアミダの声は、なんだか震えています。
「ん?」
「このまま、アミが見つからなかったらどうします?」
「見つけるさ」
「もし……の話ですよ。もしこのままだったら。……僕じゃダメですか?」
アミダの小さな問いかけは、その声の振動から本気とわかりました。お師匠様の顔がきゅっとしまって、私は凄く不安になりました。
もしかして、呑気に三人の子供みたいとか言ってる場合では無いんじゃないですか?
もともと、アミダはお師匠様が大好きで、告白までしたんですもの。
「……僕は今、女の子です。以前断られた理由はクリアできてますよね? アミがいるなら僕は大人しく身を引こうと思った。でも居ないなら……」
「アミダ」
お師匠様は、私を腕に抱き上げました。そして一歩ずつアミダに近づいていきます。
近づく度に、私の中に生まれる感情。
ダメです。嫌です。お師匠様、私以外の人に触れないで。
アミダの気持ちを、私はあんなに良く知ってるのに。アミダを作り出してしまったのは私なのに。それでもそう願ってしまう私はなんて我欲が強いのでしょう。最低だって思いますけど、それでも誰にもとられたくない。
お願いです、お師匠様。私のこと、諦めないでください。
「アミダ」
お師匠様は、私を片手で抱え直し、もう一方の手をアミダの肩にのせました。アミダはすがるようなまなざしでそちらを見ます。
「……ごめんな」
その言葉とともに、私には安堵と後悔が同時に訪れました。ポロポロと落ちてくる雫はアミダの頬を伝う大粒の涙。私が望んでいることは、こんな風にアミダを泣かせてしまうことです。
「ごめんアミダ。でもダメなんだ。お前とアミは何かが違う。……俺にとってはな」
「……いいんです。すいません、変なこと言って」
「お前のことは大事だよ。大切だ。だけど、……ごめん」
アミダは俯いて、ただ首を振りました。
アミダ、ごめんなさい。あなたの幸せを願えなくてごめんなさい。
「あぶー、だー」
私は精一杯に手を伸ばしたつもりですが、言葉は声にならないし、手も全然届きません。
「アイーダ、おいで」
アミダはお師匠様から私をそっと受け取りました。そして優しい手つきで額を撫でてくれるのです。
「……大好きだよ、アイーダ」
「アミダ」
「お師匠様、もう休んでください。後は僕が面倒見ますから」
「でも」
「……一人になりたいんです」
お師匠様は心配そうにしていましたが、その後は口をつぐんで寝室のほうへ向かっていきました。
アミダは私をソファの上に乗せて、ちーんと鼻をかんだ後、私に向かって泣き笑いを見せました。
「ごめんね、アイーダ。変なところ見せて」
「あぶー」
「僕は……あのまま、アミとアイーダの中に溶けたかったよ」
小さな呟きが、胸に痛いほど響いてきて、私はまたおぎゃあおぎゃあと泣いてしまいました。
アミダの悲しみが、痛くて辛いです。アミダは私の一部分ですのに、私の存在がアミダを傷つけているのです。
どうしてこんなことになってしまったのでしょう。二年前の自分を叱りつけてやりたいです。興味本位で変なお薬を作って、こんなに傷つけてしまうなんて。
それでも自分の幸せを譲ることが出来ない自分が、情けなくてたまりません。




