第一章 其の八
人の気配を感じてすっと目が覚める。
あれほど悩んでいたにも関わらず、どうやらぐっすりと眠ることができたらしい。昨日は長い距離を歩いたのもあって疲れていたのかもしれない。それに、夜は久しぶりに部屋でゆったりとできたのが大きかったのだろうか。いつも夕餉の後になにかと理由をつけて人に付き合わされていたのに、付き人が変わるだけでこれほどまでにかわるものなのか、とも思ってしまう。
そして、先ほど感じた気配は部屋へと入ってくるわけでも、声をかけるでもなくそこで俺が起きるのを待っているようだった。そこまでする必要はない、と言った方がいいのだろうか。いや、大名からの命でこのようなことになっているのであれば、俺がなにを言っても変わらないだろう。
ずっと待たせておくのも気が引けて、外へ向かって声をかける。
「水と、なにか軽い食事を持ってきてもらえるだろうか。」
「承知いたしました。」
驚くこともなく淡々と返事が返ってきて、次いでそこにあった気配が遠ざかるのを感じた。
そこから支度をし終えた頃合いに、見計らったように彼女が食事を運んできた。もはや驚きもしない。いや、いちいち驚いてられないといった方が正しい。
「では、お食事が終わりましたらまた昨日のようにしておいてくださいませ。」
こちらと視線を合わせることもなく放たれたそれに、どこか寂しさを感じて思わず引き留める。
「君は食べないのか?」
「いつも食事は自分の部屋で取っております。」
「...今もわざわざ?」
「はい。」
なにかおかしいことでも言っただろうか、というような怪訝な表情をされた。当たり前だ。彼女がただの女中というのであれば普通は客とともに食事などしないだろう。だが、昨日彼女自身が言ったように大名からの命があるために俺の言葉を無視はできない。それを逆手にとって一歩踏み込んでみる。
「よければ君もともにどうだろうか。いろんな話をもっと君としてみたい。」
そう言えば、今度こそぽかんとした表情で信じられないと言わんばかりの様子だった。
自分でも驚きではあるが、あれほどまでにひとりで食事をしたいと思っていながら、彼女ならば構わないと思ってしまった。それに、結局彼女は食事をした後にまた今朝のようにそこに戻ってくるのであるのならば手間だろう、とも感じたのだ。ならばともに取ればいい、という結論に至るのは俺にとっては必然だった。
「無礼を承知で申し上げます。昨日の大名様の意図にお気づきなのであれば、できるだけ私といる時間は減らしてくださいませ。」
しばらくお互いに黙ったままじっと見つめていると、彼女は我に返ったようにどこか棘のある声でそう言った。それは俺が気づいている、と確信したうえでの発言であることは読み取れた。
「俺としては都合がいい。」
とくになにも考えず衝動のままに出てしまった言葉に、彼女はこれまで見たことがないほどに狼狽えていた。淡い色の瞳は揺れて、薄く開いた唇は微かに震えていた。かと思うと、すぐにぎゅっと口を引き結んで俯いてしまう。
けれどそんな彼女とは反対に、俺は自分の言葉にどこかすっきりとしていた。
そうだ、彼女は俺にとって都合が良すぎるのだ。他の女人のように色目で見ることはなく、真正面から俺を見据えて対等に話をしてくれた彼女について知りたいと思ってしまった。もっと話をしてみたいと思った。あの大名の娘なんかよりもずっといい。
「...すまない。君を困らせたいわけじゃなかった。ただ君ともっと話をしたいと思ったんだ。それは、君にとってそれほどまでに難しいことだろうか?」
黙り込んでしまった彼女に、できるだけ優しい声で嘘偽りない本音を告げる。きっとここでの選択を間違えれば、二度と彼女との壁を取り払うことはできない気がして、緊張で握りしめた手のひらがじっとりと汗ばむ。
長く続いた沈黙に諦めかけたとき、彼女はようやく口を開いた。その声はとても小さく、震えていた。
「私が、他の女中とは違うということには、お気づきかと思います。」
「そうだな。」
「でしたらなぜ違うのか、という理由についてはどうお考えですか?」
「...」
それについてはさんざん考えてみたこともあるが、答えが出ることはなかった。大名が放った「大事な役目」、大名の娘の邪険にする態度、どちらも本当だと言われたふたつの名、どれをとっても異質でありどのような事情があるのかは計り知れない。どちらかというと嫌われているのか?と考えたこともあったがなぜこれほどまでに賢く気遣いのできる娘が、という思いのほうが強い。
「なんとなく違うということはわかる。だがそれだけだ。」
結局、答えにもならない返事を首をふりながら伝えれば、彼女は傷ついたように...なにかを諦めるように泣きたそうな顔で笑った。
「私は生きているべきではない人間だからです。」
予想外の言葉に目を見開く。
まるで自分が罪人であるかのように言われたそれは、俺にとってすんなりと理解のできるものではなかった。




