~飛べない竜~ 3
「……」
体が重い。
今までも、闇の幻覚に囚われた後の覚醒は最悪だったが。
今回は桁違いに最悪だ。
覚醒しているのに体が全く動かない。浅く息をするのがやっとだ。
「気がついたか?」
薄く目を開けるとレギオンが心配そうに覗き込んでいるのが見えた。
「一体……」
「俺が背中を差し出したら、突然ぶっ倒れた」
朦朧とする意識。今の夢は何だったのか――?
──夢?あの圧倒的なまでの威圧感が夢だったと言うのか?
体中が痛いが、どうにか上体を起こす。
当たり前と言えば当たり前だが、目立った外傷は特に無い。
「多分お前は無意識のうちに竜を恐れてる……」
「そんなことは……」
無い、と言おうとして、レギオンの悲しそうな瞳と目が合った。
「俺のせいで苦痛を与えてしまったようだな……済まなかった……」
そういうと竜は背を向ける。
「もう会うことは無いだろう……短い間だったけど、楽しかったよグラン」
殆ど消え入りそうな声でそう言うと、ゆっくりと歩き出した。
次第に小さくなる竜の後ろ姿をグランはただ見守ることしかできなかった。
やがて竜の影が完全に消える。
「……僕は何してるんだ……全く……」
短く呟くとグランは大木に伝いながら立ち上がった。
さすがに今から薬草を集めるのは、考えただけでもぞっとする。
事情を説明すれば長老もわかってくれるだろう。
重たい体を引きずると、グランはゆっくりと歩き出した。
──竜を恐れている……
レギオンの言葉が耳に付く。
今日レギオンと会って、初めて竜と生き物を見た。
……ならば焼き付くように鮮烈に思い出されるあの漆黒の竜とその瞳、そして夥しい量の血は何だ──?
そして……エルウィンとは誰だ?
記憶の中にあるその声は若い男のものだ。顔は全く思い出せない。
あの時。
僕は失ってはならない何かを失ってしまった──?
解らない。解らないが、激しい後悔が胸を締め付ける。
「ごめんなさい……」
何故か謝罪の言葉が口をついて出た。
本当は、あのときにそう言いたかったのに──。
――あのとき?
あのときっていつ――?
――誰に謝りたかった?
混乱する頭と悲鳴を上げる体で険しい山を無事に下りられたのはちょっとした奇跡と呼んでもいいかもしれない。
もう村は目と鼻の先だ。
しかし、次第に村の様子がはっきりするにつれて、異変に気づく。
――村がが慌ただしい。何かあったのだろうか?
「おぉ……グラン、無事であったか……」
長老が村の入り口でグランの帰りを待っていた。
「すいません、ちょっと体調が悪くなり、途中で薬草を諦めてしまいました。
……それよりも、この騒ぎは何かあったのですか?」
「実はな……村の者が山で竜を見たんじゃ」
――レギオンだ。
「すぐにでも街の竜騎士が判定に来るそうじゃ」
竜騎士の判定。
言わずと知れた『レッド・ブラッド』『ブルー・ブラッド』の判定の事だ。
『ブルー・ブラッド』ならそのまま放置、もしくは身体能力や知性に優れた竜は都につれ帰り竜騎士の素質を持つ者が現れるのを優先的に待つ事が出来る。
もし、竜が『レッド・ブラッド』の場合はそのまま処刑されることが決まっている。
……大丈夫。レギオンは優しいドラゴン……『ブルー・ブラッド』だ。
「竜騎士が来る……」
ポツリと呟く。長老の言葉を繰り返したことに特に意味なんて無い。
しかし何故か『竜騎士』と言う言葉が引っかかった。
「一件が片付くまでは山に近づかずに、無理をせず家で休んでおれ。
わしはこのままここで待って、竜騎士殿を迎えるつもりじゃ……」
長老に強く言い渡され、グランは渋々、長老の家に帰る。
「解りました」
「くれぐれもこの一件に首を突っ込まぬように……な」
念押しされ、渋々帰路に着くグラン。
途中でちらりと振り返ると長老の小さな影が更に小さく見えた。
あれほど晴れていた空はどんよりと曇り、今にも老人を押しつぶしてしまいそうだ。
「……何か……隠してるな、絶対……」
程なくグランが家に戻りつくなり、突然、雨が降り出した。
山の麓に位置する村だ。天候の急変はそれこそ日常茶飯事と行っても過言では無い。
しかし──。
「なんだか……胸騒ぎがする」
殆ど呻くように呟くと、重い足を引きずるように部屋の中に入る。
そのまま自分の部屋に行くと殆ど倒れるようにベッドに横たわる。
──体が重い。何か……よくない事が起こる前兆か……?
「こちらの部屋です」
しばらくして、隣から長老の声が聞こえてきた。
どうやら雨が酷すぎたため、部屋の中に入ってきたようだ。
「この部屋を自由に使ってください」
長老の言葉に複数の足音が続く。複数、と言ってもさほど多くは無い。
せいぜい四、五人と言った所だろう。
「では……よろしくお願いします」
長老の足音が遠ざかる。それに代わって竜騎士が手早く打ち合わせを始める。
「竜の情報は?」
扉越しに聞こえてきた声はどこか懐かしい感じのする響きで──。
「見た目は『リンドヴルム』種で、黒い体に白い腹と翼……」
「……レギオンか?」
──竜騎士団はレギオンを知っている?
「大きさや特徴からほぼ間違いなく……」
「そうか……」
苦しげに呟く声。
「次こそ仕留めなくては……」
──!?
レギオンが仕留められる?
何故だ、彼は優しいドラゴンだったはずだ。
「奴は今どの辺りにいるか解るか?」
「目撃証言では山頂付近の大木の袂に……」
……僕と話をしていた頃だ。
「ではまずはその大木を目指して進軍、山頂で各自探索を行う」
「はっ!」
「それにしても……『パープル・ブラッド』のレギオンがこんなところに……これも何かの因縁か……?」
パープル・ブラッド……?
ブルーでもレッドでもなく……パープル……?
「気がかりなのは天候だが……」
男の言葉につられて、グランも窓の外を見る。
通り雨だったのだろうか?
晴れ渡った青空──と、呼ぶにはいささか暗すぎるが、もう雨は止んでいた。
「エルウィン隊長!天候も回復したようです。さっそく竜の元へ──」
──エルウィン。
もう、限界だ……。
部屋の向こうにグランのあずかり知らない真実がある──。
そう確信すると、グランは竜騎士達が控えていた部屋へ雪崩れ込んだ。
「ん?何だね?」
部屋には艶やかな甲冑を身につけた二人の竜騎士と、
大振りの騎士団制式外套を着込んだ男が立っていた。
よく見ると甲冑を纏った騎士の足元に子犬程度の小さな竜も一匹、控えている。
レギオンと違って体は長細くは無く、ふっくらとした腹にがっちりとした足が生えている。
リンドドレイクと呼ばれる種類のようだ。
しかし。そんな事には頓着せず。グランの視線はただ一人の男の顔の上に止まったままだ。
年の頃なら三十後半と言った所か。痩身だが、しっかりした体つき。
いたずらっぽそうな顔つきだが、強い意志を称えた瞳。
「私の顔に何かついているかね?」
男がゆっくりと口を開く。
堂々としたしぐさとは裏腹に、声が微かに震えている。
口ひげを蓄えているのがグランの記憶とは異なる。
それ以外は、あの時のままだ。
あの時──。
──そうか。
思い出したよ……。全部。