第一章 其の四
......待つとは言った。
だが、まさかこれほどまでに待たされるとは。
食事などとっくにとり終えて、もはや他の者は部屋を辞して大名とふたりきり。いつまでこうしていればいいのだと内心でうんざりしていると、ようやく声がかかる。
「お待たせいたしました。」
連れられてきた彼女は部屋へと入り、戸の前で膝をつくとゆっくりと頭を下げた。
「お待たせしてしまい、誠に申し訳ございません。どのようなご用件でしょうか。」
「急に呼び出してすまなかったな。将軍様がお前に海辺の案内をしてほしい、とのことだ。」
「...承知いたしました。」
あっさりとことが進んだものの、彼女はどことなく嫌そうだ。
彼女を連れてきた大名の娘は、もはや隠す気もないのか今にも掴みかかりそうな勢いで睨んでいる。俺の頼みごとのせいで居心地を悪くさせているのは申し訳ないが、正直なところ、大名の娘を遠ざけられるなら利用できるものは利用したい。
「それでは、彼女をお借りします。」
もはやここにいる理由もなくなったため、早々に去るべく大名へと告げる。視線だけで彼女についてくるように促しながら、これ以上話を振られる前に退室した。
少し遅れて、後ろからついてくる気配を感じた。
前を向いたまま、歩き続けながら問いかける。
「このまま向かおうと思うが、構わないか?」
「かまいません。」
短く、興味もなさそうなその応えに、あの夜のような気安さは感じられず、残念に思う自分がいた。そして、そう思った自分に動揺し、足を止めてしまった。後ろの気配もそれにあわせて立ち止まる。
なぜ俺は、彼女があの夜のように柔らかく微笑みかけてくれると思い込んでいたのだろうか。あの夜に、踏み込もうとする俺に困っていたのは気づいていたはずだ。それに、今回に関しては大名の娘から逃れるために利用もした。聡い彼女はそのことにも気づいているだろう。
嫌がられても仕方ないではないか。
「どこか具合でも悪いのですか?」
静かな声に、はっと意識が外へと戻る。
ちらりと振り返れば、止まったまま一向に歩き出さない俺を不審に思ったのか、怪訝そうな声でありながらも感情の見えない顔で小さく首を傾げていた。途端に、なぜか苛立ちを覚える。
「なんでもない。」
そう言って、また前を向きなおして先ほどより少し速足で歩きだす。
なぜ、そんななんともないような、どうでもいいような顔でいられるのだろうか。大名の娘のあの眼差しには気づいているだろう。俺が君のことを都合よく扱ったことにも気づいているだろう。
出会ったときからそうだった。
自分が傷つけられようと、怒ることもせずにそれが当たり前のようにただ受け入れるだけ。腹を立てて声を荒げて詰ってくれたほうがよほどましだ。彼女を都合よく利用した自分のことを棚に上げて苛ついていることも、さらに嫌悪感が募り、悪態をつきたくなる。
そんな俺を知ってか知らずか、後ろの彼女は俺の歩調に合わせるように少し速足で、けれども音を立てぬように静かについてくる。
わけもわからず、そのことにさらに腹を立てながら、長い廊下をふたりで歩いた。
しばらく歩いた後、門をくぐり外へと出ようとした際に、初めて彼女から声がかけられた。
「馬を、用意いたしますので少々お待ちください。」
くるりと後ろを振り向いて、腕を組む。
たしかに、ここから海までは距離がある。彼女を歩かせるのは酷だろうか?だが、道中にあるいくつかの店にも立ち寄ってみたい、という思いもある。なにより時間をかけたい、というのが一番の魂胆ではあるが。
「できれば、歩きで道中の店なども見てみたいのだが、君は馬に乗っていたほうが楽か?」
悩みながら、そのまま決めきらない考えを質問してみる。
彼女はしばらく口を小さくあけたかと思うと、次に眉間にしわを寄せた。
「ここから海辺まで歩くのはあまり推奨できません。馬で行っても一刻はかかります。」
「まあ、そうだろうな。ようやく監視もいない状態で出かけられるから、気楽に歩きたかったのだが仕方ない。」
彼女の言葉に諦めもついて大人しく従おうと思っていると、なぜか彼女はぐっと口を引き結んで俯いた。
やってしまった。我ながら子どもじみた我儘を、と苦笑しているとふっと息を吐く音が聞こえた。
「このまま参りましょう。」
「...いいのか?」
「先ほどお食事をとられたばかりでしょうし、歩きで行けばちょうどよい時刻に海辺で美味しい料理をいただけるかと。」
「なる、ほど?」
まさか、いいと言われるとは思わず驚きに目を見開いてから、彼女の言葉に今度は首をかしげる。
「自由に歩いていただいて構いません。必要であればお声がけください。」
暗に邪魔するつもりはないから自由に歩け、と言われて戸惑いながらも歩きだす。
「俺としては、せっかくだからいろいろと説明をしながら、隣を歩いてくれると助かる。」
そう言って、隣を指さしながら後ろを振り返る。
「私でよければ。」
彼女も今度は嫌がるそぶりもなしに応えてくれた。




