引き際と潮時と ④
真奈美は車を構内の駐車場に入れる。除雪されていないのに雪はふかふかの状態。足首以上の積雪。二人は雪を踏みしめながら構内に入り相撲場へ歩いていく。
「稲倉が相撲場にいるかもしれません」
「えっ・・自主練か何か?」
「こんな朝早く何をやっているんだがそれもこんな雪の中わざわざ・・・」
鉄道は間引き運転をして運行しているのはラジオで云っていたが・・・。
校内の冷え切った廊下を二人は歩いてく。足音だけが響き渡る。
相撲場の入り口で真奈美と葉月は素足になり相撲場に入る。そこには股割をしている映見がいた。
「何している!」真奈美は仁王立ちで腕を組み映見を一喝する。股割をしていた映見は動きを止めて立ち上がる。
「おはようございます」と真奈美は云うと一礼する
「何していると聞いているんだ」
「昨日帰った後よく眠れなくて落ち着かなくて・・・それでここに来てしまいした」
「まったく何考えてるんだが・・・」と多少呆れ顔の真奈美。
いくら室内とはいえ暖房の入っていない相撲場の温度計は10℃を切っている。流石に素足ではジンジンと冷えてくる。
「真奈美さんトランクから私の荷物持ってきたいのですいませんが車の鍵を」
「荷物って?」
「せっかく稲倉さんが稽古しているんですがちよっと手合わせをしたいと」
「そんな時間あるんですか?」
「特段急いで東京に戻らなければならない用事もないですし石川と手合わせして稲倉としないと云うのも私的には・・・」
「葉月さん・・・」
「すいません。どうしても体が・・・」
「全く・・・稲倉とたいして変わりませんよやることは」と真奈美は云いながら車の鍵を渡す。
真奈美は相撲場の暖房を入れる。映見は股割から摺り足へ。
「映見」
「はい」
「準備運動は葉月山と一緒にやれお前と手合わせしたいらしいから今荷物取りに行った」
「椎名さんが・・・・」
真奈美は座敷上がりの縁に座り真奈美を横に座らせた。
「寝れなかったか?」
「はい・・・色々考えてしまって今度の事だけではなく初めて相撲を始めた時の事から」
「相撲して後悔でもしたか?」
「後悔何ってするわけないじゃないですか。監督おかしなこと云いますねぇ・・・」と映見。
監督から後悔などと云う言葉を聞くとは思わなかった。ましてや相撲をしていることで何って。映見に対して今思えば監督自ら稽古をつけてくれた時から何か監督らしくないと・・・。
「今、私は相撲をやっていてよかったと思っています。まがりなりにも世界大会で活躍できるなんって中学生の頃には考えもしていなかったし推薦で西経に入ったのは相撲をしたかったから・・・。途中嫌になったこともあったし辞めようかと思ったこともありましたが今は辞めなくてよかったと・・・。それと監督に本気の稽古をつけて頂いたことは私の人生において大事な一頁なると」
「何大袈裟な事云ってるんだが・・・」とちよっと照れ笑いをする真奈美。
相撲部屋の窓ガラスがだいぶ結露してしまった。相撲場の温度計は18℃を指している。
「とりあえず留年しないんで済んだなぁ」
「えっあぁ・・・」
「風の噂で聞いてるよ」と真奈美
「今、医学部に入ったことを少し後悔してます」と映見の表情が曇る
「・・・・」
「医学部以外だったら22歳で卒業できて大相撲に行くチャンスがあったのかと今までそんなこと想ったことがなかったのに何か最近ふと・・・」
「らしくないな」
「私、少し女子大相撲を馬鹿にしていたかもしれません。医師になりたいと云うのは子供の頃から想っていたことだからそのために医学部にも入って勉強しているわけだけで少なくとも医師免許は絶対取るとしても女子大相撲には何か後悔と云うか未練と云うか・・・」
「映見のこれからの人生を考えればちゃんと医学部を全うして医師免許取ると云うのが一番正しい選択である。女子大相撲は・・・・お前にふさわしくない」
「・・・・」
「冷静に考えればわかることだからあえて言えばどんなに早くても医師になるのは26歳。そこから専門医になるのなら30歳だ。そこから女子大相撲に入門するつもりか?」
「26歳だったら」
「映見!。そんなことより現役で国家試験に合格するそれがあなたの最低限の目指す道でしょ何迷ってるのしっかりしなさい」
「監督は絶対大相撲に行くべきだといいませんよね?」
「大学生にもなって自分で自分の進路も決められないんではしかたがないでしょ。アドバイスはするわよでもこうしろとは云わない。違う?」
「指導者としてOGが大相撲力士になることは反対なのですか?」
「うちの部からも何人も女子大相撲力士になって活躍している選手は何人もいる。今年は江頭が入門したけどそれなりに高い評価は受けているみたい。彼女は大学入学当時からプロを志望していたから私もそれなりにはその方向性で指導してきたつもり。女子大相撲に入門するにはそれなりの決意と覚悟がないと・・・。映見がふさわしくないと云ったのはお前には相撲の前にやらなければならないことがある。それをないがしろにすることだけはやめなさいと云う事よ。一時の想いで先の人生を狂わすようなことは指導者としてはさせるわけにはいかない」
「江頭先輩やその前の主将も私に可愛がりと称した稽古をしていたと単なるストレス発散のいじめかと思っていました。西経も他の大学と変わらないと・・・でも今思えばそれは違っていた・・・。私が甘かったのだと・・・」
「私は部員達に優勝しろだと学生チャンピオンに絶対なれとか云わないのは云わなくたって部員達がその気持ちを持って各大会に挑んでいるから云う必要はないんだ。大学のために相撲をやっているわけではない。アマチュア相撲は己の鍛錬のため稽古をしてその結果が試合だとすれば次にやることは見えてくる。うちの部員はそんなことを私が云わなくてもわかっている。西経の強さはそこなんだよ。だから私は西経の女子相撲部員は本当に素晴らしいと思っているよ。
西経の相撲部員は大相撲に行っても大成できないと云われたりもするけどだとしても引退後みんな社会に貢献している。それはちゃんと学業をおろそかにしなかったからね。大学出身者が女子大相撲で大成できないのは大学のために相撲をしているから勝ちが優先される大学においての女子相撲はそんな存在なんだよ。ただ私はそんな相撲部なら私はとっくにやめてたげとねぇ。確かにうちから横綱は出ていないし大関も僅か・・・でも大事なのは引退後なんだから。少なくとも社会で生きていくための基礎体力だけは身につけさせてあげたい。それが西経の文武両道の意味なんだ」
他の大学は大学のために勝負に拘る。アマチュア相撲はほとんどが一発勝負の世界。大相撲のように15日やって何番勝てばという世界ではない。そんな一発勝負の世界で四年間もやっていればそれは卒業した時には疲弊してしまっている。倉橋はそんな大学相撲の現状は苦々しく思っていたがそれでも西経は強かった。ただそれでも他校の猛攻に倉橋の古い考え方のなかでは勝てなくなっていたのは現実だった。他校が死に物狂いで勝利至上主義で西経を潰しにかかっているのにあくまでも本人の自主性の上の文武両道など負け犬のたわごとだと。でもそんな考えしかできない指導者にはなりたくない。部員達の将来の事も考えられない指導者にはなりたくない。
「私が他校のように相撲だけを追求していけば西経女子相撲部は完璧なのかもしれないが私はそんなの嫌だからねぇ。私個人としては映見が女子大相撲で活躍する場面なんか本当は見たいのかもしれないが指導者として私は反対だ」と真奈美はきっぱりと・・・。
「監督の考え方はわかりました。ただ今度の大会は勝負に徹して見たい。世界の女子大相撲の力士対等に戦いたい。プロ・アマの垣根を超えた大会で・・・」
今度の大会の特徴にプロとアマがぶつかる構図も考えられるのだ。チームオーダーは直前まで非公開。先に三勝したチームが勝ち上がり。先鋒に最強のプロ力士を持ってきて先手必勝なのか定石通り大将にもっていくのか勝ったものは続けて休むもなく取り組みをおこない三連勝すればそれで勝ち抜けるがそうも簡単にはいかないだろう。その意味ではアマチュア力士がどれだけプロと対等に戦えるかが勝敗の鍵になる。。
「大概の国は最重量級のプロ力士で勝負をかけてくるだろうロシアやかつての東欧諸国はプロ力士で勝負をかけてくるそれは日本も同じだがリーグ戦で戦ったのち上位二チームで決勝戦をする。試合数は多い上にそれを一日でやるとなると最重量級プロ力士二人で勝ち抜けるほど甘くない」と真奈美
アマチュアも体重差が倍の力士それもプロと戦わなければならないのだ。その場合勝てればそれに越したことはないがどれだけ試合を長引かせて相手を消耗させ次の力士に回せるか・・・それも大きな勝敗の要素になる。
「今までで一番厳しい相撲をしないとそれも相手はプロ・・・」と映見
「映見、今回の大会においてプロとアマの差はそんなにない」
「えっ?」
「一発勝負の大会ではアマの方が有利と踏んでいる。プロはある期間のトータルで勝敗を分ける。アマのように常に一発勝負の取り組みはそんなに多くない。その意味では相手がプロだからと云う意識は捨てろ。アマチュア相撲はある意味プロ以上に勝負には厳しいんだ。意識はしたことがないだろうが・・・。そんな試合を一日で何番もしなくちゃいけないんだ。少なくともプロはそんな試合はほとんどしない。そこは頭に入れておけ」
「わかりました」
相撲場の入り口に大きなトラベルケースを転がしてきた葉月が
「更衣室は?」
「映見、案内してあげて」
「わかりました」
元絶対横綱と女子大学生横綱との対決が始まる。




