Episode3 ラベンダーの花言葉・1
畑の薬草が青々と茂る本日。私とお師匠様は、降り注ぐ日光に目を細めつつ、室内でお薬作りです。
モワッとした湯気にまみれながら薬汁をかき回すこと74回……あれ、76回でしたっけ?
「お師匠様、回数がわからなくなりました!」
「ほんっとお前は集中力ないな。いま78回」
「あれえ、どっちも違いますー!」
ますますパニックになった私の手からお師匠様がお玉を奪います。今日のは100回混ぜなければならないのです。今更やり直しは嫌だとばかりに、お師匠様は無言でかき混ぜ続けます。
くすん。相変わらず役立たずです。しょぼくれていると、励ますかのようにドンドンドドドンと、素敵なリズムで玄関扉が叩かれました。
「私でます」
お薬に集中しているお師匠様を邪魔してはいけません。
それにしても誰でしょう。こんな小粋なノックをする人は。
「はぁい。魔法のお薬屋ですよう」
玄関ドアを手前に少し引くと、外側から強い勢いで持ってババンと開かれました。当然内側にいる私は後ろに押される形になり、よろけて尻もちをついてしまいました。
ドシンと全身に振動が走ります。ああん、痛いですー。
いつもならここで一人で騒ぐところなんですが、そんな暇もないほど素早くお師匠様が私を支えてくれました。
「アミ、大丈夫か!」
「は、はいぃ」
うわあうわあ、なんだかキュンキュンします。お師匠様ったらすっごく心配そうにしてくれてますー。
私がお尻をさすりながらときめいていると、そこに影がさしました。そうでした、お客様が来てたのでしたね。
「大人になれる薬を作ってよ!」
口元を真一文字にして、こぶしをきゅっと握り締めた小柄な男の子が、仁王立ちで立っています。
ツンツンに立った茶色の髪。あどけなさの残った顔。背は私よりも低そうです。
「大人になれる薬……ですか?」
挨拶よりも何よりも先に寄越されたオーダーを繰り返しつつ、ゆっくり体を起こそうとすると、お師匠様がさっと前に来て扉を閉めようとしました。
「そんな薬は扱っておりません。お引取りください」
「なんだよー。こらー、締め出すなー!」
男の子も負けては居ません。扉とドア枠の間に足をいれて叫んでます。しかし更に負けじとその足をキックして追い出し、扉を思い切り閉めてしまうのはお師匠様。
どうしました、大人げない。
「お、お師匠様。可哀想ですよ」
「お前ももっと怒れよ! 妊婦を転ばせるなんて最悪だ。クソガキ」
「こらー、いれろー!」
私たちの会話をさえぎるように何度も繰り返される雄たけび。可哀想というよりは、うるさいのでやめて欲しいです。
「もしあったとしても、礼儀を知らないようなやつには売らねぇ!」
お師匠様がそう叫ぶと、お外の(お師匠様いわく)クソガキくんは黙ってしまいました。この呼び名では何なので、せめてお名前だけでも聞きましょう。
「ご、ごめんね。ええと、私はアミです。君は?」
扉越しの会話。本当は顔を見てお話したいところですけど、お師匠様はとっても不愉快そうなので仕方ありません。
「俺、ゲン」
「ゲンくんというのですか? あ、もしかして。コールゴールさんのところの男の子ですか?」
コールゴールさんは村の高台に住むお金持ちさんです。奥様が素敵な絵を描かれるお方で、コールゴールさんはそれを売って稼いでいらっしゃるのです。そういうの画商というのでしたっけ。
確か、私より一つ年下のお嬢さんがいらっしゃるんです。
昔初等学校で一緒だったときには、とっても清楚でお上品で声をかけづらいくらいだったのですけど、年下なのに落ち着いていて、可愛らしかったです。確か名前は、モニカさん。
モニカさんもお母様に似て、絵の才能があったらしく、二年前から本格的な絵の勉強をするために毎日馬車で三つ先の町まで通っているはずです。
で、コールゴールさんの奥さんは、代わりにという訳ではないのでしょうけど、絵の才能のある小さな子を引き取って育てているらしいのです。その子の名前が、確かゲンくん。
「絵が上手なのですか? ゲンくん」
「さあ。みんなは上手いっていうけど、俺はわかんねー。描きたいように描いてるだけだもん。それよりさ、頼むよ。大人になれる薬を作って!」
扉越しの声は真剣です。子供相手ですし、開けてあげてもいいかと思うのですが。
ちらりとお師匠様を伺ってみても、頑なに扉を睨んでいます。ううん、これは無理でしょうかねぇ。
「大人に……って。どうなれば大人ですか? 大きくなれればいいんですか? ゲンくんは何歳ですか? 今よりいくつ歳をとれたら大人ですか?」
「俺は十歳。だから、……後十歳くらい?」
「ってことは私より大きくならないと駄目なのですよね」
あれれ。わからなくなってきちゃいました。どこからが大人なのでしょうね。
私的にはお仕事してたら大人かなと思っていたのですが。ゲンくんの基準だと私もまだ子供ってわけですよね。
でもお腹に子供もいますし。私、大人じゃなかったらなんなのでしょう。
「あー、変なことグダグダ話してんじゃねーよ。そんな都合のいい薬ねーの。売るもん無いから帰れよ」
あっさりと一喝してしまうのはお師匠様。
「魔法の薬屋の癖にそんなもんも作れねーのかよ」
ゲンくんも素早く反論。なかなか面白い攻防戦ですね。
「人に物を頼むときの言い方もわからないやつに作るもんなんか無い」
「なんだよ。俺は客だぞー。金ならあるんだから」
「金で解決したいなら他を当たるんだな」
最後はお師匠様が大人気なく力技で扉を閉め、そのまま鍵をガチャリと回しました。
「アミ、こんなガキは放っておいて続きやるぞ。煮詰まっちまったじゃねーか」
「は、はい!」
そういって、おなべの前に戻りましたが、どうにも気になって仕方がありません。
「次は左に三十回」
「……お師匠様ぁ」
「アミ、十三回で止まってる」
「すみません。でも……」
お師匠様はため息をついて、私のおでこをつつきます。
「気になってもどうしようもないだろ。大人になる薬っていわれてもな。注文が漠然としすぎだし、一足飛びに大人になっていいことなんかなんにもねーよ」
「まあ、そうなんですけど」
でも、とても必死な顔をしていたのが気になるんです。
大人になりたいって、私も二年前までは思ってました。だって私とお師匠様、七歳も歳が違うのですもん。
どうしても釣り合うようになりたいって。
今から考えれば無謀な願いでしたが、当時の私には真剣な願いでした。だから、ゲンくんもそうなのかなって思ってしまうんです。
考え事をしていたら、また手が止まってしまったようです。私は、お師匠様が両手を叩く音で我に返りました。
目の前の鍋は、煮詰まってしまったのか濁っています。
「駄目だ。これじゃ失敗だ。アミ、今日はやめていいぞ」
「……すみません」
「いいよ。もともと、中断した時点で失敗の可能性のほうが高かったんだ。また材料調達してくるから、お前は少し休め。さっき転んだの、本当に大丈夫か?」
お師匠様は私を座らせると、いつもの栄養剤を持ってきてくれました。これを飲むと元気になる気がします。
実はちょっとお尻が痛かったので、休めてラッキーかもしれません。最近少しずつお腹が重くなってきていて、疲れやすくなっているみたいです。
その後、お師匠様は失敗お薬を外に捨てに行き、「あのガキ帰ったみたいだぞ」と私に教えてくれたかと思うと、お鍋を洗い始めました。私はリビングの椅子に座り、お師匠様の背中を眺めているうちに、うとうとと眠ってしまいました。




