~飛べない竜~ 4
「なぁ、グラン……機嫌直せよ……」
エルウィンがグランの後ろに座り優しく声をかける。
「父さんなんて大嫌いだ……」
グランはそう呟くと隣で心配そうな顔をしてこちらを見ている父レオンとその愛竜、アーサディンから顔を背けた。
何が何でももう父の竜には乗らないと、腹をくくっているらしい。
グランとエルウィンが乗っている赤い竜も、主であるエルウィンと友アーサディンの主であるレオンの息子とのやりとりが気になるようだ。
「でもな、グラン、レオンはおまえが憎くて竜に一人で乗せない訳じゃないんだから……いい加減、機嫌直してやれよ」
「……」
それでもグランはかたくなに首を振った。
駄目だな、これは……。
エルウィンはそう判断すると傍らで様子をうかがっていたレオンに声をかけた。
「レオン、グランは俺が責任を持って家まで送り届けるよ」
「そうか……済まないな」
レオンは決まりが悪そうに言うと身を翻し、愛竜、アーサディンに飛び乗った。
「その……今はまだ駄目だが、竜にはそのうち一人で乗せてやるからな……」
エルウィンとグランを乗せた竜が音も無く空へ舞い上がる。
続けてレオンの乗ったアーサディンも飛び立った。
「十五歳の時かな」
しばらくしてエルウィンが口を開く。
「?」
言葉の意味が解らずにグランは後ろを振り返る。
「俺が始めて一人で竜に乗った歳。
……それに比べればお前は随分早いと思うけどな」
「だって……」
グランは口ごもる。
「グランもアーサディンと暮らしてるからよく知ってると思うけど、竜は強い生き物だ。
人が竜の背に乗るのはとても危険な事なんだよ」
そう言ったエルウィンの表情は硬い。
「その危険と向き合えるようになるまでは、一人では竜の背には乗せない
……それがレオンの考え方なんだろ?
もし、俺に子供がいたらあいつと同じ事をすると思う」
「でも……僕だって竜に乗りたい……」
羨ましくて仕方が無かったのだ。
父とアーサディンや、エルウィンとその竜の関係が。
「今は解んないかも知れないけど、レオンはいつだってお前の事を一番に考えているんだぞ」
「……本当?」
「あぁ。間違いないな」
――あいつは無類の親馬鹿だ。
そっと心の中に付け加える。
「頭ん中はお前の事でいっぱいだよ」
グランはちらりと横を見やる。
父レオンとその愛竜、アーサディンが気持ちよさそうに空を滑っている。
「……僕もいつか、父さんみたいな立派な竜騎士になれるかな――?」
「すぐになれるさ。
何たってグランも竜を飛ばす素質をばっちりレオンから受け継いでるんだから……な」
にやり、とエルウィンが笑う。
釣られてグランも笑い──
「────!!」
一瞬。ほんのわずか。大気が震えた。
極限まで圧縮された空気を大槌で叩くような、鈍い低い衝撃。
その衝撃が『自分の乗っている愛竜が致命傷を受けた音』だと誰が気づいただろうか?
否。グランは見ていた。
漆黒の竜が物凄い勢いで父の乗ったアーサディンの胸を貫通する様を──。
「アーサディン!」
父の悲痛な声が響く。
しかしグランは目が離せずにいた。
漆黒の竜が冷たい瞳でこちらを睨んでいる。
「レオン!」
かすかに視界の端から父が消えて行くのが目に入った。
「……ちくしょう、やりやがった……竜か!?」
エルウィンが上げた声で、視線の呪縛から解き放たれ、グランはようやく視線から目をそらすことが出来た。
濃い血臭が風に乗って届いてくる──。
──アーサディンの血の匂いだ……。
「あああああぁぁぁぁ………」
グランは絶叫を上げた。
「父さん!」
そう言うと赤い竜の背から飛び降りようとし──。
「逃げるぞ、グラン」
「うああああああぁぁぁぁ!!!!」
……そうだった。
あの日――。
僕はつまらないことで父さんと喧嘩をして……それっきりだ……。
それっきり――。
――ごめんなさい。
それは父、レオンに向けての言葉だったのだ――。
つまらないすれ違い、意地の張り合い。
ちょっと拗ねて父を困らせてやろう。
軽い気持ちだったはずだ。
それに早く父の様な立派な竜騎士になりたかっただけだ。
まさか、謝罪の機会が未来永劫失われるとは――。
涙がこぼれる。
「気が……ついたか……?」
薄らと目を開けると心配そうな長老の顔が目に飛び込んできた。
「長老……僕は……?」
「竜騎士殿が控えている部屋に飛び込んで、突然倒れたんじゃよ……
あれほど『首をつっこむな』と言ったのに……」
僕が倒れてからずっと部屋にいてくれたのだろうか?
もう大して若くも無いのに……。
まるで自分の子供の様に可愛がってくれて──。
「長老……僕……全部思い出したんだ……」
それを聞いた長老は小さくため息をつく。
「竜騎士……エルウィンが来ると聞いたときから、こうなるのではないかと思っておったよ……」
父を失った僕を不憫に思ったエルウィンが僕を引き取り、育てようとしたが、
竜を見るだけで錯乱してしまう僕を竜騎士である彼が育てるのは不可能だ。
そう判断したエルウィンは彼の実家である長老に魔術で忌まわしき竜の記憶を消した僕を預けた。
魔術で記憶を消したと言っても、人の記憶は人が簡単に弄る事ができる程簡単なものではない。
微かに残った竜に対する恐怖が歪み、グランは自分でも原因のわからない不安や恐怖に囚われていたのだ。
僕が知らず知らずのうちに闇を恐れるのは、父を殺めた竜を彷彿とさせるから。
──村から出る事が出来なかったのは外の世界が怖いんじゃなくて、外の世界で竜と出会うのが怖かったから。
無意識のうちにレギオンに怯えてしまったのも然り──。
……レギオン……。
「長老……『パープル・ブラッド』って……?」
『パープル・ブラッドのレギオン』。
今まで聞いた事の無いタイプのドラゴンだ。
「エルウィンの話を聞いたのか……?」
黙って頷く。
長老は小さくため息をつくと説明を始めた。
「『ブルー・ブラッド』のドラゴンからは『ブルー・ブラッド』が。
『レッド・ブラッド』のドラゴンからは『レッド・ブラッド』が生まれるのはお前も知っておるな?」
「はい」
元々、淡く澄んだ蒼い竜の血──『ブルー・ブラッド』が、『レッド・ブラッド』となる条件……。
それは、生まれつき『レッド・ブラッド』の親から生まれるか、『ブルー・ブラッド』として生まれた竜が人間を喰らうか──。
そのどちらかしか無い。
「ならば、片親が『レッド・ブラッド』でもう片親が『ブルー・ブラッド』となった場合、生まれてくる仔の色は何色になる?」
「……紫……」
それでパープル……。
「『パープル・ブラッド』が『レッド・ブラッド』の血を色濃く受け継ぐか、『ブルー・ブラッド』の血を受け継ぐかは、全くの運任せなのじゃ……。
じゃから──」
──パープルブラッドが生まれた場合はどれだけ温厚でおとなしくても、その竜は殺される運命に有る。
例え今は大人しくても。ある日、突然凶暴化して村を襲うかもしれない。
少しでも可能性の有るものは最初から排除する。
「片親がレッドブラッドだから……それだけの理由で大人しいドラゴンが消される──?そんな……」
「お前は純粋すぎる。世の中、不条理な事で一杯なんじゃ……」
そう言った長老の顔は年齢以上に老いて見えた。
「今日は色々ありすぎて疲れたじゃろうて……ゆっくり休みなさい……」
「──何度も言わせるな!俺じゃない!」
レギオンが怒りをあらわに、吼える。
竜は度重なる竜騎士とその竜からの攻撃により体のあちこちに傷を負っていた。
紫色の血がその身を染め上げる──。
対するエルウィンも怒れる竜を前に一歩も下がろうとしない。
「お前が知らなくても、お前は──」
「その話はもう聞き飽きた!」
竜が吼え、炎の吐息をエルウィンに浴びせかける──。
──が、エルウィンとその愛竜はひらりと身を返すと空高く、飛びあがる。
「ちっ……」
飛べないレギオンは反撃は愚か、逃げることさえままら無い。
徐々に動きの鈍くなるレギオン。
――徐々に壁際に追い込まれている。
解っているが、彼らのチームワークは完璧だ。
空も飛べないレギオンは追い込まれるままに動くしか無い。
「あの世で親を恨むんだな!」
いよいよ、そそり立つ崖に追い込まれ、エルウィンの一撃がまさにレギオンを捉えようとした、その時――。
――待って!
グランの悲鳴が頭上から響いた。
レギオンが顔を上げると遥か絶壁の上から、ほとんど転げ落ちるようになりながら、グランが降りてきた。
グランは丁度レギオンとエルウィンの間に割って入るとゆっくりとエルウィンの方へ向き直る。
「君は……」
エルウィンがあくまで白々しく切り返す。
「もう、全てを思い出したよ、エルウィン……」
グランのその一言を聞くと、エルウィンは微かに身を揺すり、再び口を開く。
「そうか……それで、その竜をどうするつもりだ、グラン?」
「僕は……レギオンを救いたい……」
エルウィンの冷たい瞳に見つめられ、ほとんど絞り出すように答えるグラン。
「辞めておけ。その竜は──」
そこで張り上げた声を元の静かな声に戻すエルウィン。
「……必ずお前の事を不幸にする竜だ」
竜騎士として長年竜と接してきたエルウィンだ。
僕なんかよりよっぽど竜のことが解っているはずだ。
……でも。
もう……目の前でむざむざと殺されるのをただ見ているだけなんて耐えられないんだ……
僕に救える命があるなら、僕は救いたい――。
「僕がレギオンの竜騎士になる。
だから、エルウィン……僕をあなたの部隊に入れてください」
今の僕に出来ることなんてほとんど無いに等しい。
「グラン……君は過去のトラウマから竜には乗れない。
ちゃんと現実を見なさい」
黒い竜が冷たい瞳で僕を睨み付ける――。
……去れ。
静かに。だが強く願う。
竜は音もなく虚空へ溶ける――。
「もし。僕が無事、レギオンを飛ばしたら、部隊に入れてくれますか?」
「……」
エルウィンは無言だ。
「グラン……もういいよ……これ以上迷惑はかけたくないんだ……」
レギオンが僕の後ろから声をかける。
迷惑――?
違う。多分これは最初で最後のチャンスなのだ。
今を逃すと、多分僕はずっと竜を恐れてあの小さな村でひっそりと暮らす。
それを嫌だと思ったことはない。
長老も村のみんなもよくしてくれる。
でも――。
思い出してしまったんだ。
――僕もいつか、父さんみたいな立派な竜騎士になれるかな――?
父さんはどんな竜にだって対等に接した僕にとって誇れる竜騎士だった。
ゆっくりと振り返るとレギオンと目が合う。
――大丈夫。飛べる。
いや、飛んでみせる。
グランの意志を汲み取ったのか、レギオンがゆっくりと跪き、その背をグランに委ねる。
黒い背中が目の前いっぱいに広がる。
――血臭が辺りに立ちこめる。
違う。レギオンはアーサディンの命を奪った竜ではない。
レギオンの体をアーサディンの血がしたたり落ちる……。
蒼い血だ。どこまでも蒼い。
否。レギオンの体を伝っているのはレギオン自身の血で、その血は──限りなく蒼に近い紫だ。
解っている。
アーサディンと父の命を奪った竜と、レギオンは別の存在だ。
解っているが体が恐怖で動かない。
──どうした?レギオンを助けるんだろ?
もう一人の自分が弱気な自分を嘲笑する。
「グラン……俺はお前の過去に何があったかは知らない」
静かに。レギオンが背中越しに言葉を発する。
「竜と関わらない方が、お前にとって幸せな人生を歩めるのかもしれない……
だけど。今はお前と飛んでみたい。
俺は、お前と出会うまではこのまま殺されてもいいと思っていた。
そんな俺がお前と飛んでみたいと思ったんだ」
──グラン、お前の気持ちは痛い程俺に届いている……ありがとう。
父、レオンもアーサディンも突然いなくなった。
そしてレギオンも今まさに、僕の前から消えようとしている。
僕はあの時、自分に救える命があるなら救おうと心に決めた。
でも。それは傲慢だ。
レギオンを助けるつもりで僕はレギオンに助けられたのかもしれない。
ゆっくりとレギオンの背に跨る。
ほんの一瞬、レギオンの純白の翼が輝いたように見えたのは錯覚だろうか?
僕にはよく解らない。
だが──。
久しく忘れていた高揚感が体を包む。
風と雲と太陽をすぐ近くに感じる。
あの日。空を翔る事を辞めて以来、久しく忘れていた感覚だ──。
「なぁ、グラン……」
「何、レギオン……?」
「空がこんなに気持ちいいものだって知らなかったよ」
「そうだね……僕もすっかり忘れてたよ……」
遥か上空を優雅に飛びまわる竜を目に、隊員の一人がエルウィンに声をかける。
「隊長、レギオンの入隊を許可するので──?」
「仕方あるまい、フリーの竜がフリーの竜騎士を乗せて飛んでいるのだ……
スカウトせねば規律違反でこちらが罰せられてしまうよ。
『レッド・ブラッド』に対抗するために戦力は少しでも多い方がいいのはみんな同じだからな……」
空を見上げつつ、エルウィンはかつての友に声をかける。
……レオン、これでよかったのか?
お前は息子を『世界一の竜騎士に育てるんだ』って言ってたけど。
とりあえず、あいつは竜騎士としての一歩を踏み出した。
俺が知りうる限りで最も不幸な竜騎士と竜のコンビだけどな。
だけど俺は信じてるよ……あいつらは、自分の身に降りかかる運命をことごとく跳ね返して、お前の言ったとおり世界一の竜騎士になるって事を──。