第一章 其の十二
関係を、悪化させるつもりは本当はなかった。
今の俺にとっては喉から手が出るほどに欲しい潤沢な土地なのだ。良い関係を築いていて悪いことなどない。だが、大名の娘の態度は行き過ぎていた部分も何度かあったのだ。今までは、ひと時の間だけであるために流せていたが、これからもとなると話は変わってくる。
松で生きる民たちを思えば、ここは俺が我慢すべきことで、上手くとりなすべきことなのだろう。それでも、これ以上は耐えられそうにない。なんとも幼稚で恥ずかしいことではあるが、本来俺は我慢強くも寛容でもない。
「いったいうちの娘が将軍様になにをしたというのでしょうか。なぜ、そのように言われなければならないのか、とんと理解出来かねます。将軍様は...」
俺の失礼な物言いに腹を立てたのか、数段低くなった声でまくし立てる大名に、またもや彼女がなにやら耳打ちをした。なにかを言われた大名は、ぐっと眉を寄せながらも口を閉ざした。相手が感情的になればなるほど事を運びやすくなる、と思い描いていただけにあまり喜ばしくはない展開へと陥ってしまった。
しばらくの沈黙の後に、大名が咳払いをした。
「本当に、将軍様はこの柊に求めるものがないのでしょうか?」
ここで俺は内心で首を傾げる。なぜ、あそこまで言われても取引を求めようとするのだろうか。先ほど俺が放った言葉は、向こうからしても同じだろうに。だが、ここまで言わせたのであればそろそろいいだろう。
「ここ柊に求めるものはありません。ですが、個人的に欲しいものはあります。」
「おお!それは?」
一転して、目を輝かせて身を乗り出してきた大名にのけ反りながら、なるべく笑顔を意識してなんてことないように告げる。
「そちらの女中を頂けるのであれば、その他の便宜を図るくらいはさせていただきましょう。」
静まり返った場で視線を向ければ、ぱちりと目が合う。その目は丸く、驚いているようだった。今まで見たことがない表情に思わず吹き出しかけたが、ぐっと頬に力を入れてなんとか堪える。
「ずいぶんとこの者をお気に召していただけたようでなによりですが、果たして将軍様のお役に立つのかどうか。いえ、こちらとしては将軍様からのご助力がお約束頂けるのであれば願ってもないことでございますが...。」
顎をさすりながらほぼほぼ承諾してもらえたかのような返事に、なによりまず彼女が信じられないというように見た。今度は彼女になにかを言われる前に手を打たなければと即座に返す。
「構いません。人手が足りず、気の利く人が欲しいところでした。」
嘘ではない事情を言えば、こちらを非難するような視線が飛んでくるが無視をする。
実は、今まで屋敷にあまり人を配置したくなくて少ない人数で屋敷の管理をしてきたのだが、先日もう少し人を増やしてほしい、という声が上がってきたところだった。信用できるかどうかはさて置いて、彼女であれば聡く物静かであるため他の者とも上手くやれるだろうと思う。
「それであれば、他にも何人かご紹介をしましょうか?」
「いえ、この者だけで十分です。」
めんどくさい提案は即座にお断りする。彼女以外に信用などできそうにもないし、なぜ快く受け入れてくれたかがなんとなくわかってしまえば頷くはずもない。大名の後ろに控える彼女は、先ほどと様子が変わっていた。膝の上でぎゅっと握りしめられた両手は白くなっており、俯いた顔はどこか青褪めているように見えた。気にはなったが、今ここで指摘をして拗れるのは避けたかったので、見て見ぬふりをして大名と話を進めることにする。
「...それでは、そのように。今後とも良き関係を築いていければ嬉しく思います。」
「ありがとうございます。」
差し出された手を、こちらもゆるく握り返す。これで為すべきことはひとまず終了した、と胸をなでおろしながら立ち上がる。合わせて、大名と彼女も立ち上がった。
「其方は明日からのこともあるだろうから、今宵はもう準備に取り掛かるといい。仕事については別の者に任せよう。」
「......承知いたしました。」
にこやかに言いつつ、大名は彼女へと近づいてなにやら耳打ちするのが視界に入る。今は、それに気づかぬふりをして俺は部屋を出た。
部屋を出た直後からすぐに眠気に襲われて、身体が重くなる。どうやら思っていた以上に気を張っていたらしい。いや、なんとか自分の望む方向へと話を進められた安心感からかもしれない。
(疲れた...。)
身体を引きずるようにして歩きながら、僅かに残った思考力をかき集めて明日からの予定を組み立てる。明日からは帰るための体力が必要となる。来たときは、柊から出迎えの者がいたため無理をして旅路を早急に終わらせたが、彼女を連れていくことを考えると、行きより時間はかかるだろう。
ならば出来るだけ疲れなどは持ち越さないに限る。
あてがわれた部屋へとたどり着いて、褥へと身を投げ出す。もはや開くことができない瞼に抗うこともせずに、考えることを放棄して眠りへと落ちていった。




