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月鬼桜 ~薄明の願い~  作者: 釉亜


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番外編 そよぐあわい

「旦那様が申し訳ありません。」

ふたりで晴れた昼下がりの町を歩きながら、少し後ろを歩くその人へ謝罪の言葉を口にする。

旦那様が鈴音殿に対して冷静になれていないことを察して、勢いのままに出てきたのはつい先ほどのことだ。


「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。私のせいで......。」

「鈴音殿のせいではありません。こと貴方に関しては冷静でいられない旦那様がよろしくないのです。」

すぐに自分を責めてしまう彼女に、きっぱりと首を振る。しかし、彼女はこちらの意図を汲みきれなかったようで「お役にたてるよう努力してはいるのですが......」とうなだれる。

そんな様を見て、彼女がこのように疎くては旦那様が苦心されるのも致し方ないのだろうとも思う。

「鈴音殿にとって旦那様は頼りになりませんか?」

「まさか、とても頼りになるお方だと思っています。それに、お屋敷の皆様にも良くしていただいて本当に感謝しております。」

鈴音殿は私からの問いに即座に首を横に振って否定した。

「その、将軍様のお手をできるかぎり煩わせないように実様にご相談させていただいていたのですが、やはり領地のことに関しては将軍様にご相談すべきだったのでしょうか?」

申し訳なさそうに眉を下げる彼女には、やはり旦那様の思いが微塵も伝わっていないのだろうことが窺える。もはや旦那様に憐れみさえ浮かぶほどだ。


どうしたものか...と悩んでいれば目的の店へと到着し、足を止める。

「ひとまず、店に入りましょう。」

「はい。」

素直に後ろをついてくる姿を確認しつつ、暖簾をくぐって店内へと入る。

出迎えてくれた店の者に案内されて奥の小さな部屋へとあがれば、すぐに茶まで用意してくれる。それに軽く頭を下げて、今日ここに来た目的についてまずは片付けてしまおう、と咳払いをした。

「年明けに帝のもとで行われる新年祭での衣服を誂えるために今日はここに来ました。まずは反物の選別をお願いできますか?」

「私でよろしいのですか?実様の方が慣れていらっしゃるのでは...?」

「たしかに慣れてはいますが、それだけです。鈴音殿であれば今の流行がどういったものか、将軍様に合うものがどのようなものかを、きちんと選んでいただけると思いまして。」

にこりと微笑めば、今度はこちらの意図に気づいたようで「そういうことでしたらお任せください」と頷いてくれた。

そう。帝もご臨席される宴にて(まと)う衣服はとても大切なものなのだが、いかんせんうちの旦那様は「どうでもいいから動きやすい服を」と言ってきかない。

けれども鈴音殿が選んだものだと言えば、嫌そうにしながらも着る以外の選択肢がないことがわかっているので、そのために鈴音殿に来ていただいたのだ。

運び込まれる反物たちをじっくりと観察する鈴音殿を見て、初めて会った日のことを思い出す。






「お客様から笠平様にお話ししたいことがある、とご伝言をいただいております。」

「私に?」

そのお客様を案内していたはずの女中が私のもとを訪れてそう言う。

こうして旦那様のいない場で話があるなど、きっと(ろく)でもないことを言われるのだろうと嘆息した。向こうで女中をしていたと言っていたが、旦那様に見初められたと勘違いをしてここに来たのだとすれば、面倒なことこの上ない。

先ほどの旦那様の様子からしておそらくそういうつもりはなかったのだろうが、今までもそういった勘違いをおこした者たちに、ここの屋敷の使用人たちは良い扱いを受けてこなかった。


憂鬱になりながら、(くだん)のお客様がいるという部屋の前でぴたりと足を止め、小さく息を吸う。

「深鈴殿、私にお話があると聞きまして参りました。」

声をかければすぐに襖は開かれる。

「わざわざ申し訳ありません。」

「かまいません。どのようなご用件でしょうか?」

「人に聞かれたくありませんので、中へお入りください。」

中へと促されてそのまま腰を下ろせば、彼女はすぐに話を始めた。

「きっとこのことは将軍様はお話になられないと思いますので、将軍様が厚く信頼を寄せる貴方様にのみお話させていただきます。」

そういって話された内容は、自身がどういった立場の人間であったか、どういった経緯でここに来ることになったのか、そして柊の大名よりどのような命を受けているのか、といったものでこちらが驚きでなにも言えない間にも止まることなくそれは続けられる。

「こういった育ちゆえに、先ほど名乗った名は偽りとなります。改めまして、鈴音と申します。」

「.........なぜ、このようなお話を私にされたのでしょうか。」

綺麗な動作で、丁寧に頭を下げた彼女のつむじをじっと見つめる。彼女は頭を上げることなく、まるで断罪を待つかのようにこちらへと静かに言葉を紡いだ。

「将軍様は私を迎え入れることを問題ない、と仰いましたが皆様にとってはそうではないかと思いましたので。」


無機質な声で語る彼女から、すっと目を逸らしてしまった。

彼女の言う通り、私たちとしては旦那様やこの領地の敵となりうる者を、受け入れることなど到底できない。しかし、そんなことは旦那様も承知の上だろう。それを加味してもなお、ここに連れてきた理由がたやすく想像できてしまった。

きっと、彼女の生い立ちを憐れんでしまったのだろう。

旦那様はそういう人なのだ。

あれほどまでに人を嫌うようなそぶりを見せておきながら、見捨てることをしない。

「......私は、こちらの情報を渡すつもりはありません。あのような場所から連れ出してくださった将軍様に、このご恩をお返ししたいと思っております。私のせいで結ぶことになってしまったこの取引をなくし、柊の大名がこちらに手出しできないようにするまでの間でかまいません。どうか、その間だけここにいることをお許しいただきたいのです。」

床につかれた白く、華奢な手が震えていた。

それは私に対する恐怖からなのだろうか。...たとえそうだったとしても、心を鬼にせねばなるまい。旦那様がこの娘に憐憫(れんびん)を抱かれているのであれば、その心を利用されて悲惨な目に合うことだけは阻止したい。

「そんなことが貴方に可能だとでも仰るのですか?大名のもとでいいなりに生きてきた者の話をどう信じろというのです?」

「いいえ。信用など、しないでくださいませ。ですが、私という存在が弱みとなりうるのはあちらも同じ。大名の近くで過ごしていたからこそ、よく存じ上げております。」






ちょうどよい(ぬる)さの茶を飲みつつ、ときおり寄せられる質問に答えながら今ではすっかりと(ほだ)されてしまった娘を見やる。

幾重にも広げられた反物たちをじっと眺めたり、一言二言店の者になにかを話してこくりと頷いたり。正直、新年祭用の衣服について軽く意見を...と思っていただけなので、まさかこれほどまでに知見があるとは思わず、これは時間がかかりそうだと内心で焦り始める。

そろそろ止めるべきか否かを悩み始めた頃、彼女はようやくこちらをまっすぐに見据えた。

「これらでいかがでしょうか。」

これら、と称されたものを自らの手で私の前へと運ぶ。

「全体的に暗めで落ち着きを、そして袖や襟には金糸を使い、文様をいれていただくのはいかがでしょうか?」

選ばれた留紺(とめこん)色は、きちんと着る人のことが考えられており、かといって地味になりすぎないように装身具は明るめの色が選ばれている。

広げられたそれらは、一目で問題なく旦那様に似合うだろうことが想像でき、文句ひとつなく頷いた。

「かまいません。こちらでお願いしましょう。」


そうして細かい指示や日程などが決まると、「ごゆっくり」という店の者の言葉に甘えて、淹れなおされた茶を啜った。

「鈴音殿はこういった色はお好きですかな?」

床にいまだ散りばめられているうちのひとつを拾い上げて、唐突に隣へと問いかける。彼女はいきなりのことに困惑しながらも答えてくれた。

「そうですね、綺麗な色だと思います。」

「ふむ、こちらは?」

「そちらは暗い色ではありますが、合わせる色によってはとてもいいものに仕上がるかと。」

私が手にしたものをじっと見つつ、合うと思ったのだろう別の反物をその手に持ち、重ね合わせる。

その様子を見て、思わず笑いが込み上げた。

いきなり笑い出した私を不思議そうに見る彼女へ、まずは謝罪をする。

「いや、失礼。鈴音殿にはこういったことが難しいのですね。」

おそらく言われたことが理解できなかったのだろう。ぎゅっと眉根を寄せて考え込んでしまった彼女に、こちらの笑みは深まる。

「旦那様も、こういったことが苦手なのです。」

「あの...」

「ですので、」

なにかを言おうとした鈴音殿を遮り、私はその手にそっとそれらをのせ返した。

「今度、おふたりでこういったことについてお話をされるのがよろしいでしょう。」

「.........反物、の?」

ひどく困惑したその表情に私は耐え切れずに声に出して笑ってしまった。


今はそれでいい。


こういった些細なことからでも話をするようになれば、おのずと自分の嗜好(しこう)について考えるようになっていくだろう。...というよりも旦那様が見つけていくだろう。

その光景がありありと目に浮かんでしまい、その後もしばらくは笑いを止めることができなかった。

諸事情により、次週からしばらくの間お休みさせていただきます。

なるべく早めに戻れるように努めたいと思います。

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