第二章(8)
**~*~*~**
「カリノにはお兄様がいらっしゃるの?」
ラクリーアとは、眠れない夜に川のほとりでよく話をした。
川面で波打つ月の形をぼんやりと眺め、穏やかな川の流れを聞くだけで心は凪いだものだ。
その場所を知ったのはたまたまただった。
仕事の多い巫女であるが、少しは自由時間がもらえる。その時間を、カリノは散歩の時間に当てていた。庭園をふらふらと歩きながら花を愛でる。そんななかで、大聖堂側と向こう側をつなぐ秘密の抜け穴を見つけたのだ。
昔からあった抜け穴なのかもしれないが、少なくともカリノが知っている巫女らは、この穴について何も言っていない。
カリノは、ふと誰もいないような場所で静かに時を過ごしたいと思った。
みんなも寝静まった夜ならば、この穴を使って壁の向こう側へ行ってもみんなには知られないだろう。
そんな気持ちが働いた。
手にする荷物は少ないほうがいい。そう思って選んだのが満月の日だ。月明かりで道が照らされるため、魔道ランプを手にする必要はない。
抜け穴を通って壁の向こう側へ出ると、どこからか川の流れの音と虫の鳴き声が聞こえてきた。その音がする方向へと爪先を向ける。
先客がいた。それが聖女、ラクリーアだった。
それからというもの、満月の夜はこうやってラクリーアに会いにくる。
「はい。わたしの六つ年上です。今年で、十六歳になりました」
「あら? わたくしと同い年ね」
共通点があるだけで、親近感が沸く。それはカリノも同じで、こうやって川辺を訪れるラクリーアを、勝手に姉のように思っていた。つまり、家族のような存在。
三年前にラクリーアに誘われて巫女となり、大聖堂の暮らしは悪くないとは思いつつも、やはり心の底では家族を欲していたのだ。
「はい。聖騎士見習いのキアロです。覚えておりますか?」
キアロもラクリーアの言葉で大聖堂に入ったのだ。
「ごめんなさい」
そう言って首を横に振ると、ラクリーアの銀色の髪はさらりと揺れる。空から降り注ぐ月光も相まって、宝石のように輝く。
「あのときは、カリノのような子たちを救わねばという思いから、たくさんの子に声をかけてしまったから」
「そうですよね。わたしだって、あのとき一緒にこちらに来た人たちを全部覚えているわけではありません。まして、聖騎士となればなおのこと。だからラクリーア様が兄を覚えていなくても仕方ないかと思います。わたしがこうやってラクリーア様とお話できているだけで、奇跡のようなものですから」
「あなたは、わたくしに媚びないもの」
ラクリーアの艶やかな唇が、少しだけ歪んだ。
「せっかくですから、今度はあなたのお兄様も紹介してほしいわ。同じ年なのだし」
「わかりました。兄にはそれとなく伝えておきます」
ラクリーアがキアロに会いたいと言ったのが先だった。
キアロがラクリーアに会いたいと言ったわけではないのだ。
それにこうやって満月の夜にラクリーアと会っていることを、カリノは誰にも伝えていない。
誰かに言ったら、この時間を奪われるような気がしていたから。
同じ大聖堂内で生活しているといっても、自由自在にキアロと会えるわけではない。カリノは巫女であるし、キアロは聖騎士見習い。それぞれにやるべきことがあった。
それでも近場で作業しているときは、声をかけることも許されている。血のつながりのある兄妹だと枢機卿たちも知っているから、親しげに言葉を交わしても咎められるようなことはなかった。
寂しがり屋の妹が兄に甘えていると、微笑ましく見ているのだ。
「お兄ちゃん」
「なんだ? カリノ、お前の作業は終わったのか?」
ちょうど農作業を終えたキアロに声をかけた。
「終わったよ。今日の分のお洗濯。だから、お兄ちゃんと少しならお話してもいいって」
「ふぅん」
額の汗をぬぐいながら、キアロは興味なさそうに返事をする。だけど、口元がにやけているのは、カリノと会えて喜んでいる証拠でもある。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん。秘密の抜け穴、知ってる?」
周囲には聞こえないようにと、キアロの耳元に唇を寄せて話をした。
「なんだ、それは」
やはり、あの抜け穴は知らない人のほうが多いのだ。カリノは、声をひそめてその場所をキアロに伝える。
「だから、お兄ちゃん。満月の日に、あっちにある川辺に来て。わたし、その日だけ、いつも川の音を聞いてるの」
キアロの手が伸びてきて、カリノの頭をクシャリとなでた。
「眠れないのか?」
「そういう日もある。けど、うさちゃんがいるから平気」
「そっか」
そう呟きながら、カリノの頭をなでるキアロの手はあたたかかった。




