花見酒
垂直に切り立った崖を駆け降りる水が、岩に、大気に、張り出した桜の枝に砕けて散り散りになり、辺りに降ってくる。その水飛沫が、一人の剣士の頬を濡らす。
その剣士は、自身の刀が水に曝されないように、今一度巻き布を締めつけてから、その瀧壺に足を踏み入れる。布に巻かれながらもその鞘は、一緒に下げられた一升徳利と当たり、軽い音を響かせた。
その纏められていない髪が濡れて肌に張り付くのも構わず、剣士は顔を上げる。細かく砕けた水の欠片と淡い花びらの残滓が、彼女に容赦なく降り注ぐ。
彼女が見上げた先にあるのは、白い――それこそ、雪にも見紛うように白い花を散らす桜だった。その枝は、巌の如く激しい瀧に打たれながらも、意に介さず伸び切っている。その枝の裏で、水飛沫から守られるように苔などが生えている。
それを見上げる剣士は、微かに微笑みを浮かべる。それは、哀愁のようでもあるし、自嘲のようでもあるし、幸福のようでもあるが、そのどれとも言えない。そして彼女は刀と共に下げていた酒の一升徳利を掴み、幾星霜とも知れぬ間ここにいる桜へと掲げる。その一升徳利には、銘が刻まれていた。瀧桜、と。
その銘酒を、雄々しき瀧と桜に存分に見せつけて、彼女はその場に胡坐をかいた。そして懐に手を差し入れ、朱色の杯を取り出した。そこに瀧が歓迎の意を僅かに注ぐ。
剣士は招かれた者の礼儀として、まずはそれを呑み乾した。そして、酒を閉じ込めていた上等な檜に、酒を豪快に降りかけて、返礼として瀧壺に投げ入れた。瀧はそれを味わうように転がして、そして呑み込んだ。
酌を交わして酒の場を整えた剣士は、自分の杯に酒をなみなみと注ぎ、溢れさせる。彼女は酒が零れるのにも構わず、勢いよく腕を伸ばして同席の二人に乾杯する。すると、瀧が再び杯に継ぎ足して、桜が心ばかりにとその花びらを肴にと添える。
それらを受け取った剣士は、質朴に――けれども見る者には優雅にしか見えない動作で杯を口に運んだ。まずは、杯の淵に桜が添えてくれた肴を舌でさらう。その鮮やかに広がる、春風のように爽やかでけれど芳しい薫りを味わう。そして、喉を焼くほどに強い酒を一気に呑み乾した。
口元に拭い、微笑みを絶やさない彼女は杯を再び掲げ、さらなる酌を要求した。
It is best taste.
春というテーマで書いた作品です。
春の息吹、命の脈動、儚さ、喜び、優雅さ――そんな秋のイメージを集めて散らせるイメージで書きました。春を思い出していただけたら、うれしいです。
では、あなたの春が愛おしいものであることを願って。
ちなみに、わたしは春を愛しています。