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月鬼桜 ~薄明の願い~  作者: 釉亜


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第一章 其の一

静養、というのはどうやら嘘でもなかったらしく、この地の賑やかな市場や、どこまでも青く広がる海を見渡せる浜辺など様々な場所へと案内されて、あの夜からはやくも数日が経とうとしていた。


(あの娘に、もう一度会って話をしてみたかったのだが...。)

はぁ、とため息をついて夜空を見上げる。もうじき、与えられていた休暇が終わり、戻る日が近づいている。

あのときの、俺に一切の興味を示さなかった虚ろな瞳、そして今も耳に残るあの小さな歌声。俺はあの夜からずっとそのことが忘れられずに、屋敷を意味もなくうろついたり、夜に庭を散歩したりしてみたのだが、その姿を見つけることは叶わなかった。

この屋敷の女中かと思っていたのだが、違ったのだろうか。


今夜も眠れそうにないな、と自嘲するように笑いながら、ここ最近暖かくなってきたきた空気の中へと今夜も歩き出す。あの日から、夜は毎日のように庭へと赴くようになり、ただ意味もなくあの時と同じ場所にぼんやりと立つ。

どうしてここまで気になってしまうのだろうか。

今まで好奇心を抑えきれないような視線や、好意を持ってすり寄ってくる者たち、あるいは忌々しそうな敵意を持つ者たちばかりだったから、だろうか。

ふわりと吹く風に心地よさを感じて目を閉じる。

さらさらと流れる水の音、かさりと音を立てる葉の(ささや)き。煩わしいと思うことも少なくなかったが、ここが静養に向いているというのも頷ける。

初めて見た海や光にあふれる市場の様子などを思い返していたとき、ふと背後からじゃり、と自然が立てる音以外が混じり、目を開けて振り返る。


そこには、あのときの娘が少し困惑したように立っていた。


「...毎晩こちらにいらっしゃってますが、ご用意したお部屋が合いませんでしたか?」

そう小さな声で尋ねられた。

俺は言われた意味を瞬時に理解できず、瞬きをする。誰かに見られていて、報告がいったのだろうか。だとすればそれなりに上の者なのだろうか?いや、待て、この娘があの部屋を用意した?

思考がまとまらずに無言でいたため、気分を悪くしたと思ったのか娘は頭を下げて謝罪の言葉を口にした。

「差し出がましいことを申しました。お邪魔をして申し訳ありません。」

くるりと踵を返し、この場を去ろうとしたその腕を思わず掴む。


「君は、ここの女中ではないのか?」


掴まれた反動で振り向くような形となった彼女は、きょとんと首を傾げる。

いや、言いたかったことはこれではないが、聞きたかったことが先に口から出てしまった。だが今は違うだろうと頭を抱えたくなる。

彼女は掴まれた腕を見下ろして、無礼にあたらないほどにそっともう片方の手でそれを外した。そしてその場に膝を折り、頭を下げて問いに対する返答をくれる。

「私はここで女中として仕えております。お部屋のご用意も任されておりますので、もし気に入らないようでしたら替えさせていただきたいと存じます。」

「女中にしては昼に姿を見かけることがなかったが?」

「......仕事は部屋で行っておりますので。」

しばしの無言の後に、そう言ったきり動かなくなる。

少し話をしたおかげで落ち着きを取り戻し、今日こそはと話を続けた。

「楽にしてほしい。そんなに(かしこ)まらないでくれ。」

彼女は俺の言葉に頭を上げはするが、立ち上がることはしなかった。なんとなく、彼女にとってこうするのが当たり前であるかのように感じられた。


「君が歌っていたのはなんという歌なんだ?」

「歌、と言いますと?」

「数日前にこの庭で会ったときに、なにかを口ずさんでいただろう。」

彼女が少し考えるそぶりを見せ、また言葉が足りなかったと付け足した。人と話すことに億劫になり、その努力をしてこなかったつけである。

「あれは...歌といえるほどのものでもございません。」

あぁ、と小さく溢したかと思うと、あまり多くは語られず黙り込んでしまったので、触れられたくない話題だったのだろうかと話を変えることにする。

「君は、俺がだれか知っていると思っていいのか?」

「もちろんでございます。将軍様のお話は有名ですから。」

知っていたのかと驚きつつも、どこか冷静な彼女を見ていると聡い子であることが(うかが)える。

「そうか、君みたいに俺に興味がない人と話をするのは久しぶりだ。よければ、ここ柊の地について詳しいのであれば色々と話を聞きたい。」

「この領地のことについてお知りになりたい、ということであれば姫様に聞くのがよろしいかと思います。」


おそらく悪気なく言われたことだと思うのだが、思わず顔を(しか)めてしまった。

姫様、というのはおそらくここの大名の娘のことだろう。だが大名の娘といえば、あのやたらに腕に絡みつきたがり、他者に対してのあたりがきつい、あまり気分はよくならないというのが本音だ。

「あの娘に領地の話ができるのか?」

うんざりとした低い声で、気分の悪さを隠すことなく言ってしまってから、しまったと慌てて取り繕おうと彼女をみれば、少し驚いているようような表情をしていた。

そして俺と目が合った彼女は、困ったように微かに笑いながら「私が答えられることであれば」と言ってくれた。

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