Episode3 ラベンダーの花言葉・2
翌日、お師匠様はいつものように、午前中は配達と材料の調達に出かける予定です。お腹に赤ちゃんがいると分かってからは、お師匠様はちょっと過保護になりました。激しく動くのも重いのを持つのもダメで、配達なんてもっての他だそうです。
口調は怖いんですが、こういうところが本当に優しいんです。このギャップもまた堪らないんです。
だけど、私は仕事が少なすぎて、退屈してしまうのですけど。
「昨日のガキが来てもほっとけよ」
荷物を鞄いっぱいに詰め込んでから、釘を刺すように言われます。
「でもお客さんですよ?」
「ああいうの客っていわねーの」
お師匠様はそれはそれはくどくどと『お客とはどういうものか』を語り、私に通じていないのが分かると、諦めたようにため息をついて出て行ってしまいました。
ごめんなさい、お師匠様。心配をかけていますね。
なんとなく言いたいことは分かるのですけども、ゲンくんが何かを求めてここに来たのは本当だと思うのですよ。だからやっぱり、お客さんだと思うのですけど。
そうしてお昼頃、再び華麗なリズムで扉がノックされます。絵を描くって言っておられましたし、芸術的な才能があるんでしょうね、きっと。
「はぁい」
扉を開けると、やっぱりそこに居たのはゲンくんです。
「今日はアイツいる?」
「アイツってお師匠様のことですか?」
「そうだよ! 昨日締め出しやがって、やな奴!」
「お師匠様は優しい方ですよ。ゲンくんこそ、お口が悪いと大人に嫌われますよう」
一応たしなめてみますと、ゲンくんはほっぺをぷーと膨らませました。
何か地雷を踏んでしまったのかも知れません。さっきまでの滑るような口調がピタリと止まってしまいました。
「なんだよ。皆して大人ぶって。……だから俺だって大人になりたいのに」
「ゲンくん?」
いじけてしまったのでしょうか。どうしましょう。困りましたね。
お師匠様はほっとけって言ってましたけど……それも私的には……うーん。
ほっとけ、ほっとけ、……ホットケーキ。
「そうです! ホットケーキでも焼きましょう!」
「はぁ?」
名案を思いついたとばかりに両手を合わせると、ゲンくんは怪訝そうな表情で私を見ました。
「一緒に焼きましょう、ゲンくん」
にっこり笑ってみせると、ゲンくんは顔をひくつかせつつ笑ってくれました。
*
そんな訳で、私とゲンくんはテーブルでホットケーキをつついています。若干のお焦げはご愛嬌ということにしておきましょう。
「苦い」
あら。ゲンくんは細かいことが気になるみたいです。
「シロップつけたら気になりませんよう」
言い返してみたら、ゲンくんは呆れたようにため息をつき、焦げたホットケーキを目線の高さまで上げました。
「魔女のねーちゃん、いつもこんな料理作ってんの? へったくそ」
「これでも少しずつ上手になってるんですよ?」
「モニカねーちゃんなら、何作っても上手なのに」
ゲンくんの顔が、花が咲いたみたいにほころびました。子供らしい表情は、出会ってからはじめて見たかも知れないです。
「モニカさん、知ってますよ。初等学校で後輩だったのです」
「え? 魔女のねーちゃんのほうが年上?」
「そうです。私十八歳ですよ?」
「へぇ。意外。モニカねーちゃんのほうが大人っぽい」
呆れたように言われてしまいました。
「まあそれは認めますけどね」
モニカさんの話をするときだけ、とても嬉しそうなゲンくん。これは鈍い私でもさすがに分かります。
「ゲンくん、モニカさんが好きなんですね?」
途端にゲンくんの顔が真っ赤になりました。うふふ。こんなところは子供らしいのですね、可愛いです。
「大人になりたいのはそのせいですか?」
ゲンくんは十歳って言ってましたよね。モニカさんは私より一つ年下だから十七歳。その差は七歳。ちょうど私とお師匠様の年の差と一緒なので人事とは思えません。
「……モニカねーちゃん。結婚するんだ」
「結婚? 学校行ってたんじゃなかったでしたっけ」
卒業は来年あたりって話だったと思うんですけど。
「セイリャク結婚だよ! 家のためにするんだ!」
「ええええええ」
政略結婚なんて、今時あるんですか! びっくりです。
ゲンくんは私の反応に満足したように頷くと、身を乗り出してきました。
「だから、俺が助けてあげるんだ。大人になればさ、俺がモニカねーちゃんを守れるだろ?」
「なるほど」
そうか。そうですよね。家のための結婚なんて悲しいです。やっぱり結婚は好きな人としないと。
それにしても政略結婚するほどお金に困ってるんでしょうか。コールゴールさんのお宅は、村一番のお金持ちですのに。
「……でも、ゲンくん、ごめんなさい。子供が大人になれる薬ってないのですよ」
「魔法使いだろ? 作れないの?」
「お師匠様なら何か出来るかもしれませんが。私は見習いですので、レシピがないと作れません」
レシピがあっても失敗してますけどね。
「なんかないのかよ! 探してよ!」
「ええー」
困りましたね。でも何もせずにできません、ってのもお店としては情けない限りです。何か探してみましょうか。
「じゃあ、ちょっと本で探してみますから。食べながら待っててください」
私は失礼して貯蔵部屋に向いました。そして本棚に並んでいる魔法薬のレシピをぱらぱらとめくります。すると、後を追うようにゲンくんが入ってきたのでびっくりです。
「ゲンくん、駄目です。このお部屋はお客様立ち入り禁止なのです」
「ケチ。いいじゃん。一人で探すより二人で探すほうが早いだろ? 俺、ちゃんと字は読めるよ?」
「それはそうなんですが」
困っている私を横目に、ゲンくんは低い棚から本を取り出して眺めます。そしてパラパラと見ながら、鼻をくんくんさせます。
「……この匂い」
「え? 匂い?」
「これラベンダーの匂いだろ?」
「ああ」
窓際には、確かにラベンダーが逆さにしてつるされています。乾燥してから貯蔵しようと思って干していたのですね。
それにしても鼻がいいですね。この部屋は、風邪薬の強烈な匂いやら薬草類の匂いやら、色々と混ざってしまっているので、私は鼻が麻痺してしまっていて嗅ぎ分けられませんが。
「そろそろラベンダーの季節も終わりですけどね」
「まだ少し庭に咲いてる。モニカねーちゃんが好きなんだ。よく庭に出て……泣いてる」
「え?」
「一人のとき、誰も見てないところで泣いてるんだ。だから俺、ねーちゃんは結婚がイヤなんだろうなって思うんだよ」
「そうなのですか」
「俺が守ってあげるんだ」
いたずらっ子みたいなゲンくんが、モニカさんの話をしてるときだけはなんだか格好いいです。本当に好きなのでしょうね。
私、何かしてあげれるとよいのですが。
「ゲンくん。私、何かいい方法探しておきますから。また明日来て下さいな」
「んー。わかったよ。またね」
そうして、ゲンくんが帰って行った後、私は実家に向かうことにしました。ママならお友達も一杯いますし、何かいい情報を持ってるんじゃないかなって思ったんです。
たった十分ほどの距離ですけど、帰るのは久しぶりです。
「こんにちは、ママ」
「あらぁ。アミちゃん。来たの?」
ママが玄関に入ってくる私を見て、嬉しそうに笑いました。
「今お客さんが来てるのよ。アミちゃんも一緒にお茶しましょう?」
リビングに入ってびっくりです。なんてタイムリーなんでしょう。そこにいたのはコールゴールさんの奥さんです。
コールゴールさんの奥さんは、理知的な顔に笑顔を浮かべて私を見つめました。
「アミちゃん、大きくなったわね。新婚生活はどう?」
「楽しいです。失敗ばかりですけれど、お師匠様に呆れられないように頑張っていますよ。コールゴールさん」
「コールゴールさんちのモニカちゃんも、来春結婚ですって。今日は結婚衣裳の相談にいらしたのよ?」
ますますいい感じです。天は私に味方していますね。これは聞きたいことが聞けるかもしれません。
「モニカさんは、絵の学校に行っていたのではなかったでしたっけ」
「ええ。私と同じように絵を描いてくれたらって思ってたんだけど。才能ってやはり限界があるのね。筋で言ったらゲンのほうがいいの。あ、ゲンってのは今うちで面倒見てる子供なんだけど」
知ってますよ。ついさっきまで一緒にいましたもん。
「結局今は違うことをしてるわ。一応入学したからには卒業だけはさせるつもりだけどね。モニカは結婚して家庭に収まったほうが幸せなのかもしれないわ」
ええ? そうなのですか。
私から見たらモニカさんもとってもお上手でしたのに。でもそれで政略結婚させられるのだとしたら、やっぱり可哀想です。モニカさん、まだ十七歳ですのに。
「でも遠くに行くのでしょう? コールゴールさん寂しくなるわね」
「まあね。仕方ないわ。それが本人のためよ」
ママは以前にも聞いているのか、細かいところを聞いてくれませんでした。ううん、肝心なことが分かるようで分かりませんね。
コールゴールの奥さんもモニカさんの幸せを願ってるようなのですけど、だとしたら政略結婚なんておかしいと思うのですけど。
とにかく、結婚するのは確かなことと、結婚したら遠くに行ってしまう。そのことだけは分かりました。




