第二章 其の十
「それは...」
それは、きっとあの夜に話してくれたことがそうなのだろう。
「人を頼ることを知らない...か。」
「お心当たりがあるのですね?」
「まあな。幼少期からどのように過ごしていたか、少しだけなら聞いている。」
改めて、思い出された鈴音の過去に、ぽつりと漏らせばすばやくじいやが拾い上げ、それに俺は肩をすくめつつ答えた。
あちらの大名が代替わりしたのはいつの頃だっただろう。
覚えていないくらいには遠い記憶だ。ならば、それほど幼き頃から自分を守ってくれる者などいない状況で、己の身ひとつで生きてきたということ。ずっとひとりで生きてきた鈴音にとって、だれかを頼るというのは難しいものであり、どうしてそんなことをするのか理解できないものなのだろう。
それに比べて俺は、恵まれていたのだと今さらながらに気づく。
親はそれなりに厳しくあったが、そばにはいつもじいやや屋敷の者たちがいて支えてくれていた。
甘えることを許されていた。
幼少期は命の危険に脅かされることもなく、嫌なことには顔を顰めて「嫌だ」と駄々をこねることができていた。
そのことがわかってしまえば、先ほどの自分がひどく恥ずかしくなる。
「...鈴音は自室にいるのか?」
「いいえ、彼女に与えた書斎にいらっしゃると思いますよ?」
「書斎に?」
「はい。」
なぜだと不思議に思い、同じ言葉を繰り返した俺にしごく当たり前のことであるかのようにじいやは頷いた。日などとっくに暮れて夜も更けようというのに、眠ることはおろか、書斎でいったいなにをしているというのか。
口を開いては、閉じて。
なにをしているのか、それをじいやに聞こうとして考え直す。こういったことを鈴音自身に聞けるようにならなければいけないのでは?と思い直したからだ。正直、今から訪ねるのは迷惑かもしれないとは思えど、もし、鈴音も今日のことを気にしていたとしたら...?とそんな淡い期待も胸にこみ上げて、俺は立ち上がる。
「今日はもう仕事はしない。」
「はい。それでは私も失礼いたします。」
正解だ、とでもいうようににこりと笑顔で頭を下げられた。そのことに、なんでもお見通しかと苦笑して見送り、俺も目的の場所を目指して歩き出した。
「鈴音、いるか?」
薄暗い廊下で、少しの間逡巡しながらも中へと問いかける。
鈴音が先ほどのことをどう思っているか、なんと話を切り出せばいいのかを悩みつつ待ってみるも、いっこうに返事がない。気配はそこにある気がするのに、まさか気絶でもしているのかと慌てて引手に手をかければその瞬間、いきなり目の前が開けて半端な姿勢となる。
近い位置で対峙する形となり身を固くすれば、鈴音は不思議そうに瞬きをした。
「あの、どうかなさいましたか?」
なんとか心を落ち着けて、できるだけ自然に姿勢を立て直すことができた俺は、ひとまず何事もなさそうな様子に安堵する。
「まだここにいると聞いて、少し話をしようかと。」
「そうでしたか。すぐにお茶を用意してまいります。」
気にするな、と声をかける間もなく立ち去った鈴音に脱力する。
あのようなことがあったにも関わらず、いつもと変わりなく接する姿に喜べばいいのか、悲しむべきかわからず、腰を下ろしてみても落ち着かない。こんな状態でまともに話せるのかと頭を抱えているうちに、鈴音は戻ってくる。
「申し訳ありません。お待たせいたしました。」
「あぁ、いや。わざわざすまない。」
ことり、と目の前に置かれた濁るお茶をじっと見つめる。
まずは謝罪を...いや、いきなりは驚くだろうか?しかし、なぜあのような行動をとったのかを事細かに説明するのは恥ずかしすぎる。だが、語らないことには謝ることはできないだろう......。
永遠と、巡る思考にとらわれていれば、鈴音がすっと身体を傾けた。
「その、こちらの反物ですが、色としては暗くてもこちらの反物と合わせると落ち着いていながらも華美さがあって、少しお出かけをするようなときでも合うと......思うのです。」
「............?」
いつの間にか目の前に広げられていたそれらを、鈴音の手に導かれて見る。
「こちらは少し明るい色味ですので、春先などにむいているかと思います。」
俺にかまわず続けられたそれは、たしかになと頷きたくなるが、そもそもこれはなにに対する説明だろうか。焦りながらも行きついた答えがとっさに口をついて出る。
「新しい着物が欲しいのであれば、いくらでも、とはいかないが遠慮せずに買うといい。」
「えっ?」
「え?」
「「...」」
たしか、以前に「あれが綺麗だ」「これの生地がいい」と見ず知らずの娘たちにねだられた記憶を思い出して、欲しいという意味かと解釈すれば、驚いたような声にこちらも驚く。どうやら違ったらしい。お互いに困惑し、沈黙が流れる。
「...そ、その......そういうつもりでは、ありませんでした...申し訳ありません。今日訪れた店で、実様が反物について将軍様にお話をすればいいと仰いましたので、これらはそのときに買ってきたものなのです。」
思わず額に手を当てて、天井を仰ぎ見る。
「そういうことか......。」
あまりに唐突すぎてわからなかったが、どうやらじいやがなにかを言ったらしい。そして、おそらくじいやの意図は伝わらずに、俺にこうして伝わることになったというわけだ。あのときの笑みはこのことだろうと思われるが、残念ながら失敗だぞ、と心の内で悪態をつく。
しかし、きっかけを作ってくれたことには感謝をしなければ。
「察しが悪くてすまなかった。たしかに、こちらはいい色だな。だが俺はこっちの色のほうが好きだ。」
俺は、いくつか置かれていた中からひとつを手元に手繰り寄せる。
手に取ったのは、どこか鮮やかにも思える露草色。夏の空を思わせるような色であり、そして...鈴音の瞳の色だ。さらりとそれに触れながら、知らずのうちに小さく笑みがこぼれる。
「しかし明るい色は...まあ、あまり好きではない。似合わないからな。」
肩を竦ませて、苦笑しながら本音を言う。
そして今度は俺の番だと手を広げた。
「君は?この中だとどれが一番好きなんだ?」




