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第1話 この世界の根本原理

 シクストはしたたかに殴りつけられながら、頭を貫く衝撃によって意識が一時的に肉体を離れ、帝都から遠く離れた故郷のことを思いだした。

 ──古びた納屋の戸や農具、水桶、荷車、それに、厳めしい農夫、そして自分自身。物体が持つ硬さ、重さ、ざらつき。暴力と迷信が支配する農村においては、あらゆるものは、力いっぱいに、殴りつけるようにして動かさないといけないものばかりだった。

 帝都に来てから、いつのまにか忘れてしまっていたもの。学生生活において強いられる細々とした手続きや計算、思索、所作なんかが細雪のように少しずつ降り積もって、その根底にあるものをうっすらと覆い隠していたのだ。

 どうして、こんなに当たり前のことを忘れてしまっていたのだろう? しかし、殴打の衝撃により、いまや欺瞞は取り払われ、原初の状態へと回帰した。

 何かを動かすには、十分に力を込めて、殴りつけてやらなければいけない。それが、この世界の根本原理だった──

 シクストは自分が笑っていることに気がついた。事実、腹の底からは怒りと同時に爽快感も湧き上がっていた。頭の中は、恐ろしいほどに明瞭だった。


****


 此度の布告を要約すると、以下のようになる。

 元来、学生会においては5つの学生同胞団がそれぞれ1票ずつの表決権をもっていた。これを、第一同胞団が4票を持ち、その他、第二、第三、第四、第五同胞団が合わせて1票を持つように変更するというのだ。

 第一同胞団というのは、主に帝都の高官や重臣の子弟、あるいは皇族や大貴族の子弟などが所属する学生団体であった。平時においても、将来のオルゴニア帝国政府の中枢を担う選良たちとみなされている集団である。

 校内の掲示板にこの布告の文面が張り出されるや否や、途端に騒ぎは広まった。大多数の学生たちからすれば、故郷を離れてやってきた帝都での生活の多くを依拠している学生同胞団の権利が制限されることになるからだ。

「この布告には法的根拠がない!」と、ある法学部の学生は憤った。実際、この布告は法的には無意味なものと言ってよかった。しかし、その法的には意味のないものをわざわざ布告として張り出すということは、帝都大学の執行部側は法を無視して事を進めるという予告に他ならなかった。


 帝都大学の山毛欅並木の下、校内のあちこちから学生たちが掲示板の前に駆け付け、次第にその人数は膨れ上がっていく。

 シクストも、そのようにして集まった学生の一人だった。人垣越しに、睨みつけるような厳めしい顔で掲示板をみやっていた。

 そんなもん引っぺがせ、と群衆の中の誰かが毒づいたのを、シクストは耳にした。それはもっともだと思った。

 そして同時に、気がついた。いまこの場にいる学生たちは、目の前の不正義に対して怒りを抱えながらも、それを持て余しているのだ。不平不満を口にしながらも、それが行動に繋がっていない。

 ──じゃあ、おれが行動してやる。シクストはそう思った。だから彼は人々をかき分けて掲示板の目前までたどり着く。衆目が集まる中、手を伸ばして掲示物に掴みかかる。

 群衆から歓声があがった。シクストは気分が良かった。そのまま大仰なしぐさで破いて見せようとする──

 しかし、ひとりの学生がシクストの腕をつかみそれを制止した。

「掲示物の破壊は禁止されている」と、制止者はシクストの顔を見ながら毅然という。当然周囲の学生たちはそれを口々に非難するが、それを受けながらも、落ち着き払い、堂々としている。その身なりもよく、女顔の美青年で──そして、シクストは気がついた。こいつは、第一同胞団のやつだ。

「禁止だと? じゃあ、この布告の出鱈目な内容はどうなんだ。こんな無法がとおるか?」

「内容は確かに問題がある。それは君の──君らのいうとおりだ。しかし、抗議はしかるべき手段で行うべきだ」

「しかるべき手段だと。そのしかるべきというものを無視したのは、大学側だぞ。随分とお上品なことをいうじゃないか。……おまえ、イオキア家のお坊ちゃんだろ。四男坊だったか、五男坊だったかの」

「──」

 それまでいくらすごまれ、群衆から罵声を浴びても泰然としていた彼であるが、この『お坊ちゃん』という言葉に動揺したのか、ふとその表情を崩した。羞恥と怒りをにじませた顔で、シクストを睨んだ。

 シクストはたたみかけるようにつづける。

「おれみたいな田舎者でも知ってる。おまえのご先祖様のイオキア伯爵は、当時の皇帝に女をあてがって、それで気に入られたんだってな」

 シクストの揶揄に、群衆の嘲笑が続く。

「……それは俗説だ。それに、ひけらかしたわけでもないのに、ぼくの身の上は関係ないだろ」

「いいや関係ある! 結局おまえは、利益を受ける側じゃないか。そんなやつが何を言おうと、搾取される側こっちはそれを聞く義理はない──」

 突然、群衆の後ろの方で怒声があがった。また別の第一同胞団の学生の集団がやってきて、他の学生たちともめ出したらしい。

 途端に、集まっていた群衆の中にも混乱が一瞬で伝播する。もみ合いと押し合いがあり、中にいる人間には何が何だか分からないまま──そしてついに、誰かがシクストの頭をぶん殴った。


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