序章 揺らぐ家族
夫の視線が、息子の嫁で止まった。老年の妻は沈黙で家族を守れるのか――壊れていく形の中で小さな灯りを探す物語。
人は家族に救われ、家族に壊される。
その両方を、私はもう何度も味わってきた。
若いころは信じていた。
結婚すれば支え合える、子どもを育てれば幸せになれる。
夫婦も親子も、血で繋がった絆があれば揺るがないと。
けれど現実は、そんなに甘くはなかった。
夫・茂は表向きは穏やかで誠実に見える人だが、本心ではいつも自分の立場と体裁を第一にしてきた。
私と口論になれば「放っておけば元に戻る」と言い、問題から逃げる。
子どもたちが小さかった頃、私は何度も心細さに泣きながら夜を過ごした。
それでも母として、妻として、私は家族を守らなければならないと思ってきた。
息子・秀樹、娘・ユキ。
二人を育てることが、私にとって唯一の使命だった。
だが――息子の結婚と離婚、そして新しい女の登場。
それをきっかけに、我が家は音を立てて崩れていった。
家族の絆は、形を保ったまま腐っていくこともある。
私の物語は、その現実を語るものだ。
老年の妻・清子は、年下の夫・茂、息子・秀樹、娘・ユキと暮らしてきた。息子の離婚を機に現れた新しい恋人・美希は、幼少期の孤独と病を抱え、やがて茂と共振する。家族の食卓に走る一言の嫉妬。会社での“二人席”。親戚や街に広がる「どっちの嫁?」の噂。疑念は確信へ、しかし息子は「真実を知れば生きていけない」と震える。清子は沈黙を選び、娘と二人で小さな暮らしをはじめる――利害で離婚しない現実と、灯りのような救い。家族をめぐる倫理と愛の境界を、静かな一人称で描くヒューマンドラマ。