Episode3 ラベンダーの花言葉・5
お昼すぎ、ドアの向こうで小さなノックがなりました。ゲンくんにしては可愛らしですね、と思って開けたら、ドアの向こうにいたのは、カールした髪を揺らして楚々と微笑むモニカさんです。
「こんにちは、アミさんお久しぶりです」
「こんにちは、モニカさん」
「イーグさんに来るようにと伝言を頂きましたの。何のご用件でしょう。彼のお薬の話かしら」
「ええ? そうなのですか。今奥で寝ているのです。起こしてくるので入って待っていてください」
お師匠さまったら、いつの間にモニカさんまで呼び出していたのでしょう。
お師匠様は寝癖のついた頭のまま起き出してくると、ゲンくんが揃うまで待つようにいい、身だしなみを整えるために奥へ行ってしまいました。
その間、私はモニカさんに紅茶をお出しし、お話しをしました。
「モニカさん、ご結婚されるのですって?」
「ええ。彼はお医者さまなの。とても名医なのよ? あ、もちろんイーグさんのお薬の賜物でもありますけど」
「あはは。お役に立てているなら光栄です」
モニカさんは、少し寂しそうに笑いました。
「私も彼のお役に立ちたくて、看護の勉強をしたわ。北の町では色々と人手不足だというから。……でも私で出来るのかしら。住み慣れた暖かい故郷を離れて、ちゃんとやれるのかしら。時々、そんな風に不安になってしまうわ? アミさんはそんなことない?」
「そうですね。私は実家も近いので、寂しいということはないですけど。失敗ばかりでたまに情けなくなります。お師匠様のお役に立てているのか分からないんですもん」
「私も。私もそうです。彼と、十二歳も離れているでしょう? あまりに子供過ぎて、私は与えてもらうばかり。でも私は与えたいの。私だけが彼に与えられるものを」
「うわあ」
素敵です、モニカさん。外見はたおやかですのに、なんて凛としているのでしょう。
「幸せそうなアミさんを見てたら、少し元気が出てきましたわ。私、少しマリッジブルーだったのかもしれません」
幸せそうに微笑むモニカさんを、私は昔よりもずっと好きになってしまいました。それにしても、モニカさんは本当に私より歳下とは思えないくらい落ち着いていてお綺麗ですねぇ。
やがて、ゲンくんがやってきました。
今日はいつもの元気がなく、ノックもコンコンという普通のもので、私は少し物足りない感じがしました。モニカさんには隣の部屋に隠れてもらうことにして、お師匠様だけをお呼びします。
「お師匠さまぁ。ゲンくん来ましたよう」
「おう。よく来たな」
笑顔を見せるお師匠様に対し、ゲンくんは仏頂面のままです。
「ほら、これやるよ」
「なにこれ」
お師匠様が投げた瓶を、ゲンくんは危なげなく受け取りました。
ふたを開けると、紫色の綺麗なクリーム状の物体がラベンダーの匂いを放ちます。
「専門外だが絵の具を作ってみたんだ。香りがずっと消えないっていう魔法効果がついてる。それで、コールゴール家の庭でも描いてやれ」
ゲンくんは眉をよせたまま、お師匠様を凝視します。
「……誰に?」
小さく震えるゲンくんの声。
「モニカ嬢にだよ」
「なんで? だってねーちゃんは俺の絵じゃ喜ばないよ。上手だって言ってくれたけど。……いつだって本気で喜んだりはしてなかったんだから」
ゲンくんがぎゅっと目を瞑って拳を握りしめます。痛そう、とこちらが思ってしまうような表情です。
「そんなことないわ、ゲンくん」
「……モニカねーちゃん?」
奥の部屋からモニカさんが出てきて、ゲンくんは目を丸くしてその姿に釘付けになってしまいました。
モニカさんはその視線を受け止めて、小さな声で話します。
「私はね、ずっとゲンくんの絵の才能に嫉妬してたの。はじめて見たとき、『違う』と思った。これは本物の絵だ。私のは違うって。それは、お母さまも分かっていたのだと思う。それまで私にかけられていた期待が、一気に失われたのを感じて、私は焦っていたの。だからゲンくんの絵を見るたび、悔しくてたまらなかった」
「モニカねーちゃん」
「自分の才能はここまでだって、感じるたびに苦しくて。逃げたいけど逃げ場がない。そんな風に学校生活をすごしてた。そんな時に別の世界を見せてくれたのが先生よ。人を救うことで自分が救われることを私は初めて知ったの。だから、先生と一緒に生きたかった。年も離れてるのに、凄い勢いで押しかけてしまったわ?」
くすくすと笑うモニカさんは幸せそう。そして、二人の間の足りない言葉を繋ぐように、お師匠様が続けました。
「つまり、モニカ嬢にとっては絵は自分の価値基準じゃなくなったんだ。だからお前の絵を素直に見れるようになった。嫉妬を感じずにな。
で、ゲン。今度はお前の番だ。モニカ嬢は幸せな結婚をするんだ。お前にしてやれることは一つ。餞別に絵を描いてやれ。彼女が好きなあの庭の」
コールゴール家のラベンダーの庭。お師匠様の絵の具で書いたら、ずっとラベンダーの香りがするのでしょうか。
「炭鉱の町は荒れた岩場が多い。その絵はずっとモニカ嬢を癒すはずだ。……そうだろ?」
お師匠様の視線を受けたモニカさんは、ゆっくりと頷きます。
「そうです。私は先生と結婚する。だけど、この大好きな庭と離れるのは涙が出るほど寂しい。私が小さい頃から今まで、ずっと傍で癒してくれた庭だもの。ゲンくんが描いてくれるなら、きっととても素敵でしょうね。私の思い出の通りの姿をきっと見せてくれるわ」
ゲンくんは瞳に涙を浮かべて、真っ赤な顔をしています。
絵の具をギュッと握りしめて、何かに反抗するように「薬屋の癖に、絵の具なんて変なの」とつぶやきました。
モニカさんはそんなゲンくんに笑いかけて、「一緒に帰りましょう」と背中をさすりました。
並んで歩く後ろ姿はまるで本当の姉弟のようです。
モニカさんは家族としてゲンくんを大事にしてるんだなって分かりました。
ゲンくんにとっては、失恋ですね。可哀想ですが、今回はこれで良かった気がします。ゲンくんにも、いつかきっと、もっと素敵な恋が訪れるはずです。
「めでたし、めでたしかな」
「そうですね。お師匠様、モニカさんを呼んでくださってありがとうございます」
「いや? いたほうが話が早そうだなって思っただけだよ」
お師匠様は、モニカさんの気持ち、分かっていたのでしょうか。
ゲンくんに対する嫉妬があるなんて、私には全然分かりませんでした。もしかしたら、同じような感情を持ったことがあるのでしょうか。
お師匠様は、もうすでに立派なお薬屋さんだと思うのですが、きっとここまで来るまでに、たくさんの感情を乗り越えて来たのかもしれませんね。
「そういや、ラベンダーの花言葉って知ってるか?」
「えっと、何でしたっけ『期待』とかでしたっけ」
「意味深な感じで、『あなたを待っています』とかな。ある意味究極のラブレターになる訳だ。ゲンがどこまで頑張るか、見ものだな」
「なんですか、それ! お師匠様はゲンくんに諦めさせようとしてたんじゃないんですか!」
「いや? 諦める諦めないは本人にしか決めらんねーだろ」
そのとき、お師匠様が私の腕を掴んで引き寄せました。
「俺が弟子への恋を諦められなかったのと同じでな?」
心臓ドキューンです。やばいですって、この間からお師匠様は、少し気持ちを言葉にしてくれるようになりましたが、それがこんなに心臓に悪いものだとは思いませんでした。ドキドキが激しすぎて壊れてしまうかも知れません。
それから、ゲンくんはお店に来なくなりました。きっと一生懸命絵を描いているのでしょう。
春が来るころ、アミダは私の中から生まれてきて、モニカさんはお嫁に行きます。その前に、一度コールゴールさんのお屋敷を訪ねてみましょう。
きっと、強く香りを放つ、素敵なラベンダーのお庭の絵が見れるだろうと思うのです。
【fin.】




