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家族の影  作者: hoku love
3/12

第一部 第二章 鍋の夜

美希を紹介されてから数ヶ月。


驚いたことにいつの間にか、美希は茂の会社で働くようになっていた。


美希が仕事を辞めたので、秀樹が紹介したらしい。


そのこと自体は特に気にならなかったが、美希と夫の茂は短時間にとても親しくなっていく。


夫は、いつの間にか美希の事を呼び捨てにし、二人で行動することも増えていった。


夫は娘のユキに対しては無関心なのに。


私はなぜかモヤモヤした。


夫に言っても、


「父親がいないから、父親のように慕ってるんだよ。」


そんなある日。


「久しぶりに家族みんなでご飯食べようよ」

そう言い出したのは、息子の秀樹だった。


その一言を聞いたとき、私は思わず胸が熱くなった。

このところ、息子は美希と過ごすことが多く、家族揃っての食卓は遠のいていた。

だからこそ「鍋」という響きが、私には懐かしく、救いのように聞こえた。


当日の午後、私は商店街を歩いた。

冬の冷たい風が頬を刺し、買い物袋を持つ手の指先がかじかむ。

けれど心は軽かった。


白菜、長ネギ、春菊、豆腐、鶏団子の材料。

魚屋でタラの切り身を買い、肉屋で豚バラを追加する。

野菜の瑞々しさと、店先の声の賑やかさが、今日だけは嬉しかった。


帰宅すると、台所でひとつひとつ切り分け、鍋に下ごしらえをする。

昆布を浸した水を温め、じわじわと旨味が広がる匂い。

湯気が窓を曇らせ、外の景色を淡くぼかした。

――この曇りの向こうに、家族の未来もあるのだろうか。

そんなことを考えながら、包丁を動かした。


夕暮れ時、リビングのテーブルに鍋を置いた。

湯気が立ちのぼり、寒々しい空気を柔らかく包む。


「いただきます」

四人の声が揃った。

茂、秀樹、ユキ、そして私。


「うまそう!」と秀樹が声を上げ、

「母さん、やっぱり鍋は最高だね」とユキが笑った。

茂も珍しく「寒い日はこれに限る」と口にした。


私はその光景を見て、涙が出そうになった。

――家族が揃う。それだけで、こんなに嬉しい。

大げさかもしれないが、私は本当にそう思った。


箸を伸ばしながら、皆の表情を眺めてしまう。

秀樹の顔に久しぶりに安らぎが戻り、ユキは相変わらず明るく会話を引き出してくれる。

茂も、少しぎこちないが笑っていた。


このまま時間が止まればいい。

そう願わずにはいられなかった。


しかし、幸せの湯気は長く続かなかった。


テーブルの端で、秀樹のスマホが震えた。

画面を見た瞬間、彼の口元に笑みが浮かぶ。

「美希からだ」

そう言うと、箸を置き、席を立った。


「えー、また?」ユキが茶化した。

「ラブラブだね」と続ける。

私もつられて「まあまあ、いいじゃない」と軽く相槌を打った。


そのときだった。


「……そんなに美希がいいんか?」


低い声。

鍋の湯気の奥から聞こえたのは、茂の言葉だった。


冗談の調子ではなかった。

声は真剣すぎて、空気を一瞬で凍らせた。


ユキが箸を止めた。

私も思わず手を止め、息を呑んだ。

秀樹は立ち上がったまま動けず、ぎこちなく笑った。

「な、何だよ父さん。変なこと言うなよ」


「答えろ」

茂の目は鋭く光り、息子を射抜いていた。

その目は、父親のそれではなかった。

まるで、男が男を競うような――嫉妬の色を帯びていた。


私は背筋に冷たいものが走った。

「茂さん、そんな言い方しなくてもいいじゃない」

慌てて言葉を挟んだが、茂は箸を動かしながら黙り込んだ。


鍋の湯気が立ち昇る。

けれど温もりは消え、鍋はただ静かにぐつぐつと音を立てるだけだった。


ユキが小声で私に囁いた。

「……嫉妬してるよ、あれ」


私は答えられなかった。

認めてしまえば、取り返しがつかなくなる気がしたからだ。


その夜の鍋は、最後まで味がしなかった。

美味しいはずの出汁も、舌に塩辛く残った。


――あの夜、私は確かに見た。

茂の目に宿る、父でも夫でもない、別の男の色を。


それは疑念の始まりであり、私が現実から目を逸らせなくなる最初の瞬間だった。






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