第4話 理由のない沈痛
講義室の最前列。時間はどこまでも引き伸ばされ、その緩慢な流れはやがて停滞へと収束した。
頬杖による垂直抗力と、頭上から降り滴る眠気との均衡点で、シクストの濁った思考は渦巻いていた。
──つまりは、歴史的な必然なのだ。
一人の君主が威徳をもって国を治めていたというのは、はるか昔の話だ。いまは違う。そんなに単純で牧歌的な体制でいられるわけがない。
時代が進むとともに、技術は進歩し、産業構造は変化する。それに従って行政も専門化が進み、必然的に高度な官僚機構が要求されることとなる。そしてその官僚機構が欲するところの高度な教育を備えた人的資源を供給するために、各国では大学が整備されて、必然的に、人的資源には余剰が発生する。必然だ。全ては明白で、疑う余地もない──
講義の終わりを告げる鐘が鳴り、シクストは我に返った。
学生たちは、三々五々、講義室を出たり、あるいは入ってきたりしている。
シクストも、眠気でずっしりと重たい身体をなんとか動かし、やおら立ち上がり、講義室を出ようとする。──しかしそこで、講義室に入ってくるひとりの青年と、ばったりと相対する形となった。
どちらからともなく、二人は互いに、なんとなくにらみ合う。
「よう、お坊ちゃん。見たところ、あんたは首尾よくあの乱闘から抜け出したいたようだな」と、シクスト。
「その呼び方はやめろ。……きみのほうは、大暴れだったようだな」
「先に殴られたのはおれのほうだぞ。こっちは反撃しただけだ。正当防衛だよ」
「そうかもしれないが、それでもきみは相当な恨みを買っているようだぞ」
「ふん、知ったことかよ。恨みというなら、こっちのほうがあんたらを恨んでいるということを忘れてくれるなよ、お坊ちゃ──」
「ヴィーレムだ」と、そのイオキア家の御曹司は遮った。「ぼくのことを呼ぶときは、名前で呼べ」
「わかったよ、ヴィーレムお坊ちゃん」
ヴィーレムが憎悪を向けてくるのを、シクストは肌で感じた。けれどヴィーレムは手を出すようなことはせず、ただ蔑むような視線だけを残し、シクストの横を通り過ぎて、講義室の中へと入っていった。
根性なしめ、とシクストは心の中で毒づいた。侮辱をしたのはこちらで、侮辱を受けたのは向こうのはずなのに、どういうわけだか苛立たしかった。
帝都大学の山毛欅並木。左右から伸びた枝葉が視界の上辺で結合し、淡い色で視界の三方を覆っている。その形はあたかも隧道のようで、シクストはそこに、息苦しいような閉塞感を見いだしていた。
──おれは、閉じ込められているのか? ふと頭に思い浮かんだのは、突拍子もないことだったが、同時に真実にも思えた。
行く手を遮られ、誘導されているような気がしてならない。いまこうして歩いているのは、本当に自分の意思なのだろうか? 誰かの都合がいいように誘導され、搾取されていないと、どうして言い切れる……
思考がうずまくごとに、気分が沈んでいくかのようだった──
ふと、少し離れたところから聞こえてくる喧噪を、シクストの耳はとらえた。彼は反射的にその方向を向く──それは、先日の乱闘の現場と同じ、掲示板の方角だった。
途端、彼の体の中に奥底から活力が湧き上がる。それはシクスト自身も驚くくらいの身体の反応であり──そして彼は、抱えていた理由のない沈痛を忘れ、たまらずにその喧噪へと向かって駆けだした。