第二章 其の一
「おかえりなさいませ。」
出迎えてくれた側用人は、俺の後ろにいた人物に気づくと顔を顰めた。
「彼女は今後、ここで過ごしてもらうことになる...」
紹介しようとして、ふと彼女の名前はどちらで伝えるべきかに悩んだ。沈黙となってしまった間に、ますます訝しげな表情をされて慌てていると、そのことに気づいたのか彼女自ら腰を折って後を引き継いでくれた。
「深鈴と申します。よろしくお願いいたします。」
「細かいことは後で説明するから、まずは休ませてくれ。」
どういうつもりか説明しろ、と語りかけてくる瞳から目を逸らしつつ横を通り抜ける。正直、今布団へと入ろうものならすぐに意識を失うだろうほどに眠い。屋敷に着いて肩の力が抜けたのか、猛烈な眠気に襲われていた。
早々に彼女を他の女中に任せ、俺は側用人とともに廊下を歩く。
「旦那様、あのような娘殿をどうされるおつもりですか?」
幼き頃から面倒を見てくれていたほどに付き合いの長い側用人は、依然として険しい顔のまま問う。歩く速度を緩めつつも、うまく働かない頭で「どうするか」を復唱する。そんなこと俺自身が聞きたい。出るはずもない問いに、どっと疲れが押し寄せた今はとてつもなく「後にしてくれ!」と叫んでしまいたくなる。
だが、いきなり見知らぬ人を連れてきて自分は眠りにつく、というのも困るだろうということは理解できるので、端的に経緯だけ説明する。
「彼女はあちらの屋敷に勤めていた女中だ。少しばかり取引をして引き取ってきた。」
自室へと辿りつき、くるりと後ろを振り返る。
「すまないが、一時間ほど眠る。」
「承知いたしました。おやすみなさいませ。」
納得できない、と顔にありありと書いてあるにもかかわらず、それを飲み込んで頭をさげてくれた側用人にありがたく思いつつ、俺は襖をしめて崩れ落ちるように眠りに落ちた。
そして、ふと目が覚めればすでに夕刻になろうという頃だった。
(寝すぎたか...)
夢をみることもなく眠れたおかげか、頭が少し軽くなったように思える。そんな頭を、さてと切り替えてこの後やるべきことを組み立てる。まずは彼女をどうするか、だがそれは本人と話をしながら進めるほうがいいだろうか。半ば強引に連れてこられた場所で、これ以上の放置はよくないだろうと思い至って立ち上がり、客間へと向かうことにする。
「おや、旦那様。いかがないました?」
「ああ、少し頼みたいことがあってな。今日は軽めの食事を別で用意してくれるか?」
彼女がいるであろう場所を目指している途中で、厨房から漏れてきた飯の香りにふと立ち止まり、暖簾をくぐる。すると厨房を担当している女中は、不思議そうに首を傾げた。
「お夜食ですか?」
「いや、俺じゃなくて客人が少しな。」
「承知いたしました。準備してすぐにお持ちいたします。」
明確な言葉を使わなくても客人と聞いて思い至ったのか、すぐに頷いてくれた。やはりこの屋敷にいてくれる者たちは優秀で煩わしさもないから助かる、と満足しつつまた歩き出す。
「ありがとう、頼むよ。」
ほどなくしてたどり着いた客間の前で、手をあげて固まる。
中から人の気配がしないため、部屋を間違えたか不安になったのだ。いつも客人が訪れたときは主にここへと案内していたから今回もだろうと思っていたが、違ったのだろうか、今からでも他の者に確認しに行くべきかとぐるぐる悩んでいると、目の前の襖が開いた。
驚きで半歩後ろへと下がる。
「なにか御用でしょうか...。」
少し乱れた髪に、焦点の合わない瞳を見て即座にしまったと気づく。彼女も俺だとわかって対応したわけではないのか、視線が交わって徐々にその瞳が見開かれる。
「っ失礼いたしました。」
襖を開いてさっと後ろへと下がり、横へとどいてからその場に首を垂れた。
見えた一瞬の隙は即座に鳴りを潜めて、洗練された女中へと切り替わったその姿に残念だと思ってしまう。
「...いや、違うんだ。もうすぐ食事の用意ができるからと声をかけに来ただけだ。休んでいたところ、すまなかった。もう少し遅らせようか?」
「いえ、すぐに参ります。」
「そうか。ならばちょうどいいから、屋敷を案内しよう。」
「...将軍様がみずから、ですか?」
ぱちくりと瞬きをした彼女は、ありえないと言っているような気がする。別に自分の屋敷なんだからおかしくはないだろう、と不思議に思っていると彼女は苦笑した。...なぜ?
「失礼いたしました。人手が欲しいと仰っていた意味が理解できてしまいましたので......。」
今のやり取りのどこに、そんな風に思う要素があったのかわかりかねるが、なにかあまりよくない部分を見られた気がして落ち着かなくなる。
「なにか、おかしかっただろうか?」
たまらなくなって聞けば、彼女は困ったように瞳を泳がせて...そして俯き、小さな声で言った。
「将軍様のようなお方が...このように女中と直接お話をすること自体、本来......ありえないかと。」




