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月鬼桜 ~薄明の願い~  作者: 釉亜


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第二章 其の五

「旦那様、あのような娘殿をどこで見つけてきたのですか。」

その夜、さっそく俺のもとを訪ねたじいやは開口一番にそう言った。それに俺は手元から視線を上げることもせずに答える。

「どこで、って説明しただろう。先日まで休養で訪れていた屋敷の女中だ。」

「ただの女中ではないでしょう。」

即座に否定され、そんなに見てわかるほどだろうか?と内心で首をかしげる。はたから見れば、ずいぶんとよく躾けられた使用人...くらいに見えるかどうかだと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。じいやがぎゅっと眉を下げて、不安そうな顔をする。

「心配せずとも、こちらを害するようなことはしないだろう。彼女はここに来る道中で何度も、大名から間者として送り込まれたから捨ててくれ、と正直に話すような娘だ。」

「間者として送り込まれているのではありませんか。」

いくらかきつくなった口調に視線をあげれば、年老いてもなお衰えを見せない力強い瞳がこちらをじっと見てくる。そして、「旦那様」とどこか咎めるような、ともすればこちらを諭すような声が届く。

「大名との関係が深かった女中が、大名からの命を遂行できない場合に待ち受けているのは最悪死です。今までは利用価値があったから生かされていたのでしょう。であれば、手元を離れたそのような娘殿を放っておく馬鹿がいるとお思いですか?ここに留めておけば、厄介ごとになりかねません。覚悟もなしに、ただの憐れみで側に置こうとしているのであれば、今すぐ手放しなさい。良かれと思ってしたことが、その方にとって良いことであるとは限りません。」


父の死後、じいやはこのように俺が間違った道を進もうとしたときは、いつもこんな風に諫めてくれた。それは、俺の立場がどれほど変わろうと、昔から変わることはなかった。

だが、今回は俺もなにも考えずに連れてきたわけではない。だからこそ、気の進まない取引という形をとってまで根気強く話をした。その中で、どの道あちらの要求を飲むか、それにとって代わるなにかがなければ、関係は悪化していたように思う。ならばすべてがあちらの思い通りとなる姻戚関係を結ぶよりも、賢い彼女をこちらに貰うほうが良いと判断したのだ。結果としてそれは、とてつもない利をもたらしてくれる、と予感している。

「彼女は使えそうにないか?」

「まさか。あれほど賢い娘など、そうそういないでしょう。」

手を組み、もしじいやが引き受けることはできない、というのであれば別の道を探さなければ...と考えて問えば、これも即座に否定されてこちらがおや?となる。

「だからこそ申しているのです。あのような娘がこれから先、他の人と同じように生きていくのはかなり難しいでしょう。」

「...じいやが、心配していることはわかっているつもりだ。だが、もう守ると決めて連れてきたんだ。それは、たとえ柊の大名と争うことになろうとも......変わりはしない。」

「正直、一国を担うものとしては失格だと言いたいところですが、覚悟を決めておられるのであれば、これ以上はなにも言いますまい。」

「なにが一国を担うもの、だ。将軍もこの領地も、好きでやっているのではない。」

ふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らせば、向こうも聞き飽きたとでも言いたげに冷めた表情を返される。

「旦那様のことは今さら心配することもありませんが、これ以上、心優しいあの娘を傷つけるようなことだけはないことを願っておりますよ。」

思いもかけない言葉に、驚いてしまう。

なんだ。いろいろ言っていた割にはすでに気に入っているのではないか。


なら今までのやり取りはなんだったんだと一気に疲れが襲う。

重たいため息を吐き出して出ていくように手振りで伝えれば、とくに反論されることもなく、素直に頭を下げて部屋を出ていこうとする。

...かと思えば、こちらを振り返ってにこりと笑った。

「ちなみに、私が人手が欲しいと言ったのは、そろそろ奥方を迎えられてはどうか、という意味です。どうぞ、ご検討のほど。」

「それではおやすみなさいませ」と今度こそ閉じられたその扉を呆然と見つめる。

.........なるほど。

帰ってきたときに睨まれたわけだ。おそらく、ちょうどよいから向こうの大名の娘と仲良くなってこい、なんなら妻として迎えてもいい、と送り出したにも関わらず、帰ってきたときに隣に見知らぬ娘がいて、あげくただの女中として紹介し、当人はそうそうに自室に引っ込んだのだから。ここ数日のとげとげしい態度にようやく納得がいって、ばたりと後ろに倒れこむ。

じいやに言ってやりたい。「ならば、じいやが向こうの屋敷に行って大名と大名の娘の相手をしてこい」と。そうすればげんなりしてこう言うに違いない。「あんな教養のかけらもない者たちはごめんです。」と。そうすればきっと、ここに来たのが鈴音でよかったと安堵するのだ。

そこまで情景が思い浮かび、思わず笑ってしまう。

そう、これでよかったのだ。

なにはともあれ、「人手が欲しい」という願いは叶えてやったのだから、当分の間はなにも言ってこないだろう、と期待を抱いてその日は眠りについた。

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