第三章(4)
フィアナを鬱陶しいでもいうかのような態度だったタミオスが身を乗り出してきた。
「アルテール王太子殿下が、聖女様に求婚されていたという話は、聞いたことがありますか?」
他のものには聞こえないようにと、フィアナは声のトーンを下げた。タミオスも顔色一つ変えずに、黙っていた。
しばらくしてから「わかった」と小さく口にする。
「アルテール王太子殿下と話ができるように手はずを整える」
あえて謁見という言葉を使わなかったのだろう。
「私、これから大聖堂へ行きたいのですが、よろしいですか?」
「大聖堂だと?」
「はい。そういった事実があったかどうかを確認してきます。王太子殿下と話ができるのは、早くても明日以降でしょうから」
タミオスは腕を組み、椅子の背もたれに背中を預ける。何かしら考え込んでから「わかった」とだけ許可を出す。
フィアナは後ろを振り返りナシオンに視線を送ると、彼は首肯する。意図は伝わったようだ。
ひとおりやることを終えたフィアナは自席に戻り、軽く息を吐いた。
カリノと話をして気が張り詰めていたから、こめかみが痛む。人差し指で円を描くようにぐりぐりとしていたら「ほらよ」とナシオンがカップを手渡した。
「お疲れ」
「ありがとうございます」
見るからに渋そうな紅茶だ。
「思ったのですが……」
「なんだ?」
「ナシオンさんは、紅茶を淹れるのが下手くそなのですか?」
「な、ん、だ、と?」
「いえ、なんでもありません」
口元にカップを近づければ、紅茶のかぐわしい香りが鼻腔を刺激する。このにおいだけは美味しそうなのだ。だけど、口に入れると舌先に渋みが残る。
「お子ちゃまには、この美味さがわからないようだな」
ずずっと紅茶をすすったナシオンも椅子に深く座った。
とにかく、一息つけるのはありがたい。
カリノから聞いた話を報告書としてまとめていく。先ほどの話で一番の収穫は聖女と王太子アルテールの関係だろう。アルテールが聖女に求婚していたとは、まったく知らなかった。
タミオスに報告したときのあの表情から察するに、彼もその事実を知らなかったに違いあるまい。いや、事実かどうかはこれから確認するのだが。
仮に事実だったとして、この話を知っている人間は騎士団にはいないのではないだろうか。
王族や大聖堂の関係者であっても、ほんのわずかな人間。
「それで、大聖堂へ行って、誰から話を聞くつもりなんだ?」
カップを口元に当てながら、ナシオンが尋ねた。
心当たりのある人物は一人。彼なら、教えてくれるのではないだろうかと、密かに期待を寄せている。だが、確信があるわけではない。
「聖騎士のイアンさんです」
「誰、それ」
「昨日、私たちを案内してくれた、あの聖騎士です。ナシオンさんがいけ好かないと言った……?」
「ああ、あいつか」
ナシオンがひどく顔をしかめた。
「フィアナ。あいつと仲がいいのか?」
「仲がいいといいますか。以前にも、仕事で顔を合わせたことがある程度です。名前も、昨日、調べて思い出しました」
「思い出した?」
「はい。ほんの数回しかお会いしていないから、お名前を失念しておりました」
それ以上、ナシオンは何も言ってこなかった。
午後になると雨はあがり、じとっとした空気が肌にまとわりついた。空は変わらず鼠色で、いつ雨が落ちてきてもおかしくはない。
フィアナはナシオンと並んで大聖堂へと向かっていた。正門の脇に立つ門番は、昨日と同じ男だ。
「こんにちは。聖騎士のイアンさんに会いに来たのですが」
「お約束はありますか?」