序章
こちらは月鬼桜本編よりもっと前の、過去のお話となります。
ここがすべての始まりとなりますが、暗めのお話が多くなりますので苦手な方はご注意ください。
長くなる予定ではございますので、まったりとお付き合いいただければ幸いです。
がやがやと、うるさい座敷の音を遠くに聞きながら夜の庭園を歩く。
先ほどまでいた宴会では、この地を治める大名たちをはじめ、多くの者たちが集まり騒いでいた。
(まったく、何を考えているのかが透けて見えるな。)
そう思いながら、寒空のもと月を見上げる。
今夜はとても美しい満月だ。
見事なまでに丁寧に手入れされた庭をひとり歩きながら、帝からのお言葉をふと思い出し、忌々しさがこみ上げる。
『此度の鎮圧、誠に大儀であった。褒美にしばしの静養をそこの大名のもとで行うといい。』
帝は持っていた扇で億劫そうに、にこりと人の好い笑みを浮かべた大名を指しながらそう言った。
なにが静養だ。
大方、ここ柊の地の大名より進言されて妙案だと思ったのだろうが、居心地はまったくもってよくない。
というのも、この地へと訪れた俺を歓迎して宴会を開いてくれるまではまだいい。
だが問題はその後だ。
宴会が始まって挨拶も終わり、各々が好きなことをし始めた頃、大名の娘や他何人かの女が近くに寄ってきて、やたらと酌をしたがった。
将軍という地位についてからこういうことは少なくない。むしろかなり多いが、正直なところ放っておいてほしいのが本音だ。相対するその人の瞳に、将軍としての俺が求められていることがわかり面倒なのだ。
(帝はこのことをわかっていたのではないだろうか...。)
そんな風に思い、ため息をつきながら歩いていると、庭園の少し先に人影が見えた。
このようなときにひとりで庭園にいるなんて、とそのままなんとなく歩みを進めた。それは本当にただの気まぐれでしかなかった。だが、その人の近くまで来たときに若い娘であることに気づいて、まためんどくさくなる前に逃げよう、と踵を返そうとしたその時。
小さな歌声が聞こえた。
なぜかその声に惹かれてふらりと一歩前へと足を踏み出してしまったその瞬間、ざあぁと強い風が、庭に美しく咲いた桜の花びらをのせて舞い上がる。
あたりが淡い桃色に染まる景色の中で、その長い黒髪を押さえながら振り向いた彼女は、こちらに気づいて小さく目を見張った。かと思うと次の瞬間その場に平伏する。
「お客様がいらっしゃったとは露知らず、お邪魔をしてしまい申し訳ありません。すぐに去ります。」
そう言ってこの場から早々に去ろうと腰を浮かそうとしたのを見て、手を伸ばしかけた俺に不愉快な高い音が纏わりつく。
「まぁ!将軍様、このようなところにいらしたのですね!」
後ろから先ほどの宴会にいた大名の娘がこちらへと寄ってくる。舌打ちしたいのを堪えていると、目ざとく俺の足元に蹲る彼女を見つけて、なぜか顔を顰めた。
「なぜここに貴方がいるの!はやく自分の仕事に戻りなさい!」
言うや否や足早に彼女の前に立って持っていた扇で、ばしりと彼女の肩を叩いた後、こちらを振り向いて笑顔で謝罪される。
「この者がご無礼をいたしました。今後このようなことがない様、きつく言って聞かせますのでご容赦を。」
無礼もなにも、この者がいったいなにをしたというのか。呆れて物も言えないでいる俺の腕を許可もなくとり、宴会へと戻るように促す。
あぁ、不愉快でたまらない。
後ろを振り向いて彼女を見ると、ただ静かに頭を下げて俺たちが去るのを大人しく待っているようだった。ここにいてはきっと彼女にとって良くないのだろうと思い、腕をさりげなく振り払いながら踵を返した。
......彼女の小さな歌声が耳から離れないままに。




