夫婦鷲
航空自衛隊千歳基地。
空自の基地の中で、この基地ほど知名度の高い基地も無いだろう。ソビエト連邦極東ロシア軍を指呼の間に臨む、北方の最前線基地として、幾度かメディアに紹介される事が多かったのが、その理由かもしれない。
事実、年間を通して、那覇とともに最多スクランブル発進数を記録しているおり、この基地は常に緊張に包まれていた。
……ごく一部を除いて。
「よく降るな」
猛烈に吹雪いている屋外に目をやり、風間 裕也は憂鬱そうに呟いた。
季節は12月。北海道は冬真っ只中だ。
航空自衛隊千歳基地には、F-15Jを装備する2個飛行隊、第208、209飛行隊が配備されている。
裕也は、第209飛行隊所属の戦闘機パイロットだ。 若手の部類に入る裕也だが、技量の高さもあってか、既にエレメント・リーダー(編隊長)資格を有していた。
裕也はもう一人の同僚と共に、航空自衛隊の任務の一つである、国籍不明の領空侵犯機に対する対処任務――アラート待機に就いているところだった。
「こんな時にスクランブルかかったら面倒だな。なあ?」
同意を求めるように、ソファに座っている相棒に呼びかけた。だが、返事が無い。
「……?」
不審に思い、振り返った裕也は、絶句した。
「くー……すー……」
相棒は、ソファにもたれかかるようにして、安らかな寝息を立てていたからだ。
女性だった。二十代に届いているのかどうか疑わしいほどに、あどけない、それでいて、髪型こそ男性のように短めだが、なかなか整った顔立ちをしていた。無骨なフライトスーツに身を包んでいる事からすると、彼女は裕也と同じパイロットのようだ。
裕也は、十秒ほど唖然としていたが、やがて我に返ると女性の傍まで歩み寄り、容赦無く頭を引っ叩いた。
「うにゃ!?」
寝息同様の可愛らしい悲鳴を上げ、女性は飛び起きた。
「何すんのよう!」
目を覚ました彼女は、恨めしそうな上目遣いで裕也を見上げた。彼女の飛行服の左胸の辺りには、「N・KAZAMA」というネームタグが縫い付けられている。
「何すんのよ、だと!? お前こそ何してんだ!!」
「お昼寝」
今度はグーで殴った。
「痛いぃ~」
女性は、殴られた頭を抱えて蹲った。
「アラート待機中に昼寝とは余裕だな、奈美」
裕也は低い声で言った。声音こそ冷静だったが、よく見ると、こめかみの辺りに青筋が浮かんでいる。
「ぶった…ぶったね!? しかも、グーで! 親父にさえ、ぶたれた事ないのに!」
「あのなぁ……」
「盲目的女権団体に訴えてやる! 「夫が些細な事で暴力をふるうんです」って!」
奈美は、口をへの字に引き結び、今にも泣き出しそうな目で、裕也を睨みつけた。
「……もういい」
裕也は疲れたように呟くと、奈美の正面にあるソファに腰を下ろした。
(ったく…なんで、こんな奴が空自にいるんだ?)
彼女――風間 奈美は、航空学生時代からの裕也の同期生で、裕也と同じ209飛行隊の戦闘機パイロットだ。各国の空軍でもそれほど多くは無い、女性戦闘機パイロットだ。もちろん、航空自衛隊では初の、という事になる。
彼女が、この209飛行隊に配属された時、あらゆるメディアに注目されたのは、想像に難くない。
以前、捏造と偏向で有名な「自称」国営放送テレビ局が取材に来た時、リポーターが、彼女にこんな質問をした事があった。
「領空侵犯してきた他国の軍用機と接触したときは、やはり緊張しましたか。怖かったですか?」
それに対して、奈美はにっこり微笑み、その場にいた全員が、唖然とする答えを返した。
「いやあ~。台所で、ゴキブリを見つけた時ほどじゃあなかったですよ~。北海道でもゴキブリって出るんですね~」
それも、生放送の場面でだのことだ。
裕也は、その時の事を思い出して、胃の辺りを抑えた。
しかし、性格はともかく奈美は、裕也に勝るとも劣らない卓越した操縦技術の持ち主だ。
特に、裕也とペアを組んでの編隊戦闘においては、絶妙のコンビネーションを発揮し、隊内では無敵を誇っている。
ある時などは、巡回教導に来た飛行教導隊編隊を手玉に取ったほどで、今でも隊内で語り草になっている。
だが、それだけではない、もう一つの重要な点がある。
(俺は……なんで、こんなすっとぼけた女に惚れちまったんだ……?)
裕也は、本日始まって以来、最大級の溜息をついた。
先ほどの奈美の台詞からも解る通り、二人は夫婦だったりする。
性格はまるで正反対にもかかわらず、なぜか気の合った二人は、何度かプライベートな交際を繰り返し―気が付いたとき、奈美の薬指には結婚指輪が輝いていた。
夫婦そろってイーグル・ドライバーである彼らを、僚友達は、親愛と多少のやっかみを込めて「夫婦鷲」と呼んでいた。
「今日は、スクランブル無さそうだねえ」
裕也の内心を知ってか知らずか、奈美は嬉しそうに言った。
裕也は待機所の時計に目を向けた。後15分ほどで、自分たちの直帯は終わりだ。
「……気を抜かないほうがいい。こういうときに限って、ホットスクランブルが掛かったりするからな」
「心配性だねえ、裕くんは。大丈夫だよ、ウラジオストクの辺りも今日は大荒れらしいし、いくら露助でも、こんな日に遊びに来たりは……」
気楽な口調で、奈美が言いかけたまさにその瞬間だった。
待機所内に明かに心臓に悪そうな、けたたましいサイレン音が鳴り響いた。
「と……!!」
「あ、スクランブル……」
裕也と奈美は反射的に立ち上がると待機所を飛び出し、アラートハンガーに向かって駆け出した。
「もう! 裕くんが変なこと言うからだよ!!」
走りながら奈美は、並走する裕也に愚痴をこぼした。
「俺のせいか!?」
奈美の口調が本気で咎めるようだったため、裕也は少したじろいだ。
アラートハンガーに駆け込んだ裕也は、灰褐色の制空迷彩を施された、乗機F-15Jに駆け寄った。
自分の機体にかけられたラダーを一足飛びに駆け上がり、シートに身を沈めると、コックピットにあるヘルメットをかぶった。ヘルメットには「FUMA」と、彼のTACネームがプリントされている。
駆け寄った整備員の手を借り、Gホースを接続、座席のハーネスを締め上げる。そうしている間にも、F-15Jの周りには数人の整備員が取りつき、発進準備を整えていた。
機体に取り付いていた整備員たちが、左右の主翼下のパイロンに2発ずつ装着された、国産の赤外線誘導ミサイルAAM-3と、機体の真下に装着されたガロンタンクから、安全ピンを抜き取った。
整備員たちが機体の傍から離れると、主任整備士が裕也に向けて、兵装チェック完了の合図を送る。
親指を立ててそれに答え、裕也はエンジンを始動させた。
「フォクシーフライト、チェック・イン」
「2」
奈美の2番機から、間髪入れず、発進準備完了のコールが入る。
エンジンを始動した2機のF-15Jは、ほぼ同タイミングでハンガーから滑り出し、滑走路までタキシングを開始する。
「チトセ・タワー、フォクシーリード。スクランブルオーダー」
「フォクシーフライト、チトセ・タワー。クリアド・フォー・テイクオフ」
滑走路端に到達したフォクシー編隊へ、管制塔から離陸許可が下りた。
「フォクシーリード、ラジャー。クリアード・フォー・テイクオフ」
管制官の離陸許可に、裕也が応答する。
「よし、行くぞ。ウェーブ、横風に注意しろよ」
「了解」
「フォクシーリード、テイクオフ!」
発進をコールすると共に、裕也はスロットルを開けた。
凄まじい衝撃音を残し、裕也のF-15Jが滑走を開始した。
奈美は乗機のコックピットで、裕也の機体が見る見る遠ざかっていくのを確認した。
「さて、と。次は私ね……フォクシー2、テイクオフ!」
裕也の機体がちょうど滑走路を離れる頃、続いて奈美が離陸滑走を開始した。
離陸を完了した2機のF-15Jイーグルは、ベイパーを引きながら、ハイレートクライムで瞬く間に雲上に駆け上がって行った。
千歳基地を飛び立った2機のF-15Jは、千歳基地の管制下を離れ、三沢防空指揮所の管制下に入った。
「フォクシーフライト。こちらミサワ・コントロール。アンノウン(所属不明機)への誘導を開始する。方位040、高度200に上昇せよ」
「フォクシー・リード、了解」
「2」
2機は要撃管制の誘導と、レーダーサイトからのデータリンクに従い、領空に接近するアンノウンに向け飛行していた。
厚い雲のせいで、地上を視認する事は出来ないが、2機は海上に出ていた。
「ねえ、フーマ。今日のお客さん、何だと思う?」
奈美が裕也に尋ねた。今日の夕飯のおかずは何がいい? と言い変えても違和感が無いような、のんびりした口調だ。
「さあな……」
「あたし、バジャー(Tu-16)だと思う。フーマは?」
「ん…? まあ、俺もそう思う」
「駄目だよ、それじゃ!」
「何が?」
「それじゃぁ、賭けにならないでしょ!?」
あまりにも真剣な奈美の口調に、裕也は頭を抱えたくなった。操縦桿を握っていなければ、間違い無くそうしていただろう。
「フーマはベア(Tu-95)にしなよ。ね? ハイ、決定~」
裕也ははしゃぐ奈美を無視し、前方に視線をこらす。
やがて、数キロほど先に、豆粒ほどの大きさの、飛行物体を発見した。
「フォクシーリード、タリホー・ターゲット。12オクロック」
「2、タリホー・ターゲット!」
裕也がターゲットの発見をコールすると、続いて奈美も発見をコールした。
接近するにつれ、銀色の機体が2人の目に入った。2人の駆るF-15Jの、優に二倍以上の大きさの機体だ。垂直尾翼には全体主義のシンボルともいえる赤い星。
ソビエト海軍電子戦機、Tu-16Jバジャーだった。
「やった、バジャーだ!! 私の勝ちだよ、フーマ」
「ミサワ・コントロール。フォクシー・リード。機種はTu-16Jバジャー」
奈美の戯言を完全に無視し、裕也は管制官に機種を報告した。
「電子偵察仕様のJ型だ」
「フォクシー・リード。ミサワ・コントロール。了解した。ただちに、通告、ならびに写真撮影を実施せよ」
「フォクシー・リード、了解。これより、通告ならびに写真撮影を実施する」
「いつもの定期便だね。さくっと追い返しちゃお」
「油断するな! どこにミグやスホーイが潜んでるいとも限らん」
あくまで気楽な奈美に、裕也はきつい口調で釘をさす。
「大丈夫だよ、フーマ。じゃ、記念撮影するねー」
「……ったく。俺はケツにつける。気を抜くなよ、ウェーブ」
「りょーかーい」
奈美と裕也は編隊を解き、それぞれ、バジャーの左前方と右後方に遷移した。
「『通告する。我々は、日本航空自衛隊である。貴機は我が国の領空に接近している。直ちに進路を変更せよ』」
バジャーは、裕也の通告などそ知らぬ様子で飛行を続ける。このまま行けば、数分で日本の領空に侵入する。
その裕也の声を聞きながら奈美は、右手で操縦桿、左手で一眼レフを構え、ファインダーを覗きこんだ。
「ん~?」
シャッターを切ろうと、ファインダーを覗きこんだ奈美だったが、バジャーの後部銃座の乗務員が、奈美に向かって何かハンドシグナルのようなものをしていた。
「え……なに?」
よく見ると、指を立てていた。真中の指を。
「むっか~! この露助め!」
奈美は怒りに震えながらも、立て続けにシャッターを切った。
「領空まで、あと5マイル」
要撃管制官が、緊張した声で言った。
「『貴機は我が国の領空に接近している。直ちに進路を変更せよ』」
裕也は通告を続けるが、バジャーが進路を変える気配は無い。裕也たちを嘲笑うかのように、悠然と飛行を続けている。
「ターゲットは領空を侵犯した。警告を開始せよ!」
要撃管制官の緊張した声が、裕也の耳を打った。
「ちっ……了解!」
裕也は小さく舌打ちをすると、ロシア語で警告を開始する。
「『警告する! 貴機は我が国の領空を侵犯している。直ちに退去せよ!』
」
ロシア語で何度か警告するが、バジャーは警告に従う素振りは見せず、悠々と領空侵犯を続けていた。
(……シカトしやがって。こっちが手を出せないと思ってやがるな)
「ウエーブ、ちょっと遊んでやろうか」
「はあい。待ってましたあ」
奈美は嬉しそうに言うと、瞬く間にバジャーの前方に踊り出た。そこで減速し、バジャーの進路を妨害するように、フラフラと飛行を始める。
同時に裕也はバジャーの真後ろに回りこみ、赤外線誘導ミサイルによるロックオンを開始した。
HUD上に菱形のダイヤモンドシーカーが出現し、バジャーのエンジン基部にロックオンをかける。ヘッドセットを通じ、裕也の耳に心地よいオーラルトーンが響き渡った。
突然進路を妨害され、さらに後方からロックオンをかけられたバジャーは、明らかに混乱していた。クルーの混乱ぶりが、機体のコントロールにも表れているようで、バジャーの機体が不安定に左右にぶれた。
バジャーのクルー達は、自衛隊が、こんなあからさまな脅しに出るとは思ってもみなかったのだろう。
慌てて、そちらの警告に従うとばかりに翼を左右に振った。
バジャーに対して示威行動を加えている最中も、裕也は周囲の警戒を怠らなかった。だが、どうやら護衛機の姿は無いようだ。
「よし、もういいだろう。そろそろ領空圏外だ」
「了解。ちぇっ、根性無しめ」
悪態を一つつくと、奈美はバジャーの進路を妨害するのを止め、上空に移動した。同時に、裕也もロックオンを解除する。
前方と後方の脅威が無くなると、バジャーは慌てて機首を巡らし、領空圏外へほうほうの体で離脱していった。
「ミサワ・コントロール。こちらフォクシー・リード。目標はポイントCを離脱して北上。領空圏外へ去った。時刻07:20」
「ミサワ・コントロール了解。たった今、こちらのF-2を発進させた。フォクシー編隊はCAP(戦闘空中哨戒)を引き継ぎ、千歳に帰還せよ」
「フォクシー・リード了解。よし、おうちに帰るぞ。雲を抜ける。しっかり付いて来い」
「2」
緩やかな角度でバンクしながら、2機のイーグルは雲海に突入した。
「うひゃあ」
奈美は思わず声を上げた。
(んー、何にも見えないなー……)
灰色の厚い雲のせいで、キャノピーの外は何も見えない。
(……あれ?)
何気なく計器に目を向けた奈美は、計器パネル中央の、機体の傾きを示す姿勢指示器の表示がおかしい事に気付いた。さっきまで、水平飛行をしていたはずなのに、姿勢指示器は、機体が左にバンクしている事を示していた。
(おっかしーなあ?)
操縦桿を右に倒す。今度は、機体が右にバンクしている事を示した。
(なんでだろ……機体がバンクする。水平飛行に戻したはずなのに)
首を傾げつつ、水平飛行に戻すべく、今度は操縦桿を左に倒した。
「フーマ? 何処にいるの?」
「お前から見て、2時方向だ」
「え……どこ? 見えない、よ……?」
奈美は右前方を見るが、厚い雲のせいで、裕也の機体は確認できない。
「なんかさあ……機体が変なの……」
「落ち着け。計器をよく見ろ」
「見てるよ! だけど、変なの。真っ直ぐ飛んでるはずなのに、バンクしてるんだよ!」
「……なんだって?」
「お、おかしいよ! 故障してる……どうしよう、計器が故障してるよう!」
(奈美……まさか!?)
雲海を抜け、奈美の機体状態を確認したとき、裕也の顔から血の気が引いた。
奈美の機体は背面になっていたからだ。しかも、徐々に高度を下げている。
「いや……! 助けて、助けて裕くん!」
混乱のあまり、奈美はTACネームではなく、裕也の名前を叫んでいた。
(畜生! バーティゴか!)
奈美の悲痛な叫びに、裕也は歯噛みした。
バーティゴ――空間識失調と呼ばれるそれは、視界の利かない雲中や夜間飛行で、自分が今、どんな姿勢で飛行しているのかわからなくなってしまう現象だ。上下左右の感覚を喪失し、知らず知らずのうちに、旋回をしていたり、背面飛行になったりして、酷い時にはそのまま墜落してしまう事すらある。
バーティゴに陥ったときの対処法は、自分の感覚をあてにせず、ひたすら計器の示す情報を信用する事。計器の示す情報は常に正しいからだ。
「ウェーブ、落ち着け。計器飛行に切り替えるんだ。計器は正確だ、信用するんだ」
内心の動揺を必死に押し殺し、裕也は勤めて冷静に、編隊長としての指示を飛ばした。
しかし奈美機は、背面飛行のまま、よろめきながらどんどん高度を下げていく。このままでは、例えベイルアウトしたとしても、無事に着水できるとは限らない。 よしんば、着水できたとしても、この季節では5分ともたない。
「フォクシーフライト、どうした。トラブルか?」
異常を察知した三沢基地の邀撃官制官が、裕也に呼びかけたが、裕也はそれを無視した。
「ウェーブ、ウェーブ! 落ち着いて指示に従え!」
裕也は呼びかけるが、パニックに陥っている奈美の耳には届かない。
「いや……助けて……助けて…!」
奈美の悲痛な悲鳴が、ヘッドセットを通して、裕也の耳を打った。
そうこうしているうちに、高度は既に2千フィートを切っていた。
(こうなったら……一か八かだ)
裕也はスロットルを全開にし、アフターバーナーを入れた。
一方の奈美は、完全なパニック状態に陥っていた。自分の感覚が信用できない。かといって、計器の示す情報も信じられない。自分の頭上に広がっている灰色が、厚い雲に覆われた空なのか、海なのかも判然としない。奈美はどうする事も出来ず、その只中に突入しようとしていた。
その時、奈美の頭上に突如として、巨大な影が現れた。
「……っ!」
それが何かを考えるよりも先に、奈美は反射的に衝突を避けるために操縦桿を前に倒した。意識しての行動ではなく、パイロットとしての本能がそうさせた。
「う、あ……!」
視界が真っ赤に染まる。
急激なマイナスG(上方向に加わるG)により、頭部に血液が集中し、視界が真っ赤に染まる現象――レッドアウトだ。
慌てて操縦桿を戻すと、徐々に視界が回復した。奈美は頭を振り、自分の頭上を振り仰ぐ。
「裕……くん?」
ほんの数メートル先に裕也の操るF-15Jがあった。バイザーが無ければ、キャノピー越しに、おたがいの表情が確認できるほどの近距離だ。
「あ、危ないじゃない……ぶつかるところだったよ」
「ウェーブ。落ち着いて、これから俺が言う事を聞くんだ」
「え……?」
「いいから、聞け!」
「う、うん」
「計器を見ろ、どうなっている?」
言われて奈美はHUDと、次いで計器パネル中央の姿勢表示器を確認した。
「は、背面になってる……」
奈美は、まるで他人事のように、ぼんやり答えた。
「そうだ。高度を取って今すぐ水平に戻せ。自分の感覚を当てにするな。計器は正確だ。計器の情報を信用しろ」
「う、うん……」
確かに、自分の機体はいつの間にか背面になっている。
もし、あのまま上昇だと勘違いして下降を続けていたら。そう考えると寒気を禁じえなかった。
奈美は慌てて機体を上昇させると、180度回転させ水平飛行に戻した。
「異常は無いか、ウェーブ」
「うん……大丈夫、ありがとう、フーマ」
奈美は涙声になりながら答えた。
「ごめん……ごめんね、フーマ」
「気にするな。バーティゴはどんなベテランでもなっちまうもんだ。運が悪かったんだよ」
裕也はなだめるように言うと、奈美機の下方に自機を潜り込ませた。
奈美の機体に外傷が無いかチェックするためだったが、幸いなことに杞憂に終わった。
「フォクシーリード、応答しろ。何があった?」
「こちらフォクシーリード。フォクシー2がバーティゴに陥ったが、なんとかリカバリーした。機体に外傷、その他の以上は見受けられない。」
「ミサワ・コントロール、了解。フォクシーフライト、直ちに帰還せよ。無事で何よりだ」
裕也の報告を受けた要撃管制官の声も、心なしか安堵の色を帯びていた。
「よし。今度こそ帰るぞ、ウェーブ。そろそろ燃料がビンゴだ」
「了解」
奈美は、先程とは打って変わった、落ち着き払った口調で応答した。
2機は編隊を組みなおすと、三沢のF-2隊にCAPを引き継ぎ、千歳への帰路についた。