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魔法薬あります  作者: 坂野真夢
番外編
26/34

Episode5 呪いと婚約者・3


 お師匠様が必死に私をあやしてくれます。赤ちゃん相手だとこんな変顔もしてくれるんですね、いつもの私にも見せてくれたらいいですのに……って! 違いますって、そういうことじゃなく。

 でも、困らせたいわけじゃないんですけど、悲しいと思ったら泣けてきちゃうのだから不思議です。赤ちゃんってホントに泣くことだけが意志を伝える手段なんですね。


 おそらく周囲に響き渡るような声で泣いていたのでしょう。やがて、玄関をノックする音がしました。ご近所迷惑でしたかね。ここは隣家とは随分離れてはいるのですけど。


「こんな時間に客か?」


 お師匠様は私を抱えたままそちらに向かいます。わあ、景色が動いて楽しいです。

 私の気分が変わったからか涙も止まってきました。赤ちゃんの体って、なんて素直なのでしょう。


「はい、どなた?」

「きゃあ、久しぶり、イーグ」


 お師匠様の声と、聞き覚えのある女の人の声が重なります。


 見えるのは、肉感的なそのボディと白い肌に映える赤い唇。そして艶のある黒く長い髪の毛。


 あああああー。でましたね! 自称・お師匠様の元婚約者さんことターニャさんじゃないですか!


「……ターニャ?」

「そうよ! 覚えててくれたのね。いやーん、やっぱり愛ね!」

「おぎゃああああ」


 ターニャさんが勢い良くお師匠様に抱きつこうとしたので、思いっきり泣いてやりました。ふんだ。負けないですよう。


「あら、生まれたのね。大変でしょうイーグ。奥さんも目覚めなくて……」

「は?」

「あら?」

 

 ターニャさんは訳のわからないことを口走った後、後ろにいるアミダを見て口をぽかんと開けています。


「あらぁ? なんで眠ってないの? おっかしいなぁ」

「ターニャ?」

「あ。ううん。なんでもないわ。寒いんだけど入れてくれる? イーグ」

「ふみゃ」


 ターニャさんの足元で同意するように白猫ちゃんが鳴いてます。この子はきっとターニャさんの使い魔なのでしょうね。


「なんでここにターニャがいるんだ? 魔女の森から出てきたのか? それになぜ俺がここにいるのを知ってる?」

「違うわよー。疑問符だらけね。何にも聞いてないの? そこにいる奥さんから」


 ターニャさんは、胸の前で腕を組み、豊満なバストを強調するようにつきだして、プルプルの唇をツンとお師匠様に向けています。

 寒いっていうならもっと厚着してくださいよう。胸元とか開きすぎです。ああん、どうしてそう色気たっぷりなんですか。


 しかし私のお師匠様は色香になど騙されたりしないようです。眉根を寄せたかと思うと、一歩後ずさって彼女の全身を眺めました。


「……なんか怪しいな。ターニャ、お前なんかしたんだろう」

「あらあら。私を疑うの? 大体最初になんかしたのはそっちのお嬢さんじゃないのぉ。酷いわよイーグ。私と結婚しようねって約束してたのに、いつの間にかこんな小娘と結婚してるなんて」

「アレはお前が俺に呪いをかけて言わせただけだろうが。幼少期の屈辱だ」

「でも約束は約束じゃない」


 悪びれもせず笑うターニャさん。どうやら婚約者っていうのはターニャさんが独りで言ってるだけみたいです。 良かった。それだけでも私は一安心です。


 ズカズカ家の中に入ってくるターニャさんは、今はアミダであるところのアミの前に立ちニヤリと笑いました。


「どうも、アミさんだったかしら?」

「……え、っと」


 アミダは戸惑っています。お師匠様が二人の間に割って入りました。


「知り合いか? そんな訳ないよな」

「先日ちょっとお会いしたのよ。あなたが留守の時」

「え? ……えっと」


 そうですよ。アミダが感じた変な呪文を唱えた女の人はこの人ですー!


 でもアミダは、彼女を見たわけじゃないので困ったようにお師匠様とターニャさんを見比べています。ターニャさんが汚いものでも見るように目を細めてアミダにいいます。


「いやだ。忘れたの? 頭悪いんじゃない? イーグ。どうしてこんな子供みたいな子と結婚なんかしたわけ?」

「ターニャ。口が悪すぎるぞ。アミを悪く言うな。俺の妻だぞ」

「その腕に抱えてる子のせいじゃないの?」


 いやあああん。ターニャさん。そんな怖いこと聞かないでください。そこに関しては私も自信ないんですから。


「うわああああん」


 私の感情そのままに泣きだしてしまう赤ちゃんの体。ごめんなさい。お話を中断させるつもりはありませんのに。

 お師匠様はよしよし、と私であるところの赤ちゃんの体を揺すると、ターニャさんを睨みました。


「馬鹿言うな。俺は好きな女しか抱かない。俺はアミを……」


 そこまで言ったなら、愛してるとかまで言ってくれればいいのですけど。言ってる途中で恥ずかしくなったのか、お師匠様は最後の方は押し黙ってしまいました。あああん、惜しいです。聞きたかった。


「あらそう。随分ロリコンになったもんね」


 今度はターニャさんがお師匠様に皮肉をぶつけ、むっとしたようにお師匠様も睨み返します。

 

 あああああ。どうしましょう。とっても険悪。雰囲気最悪です。場を和ませたいですけど赤ちゃんの体では何にも出来ません。お願い、アミダ、何とかしてください。



 私の思いが通じたのか、アミダは立ち上がりキッチンへ向いました。


「二人共落ち着いてください。お茶、入れますから、ゆっくり座って話しましょう」

「要らないわ。あなたのお茶、なんか変なんだもの」


 ターニャさんが反射的に答えました。

 変なことを言いますね。確か前の時だって、私が入れたお茶を飲んでくれなかったのですのに。食わず嫌いならぬ飲まず嫌いってやつですか。そんなのダメですよう。私のお茶は元気になるってママも言ってくれましたのに。


「……じゃあ、俺が入れてやるよ。アミ、この子を抱いていてくれ」


 お師匠様は私をアミダに渡すと、何故か貯蔵部屋に入っていきました。いくつかの荷物の他に葉っぱを一枚別に持って、「ほら」と落とします。


「ふみゃ」

 

 ターニャさんの白猫ちゃんが反応します。遊び道具代わりでしょうか。お師匠様優しいです。


「じゃあ、失礼するわね」

 

 ターニャさんは椅子に座り、足を組みます。スリットの入ったスカートの合間から見える細く艶かしい足。

 ホントに寒いんですかと疑いたくなるほど肌の露出が多いです。

 

 ターニャさんはお師匠様が背中を向けているのを確認して、アミダに耳打ちします。小さな声でしたが、私はアミダに抱かれているのでバッチリ聞こえました。


「あの時のこと、イーグに言ってないの?」

「え?」

「私が訪ねてきた時のことよ」


 アミダの右手が、私から離れてターニャさんを指さします。


「じゃあ、あの時のはやっぱりあなた……」

「しっ、イーグに言ったらもっと酷い呪いをかけてやるわよ」


 お師匠様と向かい合っていた時は睨んだ顔も色っぽかったのですが、今はまるで蛇のように凄みがあります。こっちは身がすくんでしまいますよ。アミダもそうなのか、黙りこんで俯いてしまいました。


「ほら、待たせたな」


 緊張した空間に持って来られたお師匠様のお茶はこれまた微妙なものでした。匂いこそ普通のお茶とそう変わりありませんが、緑と紫の中間のような色なので飲む気が無くなりそうです。

 さすがのターニャさんも引きつり笑いを浮かべています。


「イーグこれはなに? 魔法の香りがするわ」

「栄養剤だよ。俺は今魔法薬を作って生計を立ててる」

「魔法薬ねぇ。なんでそんな地味な事始めたんだか」

「……これには美容成分もあるぞ。五歳は若返る」

「えっ! そうなの? じゃあいただきます」


 ターニャさん……。簡単に釣られましたね。絶対ウソです。地味に二歳分くらい若返えるお薬は確かにありますが、お師匠様は滅多なことでは作ってくれません。在庫なんてなかったはずです。


 ターニャさんはごくごくとそれを飲み始め、お師匠様はただじっとそれを見ています。


 私のところから二人を見ると、年齢が同じ位だし、お母様の家系のせいなのか二人共顔が鋭角的に整っていて、とてもお似合いに見えました。それに比べて私は、と思った途端に、赤ちゃんの体は泣きだしてしまいました。


「わ、泣かないで」

「おぎゃーおぎゃー」


 アミダが慌ててあやしてくれます。ごめんなさい。迷惑ばっかりかけてしまいます。ああ、ますます落ち込んでしまいますよう。



 カシャン。


 金切り声に似た陶器のこすれる音に驚いてお師匠様の方を見ると、ターニャさんがカップをテーブルの上に落としていました。


「イーグ、ちょ。これ何」

「早いな。もう効いてきたか?」

「何を飲ませたのよ!」

「自白剤だよ。お前、何か知ってるだろう。洗いざらい吐いてもらう」


 冷徹な顔でそういうお師匠様に、私の胸はキュンキュンです。ときめきは涙を止める効果もあるらしいと初めて知りました。


「……かっこいい」


 顔を赤くして同じ事を呟くのはアミダ。ああやっぱり私たちって分身同士です。


「ちょ、いや、帰るわ」

「駄目だ。お前の使い魔。何つったっけ名前」

「ムニャよ」

「そうそのムニャ。悪いが預からせてもらった。今俺たちの寝室にいる」


 え? だってさっきまでそこに。……と思ったら確かにいません。

 私がギャーギャー泣いているうちに連れて行ったのでしょうか。


「いつの間に!」

「お前が全部話すまで返さないぞ」

「……くっ」


 拳をテーブルにガツンと打ち付け、小さく呪文らしき言葉をつぶやいていたものの、どうやら自白剤の効果のほうが勝ったようです。

 ターニャさんはお師匠様の質問に誘導されるようにすべてを話しだしました。



「つまり、お前はアミに呪いをかけたんだな?」

「そうよ。出産とともに眠りにつくように暗示をかけたわ。だから今日だって、母親が目覚めず困っているイーグの前に現れて、私が子供の世話をしてあげて、イーグの好感度を上げる予定だったのに」


 そのまま、押しかけ妻になるつもりだったんでしょうか。


「でもこの子、なんで寝てないの? 暗示は私の得意分野よ。失敗した事ないのに」

「さあ……」


 お師匠様はアミダに視線を泳がせます。どうやら、この入れ替わり現象に対しては、ターニャさんはなんにも関知してないようです。


「そもそも、この子、なんなの? 呪文らしい呪文も使わないくせに魔法の匂いがするのよ。あの時も、この子が出してくれたお茶から魔法の匂いがしたわ。だから、私は用心して飲まなかったんだけど。もしかして呪いよけの魔法かなんかを使ってあったのかしら」

「……そうなのか?」


 お師匠様はアミダに問いかけるものの、アミダは首を振ります。

 

 そうですよね。本当に入れたのは私ですもん。アミダは知るわけがありません。でも、私だって魔法なんか使ってませんよう!


「それで全部よ。私はイーグの居場所を知って、嬉しくて押しかけてきただけ。だってそうでしょ? 学校卒業したらイーグと暮らそうって思ってたのに、十五歳になって会いに行ったら、いつの間にか家を出たって言われたんだもの。私がどんな思いをしてたと思ってるのよ」

「誰がいつお前と暮らす約束なんかしたんだよ」

「したじゃないの、八歳の時に」

「だからそれもお前が呪いをかけてやったんじゃないか」


 幼少期のお師匠様とターニャさんの関係が怖いです。お師匠様、呪われ続けているじゃないですか。


「それでも約束は約束よ。で、ようやくここまで来たのに、結婚してて子供まで生まれるところだっていうじゃない。ふざけんじゃないわよって思ってやってしまった可愛いイタズラよ」

「どこが可愛いんだよ。こっちはすげぇ迷惑だ」

「私だってガラスのような心がズタボロよ」


 二人の会話を見ながら、あの口下手なお師匠様がこんなにポンポン文句を言うところに、ちょっと感動してしまいました。やっぱり昔なじみってのは違うのですね。


「……まあいい。大体わかった。お前の呪いを解くにはどうしたら良い?」

「解くって言ったって、かかってないじゃないこの子」


 ターニャさんはキョトンとした顔でアミダを指さします。確かに、見た目上はなんにも変わってないんですけどね。中身が違うんですよう。


「いいから教えろよ」

「呪文唱えればすぐだけど。寝てない以上はやる必要ないわ」

「いいからやってみろ」

「もう分かったわよー。これ終わったらムニャを返してよね。リンドンリンドン・ボルトーゼ」


 ターニャさんはアミダに向かって、何やら呪文を唱えました。しかし、アミダはぱちくりと瞬きをするだけです。


「ほら、何にも変わらないじゃない」

「……そうなのか?」

「そうですね。何も変わらないです」


 アミダは自分の体を何度も触って、そう言います。お師匠様の口元からギリという音が聞こえました。悔しそうに歯を食いしばっています。


「さ、ムニャを返して」

「……分かった」


 渋々と言った様子で、お師匠様は寝室から白猫を連れて来ました。ターニャさんは引ったくるように奪ったかと思うと、ついでにお師匠様を引き寄せて頬にキスをしました。


 あああああ、やめてくださいー!

 お師匠様が嫌そうな顔で頬を拭ったとしても、そんなシーンを目撃したショックは消えませんー!


「とにかく、あの女に飽きたらいつでも私を呼んで。私はいつでもウェルカムよ」

「馬鹿か、お前は。飽きるわけ無いだろ。さっさと帰れ!」

「ああもう、睨むイーグはもっと格好いいわー!!」

「……最悪だ」


 バタンとけたたましい音を立ててターニャさんはいなくなり、残されたのは頭を抱えて脱力するお師匠様と呆然とするアミダと、動揺して泣き喚く私。


 ああもう。結局何にも解決してないじゃないですか。





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