第一章 其の三
ふと目が覚める。
外から漏れる明かりがまぶしくて、目を細めた。
結局、昨日は彼女の名前を聞けただけで、まだまだ謎の多い人物のままだった。
ゆっくりと身体を起こしながら、今日やるべきことを頭の中で整理する。ここに滞在できる時間は残り僅かのため、それまでにずっと抱えていたこの違和感をなんとか捉えたいものだ。
つらつらと、そんなとりとめのないを考えながら身支度をしていると、また今日も外から声がかかる。
「お目覚めでしょうか。朝餉の支度が整っておりますので、ご案内いたします。」
いつものことでありながらも、ため息はついてしまう。
それでも、今日はやるべきことのひとつがそこにあるために、行かない理由もなかった。
ここでの食事もあとわずかとなる。
「将軍様、よければこちらはいかがでしょうか?海の向こうより仕入れた珍しい茶葉になります。」
そういってそばに寄って来られるこの煩わしさも、もうじきなくなるであろうと思うと寛容になれる。こちらへと来た初日に『食事は必ずともにとりましょう。』と言われたときは正直断りたかったのだが、この大名...というよりはこの領地との関係を悪くするのは得策ではない、というのが見解であるために無下にすることもできなかった。
この娘殿が先ほども言ったように、海と面するここは他国との貿易も盛んで、また漁業にも力を入れていることでかなり豊かである。そして、それらをすべて指揮するこの大名は、領地を治めることに関して随一の腕を持つ、とされているのだ。
「将軍様?この後、もしお時間が空いているようでしたらともにお出かけしませんか?」
完全に話を聞かずに、自分の世界へと入り込んでいた俺は、ふと聞こえた言葉に反射で顔を顰めてしまった。しかし、そんな様子には気がつかず大名が続く。
「おぉ、それはいいな。ぜひ娘を連れて行ってやってください。」
にこにことした笑みで言われ、頭を抱えたくなる。ぼんやりとしていた俺も悪いが、隙あらば娘殿と一緒になにかをさせようとするのはやめてほしい。
「...申し訳ありませんが、この後は海辺のほうへと出かけるつもりでして。」
「ならば...」
「いえ、案内はとある人にお願いしたいのです。」
なにかを言おうとした大名を遮って言う。
ちょうどいい。この機会に彼女について探ってしまおう。
「この屋敷に、鈴音という女中がいますね?その者に案内をお願いできますか?」
なにかおかしなことを言っただろうか、と不安になるほどにあたりは一斉に静まり返った。
横にいる者たちと顔を見合わせると、大名は不思議そうに首をかしげた。
「だれか、この名について心当たりのある者はいるか?」
そんな風に問いかけながら。
だが、だれもが首を横に振るほどに心当たりがないという。どういうことだろうか、と内心で俺自身も首をかしげる。まさか騙されたわけではあるまい。あのときに、嘘をついているような様子はなかったように思える。
このまま待っても仕方ないため、別角度より攻めようと切り替える。
「失礼しました。ここに来たときに開いていただいた宴にて会った者なのですが、名前を聞き間違えたようです。こちらの娘殿もその場にいらしたので、おわかりになるかと思うのですが、あのときの女中を覚えていますか?」
ほとんど、覚えているだろう?という強迫に近い調子となったが、こちらとしては言い逃れをさせるつもりもなかったので、隣を見やりながら目線でも言えと促す。
だが、娘殿は俯いただけでなにも言わなかった。
「どうした?覚えていないならそれは仕方がないだろう。すべての女中を集めるように...」
「なりません!」
大名の言葉に、がばりと顔を上げた娘殿は父の言葉を強く遮った。
そして、ちらりとこちらを見るとすぐに父のそばへと近寄って、なにかを耳打ちする。
あのときから、娘殿の彼女に対する対応に疑問はあったが、やはりここでもそのおかしさは増す。娘殿と彼女の間にはなにかがあるのだろうなと感じずにはいられない。それもあまりよくない感情の。
「将軍様、あの者はうちの大事な役目を任せておりまして...」
「大事な役目?ただの女中だと聞いたのだが?」
「...」
言葉を詰まらせて焦った表情を見せる大名をじっと観察する。
大名の言葉が本当ならば、彼女は俺を騙したことになる。だが、嘘でもあれば大名がなにかしらを俺に誤魔化したことになる。
さて、どうする?と内心で笑っていると、大名が近くにいた者を呼び寄せながらこちらを見る。
「すぐにその者を連れて参りますので、少しお待ちいただけますかな?」
口の端を引きつらせながらも、承諾の意を示した。
「もちろんです。」
少し待つぐらいなどなんてことはない。
そんな風に表では笑みを見せながら、ようやく一歩進んだことに内心では安堵を覚えていた。




