第一章 其の二
それからは、綺麗に整えられた庭をふたりでゆっくりと歩きながら話をした。
そうでもしないと、彼女は立とうとはしなかっただろうことが窺えたから。
「ここは、広い海を見渡せる浜辺があってとてもいい。波の音を聞いているだけで心が落ち着く。」
「将軍様は静養でこちらにいらしたと聞いたのですが、数日こちらで過ごしてみていかがでしたか?ここは海辺だけではなく、山側もそれなりに整えられておりますので、よければ一度そちらにも足を運んでみてください。」
「近くで見る海もよかったが、遠くの山から見下ろすのもまたいいのだろうな。」
その景色を想像しながら呟いた俺に、彼女は頷き返しながら続けて説明してくれる。
「山には大名様が所有されているお屋敷がありまして、そちらでは温泉もお楽しみいただけます。今の時期であれば花も見頃かと思います。海をお気に召していただけた、ということであれば領地の半分ほどが海に面しているこの地では、漁業にもかなり力を入れておりまして、毎日新鮮なお魚を提供できるお店も多くあります。」
「それはいいな。実は海をこの目で見たのは初めてなんだ。せっかくだし、ここにいる間にそういったここならではのなにかしらを感じてみたいものだな。」
「それでしたら、明日は浜辺近くにおすすめの鮨屋がありますので、案内するように人に伝えておきます。」
「おや、君が案内してくれないのか?」
少し意地悪く片方の口の端を上げて言えば、彼女は困惑したように、それでいてどこかありえないことを聞いたかのように、こちらを見た。
「私には案内などとてもできません。それに適した人がおりますので、どうかその者から詳しいお話を聞いてくださいませ。」
「なぜ?先ほどまでの話でも、君が領地のことに詳しいことがわかる。何も問題はないだろう。それに、俺は君がいいんだ。」
「過分なお言葉、痛み入ります。」
彼女はそういって軽く頭を下げたが、欲しい返事はもらえなかった。
やはりこの娘にはなにかあるのだろう。
だが、これほどまでに俺と話ができる娘は珍しい。基本的に、女人は領地のことに詳しくなどないからだ。それに、昼は部屋で仕事をしていて人に会うことはないと言っていたが、下手をすると案内人よりも博識なのではないかと、ここにきてから案内を務めてくれている者たちを振り返りながら思う。もちろん案内の者たちもきちんと詳しくはあったのだが、それは店にたいしてのみだったりで、領地内での流れについてまで詳しいわけではなかった。そして、俺のような客人の部屋を用意する権限を持つほどの地位にいるのであれば、問題ないのではないかと考える。なにより、この短時間でこの娘をとても気に入ってしまっていた。
じっと見つめながら黙り込んだ俺に対して、同じように足を止めた彼女はとても気まずそうに肩を揺らした。
「いくら暖かくなってきたとはいえ、これ以上はお体に障ります。」
俯いてしまった彼女の本音としては、心配半分、これ以上は関われないという拒絶半分、といったところだろうか。先ほどからずっとあった、彼女との間にあるこの明確な線引き。それはきっと彼女にとって踏み込んでほしくないことが窺えるそれを、どうすべきかを考えて、ここは引いておくことにする。
俺の言葉が相手に強いることができるものであることは自覚している。だからこそいつも間違えないように、と踏みとどまって引き下がる。彼女に対してもそれは同じで...いや、好感を持つ彼女だからこそ、余計に不愉快な思いにはさせたくなかった。
「そうだな、そろそろ戻るとしよう。だが、最後に聞かせてほしい。」
「なんでしょうか?」
「君の名はなんという。」
悩んだ末にこれだけは許されるだろうかと名を聞けば、何を言われたかわからないとでも言いたげに目を丸くした彼女を見て、思わず小さく笑った。ずいぶんと可愛らしい娘だ。
そう思ってしまった。
今まで、勝手に腕を絡めて甘えた声でさあ自分のものになれ、と強欲な瞳で寄ってくる者たちが多かったため、ここまで不愉快さもなく楽しく会話ができたのは初めてだった。
「いや、こちらが先に名乗るのが礼儀だな。失礼した。改めて、将軍を務めている遠夜と申します。」
こういえば、向こうが断れないであろうことを承知の上で、あえて丁寧に頭まで下げてみせた。
読み通り、彼女は慌てて深く頭を下げて名を聞かせてくれた。
「このお屋敷で女中を務めます.........鈴音、と申します。」
名を告げることに躊躇いがあったのか、少し言い淀みつつも答えてくれた。そのことに嬉しさを覚えつつも、教えてくれたその名を口の中で転がす。
「鈴音、か。君によく似合う、いい名だな。」
心から思ったことを口にすれば、彼女は少し笑いながら「ありがとうございます。」と小さな声でそう言った。




