引き際と潮時と ①
葉月は風呂から上がるとリビングへテーブルの上には【根知男山 雪見酒】が一升瓶ごとドーンと置いてある。あとは何品かのおつまみが・・・。
「良いお風呂でしたはいいですけどいきなり一升瓶ですか」と葉月は苦笑してしまった。
「元横綱ですから・・・それじゃ私もお風呂に・・・その寝間着ちょと小さかったかな」と真奈美。
「まぁー・・・ほんとは私の相撲用のレオタードでもよかったのですが」
「レオタード?」
「実は明星で石川さくらと手合わせをして・・・」
「ほぉーさくらと・・・どうでした?」
「ちょっと舐めてかかったら負けそうになって・・・」
「彼女は世界大会を経験したらもっと強くなりますよ」
「私もそれは確信しました。本当は稲倉さんとも手合わせをして見たかったのですが・・・」
「稲倉はダメです。この前私がコテンパンに痛めつけて・・・」
「真奈美さん稽古で相撲を取るのですか?」
「絶対そんなことしないんですけど稲倉とは色々あって・・・」
「やっぱり溺愛されているんですね」
「映見を見ていると黙っていられなくてねぇ・・・・それじゃお風呂入ります」と云うと真奈美は浴室へ。
葉月はソファーに座りスマホを確認する。着信履歴に中部ブロックの広報である新崎一花の名が・・。着信時間は今から20分前に・・・掛けなくても構わないと思ったが・・・。葉月は折り返しかけなおした。
「今晩は着信に気づかなくて高大校では色々ありがとう」
「それはいいんですがなんで急に単独で動かれたんです。私に直接でも云ってくれれば・・・」
「御免なさいねぇ今回は私のペースで動きたかったので」
「私じゃ信用できませんか?」
「そ云うわけではないけどあなたに迷惑をかけるようなこともしたくないしね」
「今どちらに?」
「えっ・・・あっホテルに・・・」
さすがに倉橋のマンションにとは云えない。
「明星の島尾に電話したら西経まで送ったって云っていたので・・・」
「あっそうなのよ。西経でちよっと時間食ってしまって・・・」
「そうですか・・・どこのホテルに?」
葉月の頭は真っ白に・・・。部屋をウロウロしているうちにテレビが置いてあるローボードに置いてあった封筒に目がいった。
「名古屋マリオットアソシアホテルよ」
「名古屋駅の真上の・・・なんかいいなぁ」
「あぁ良いホテルよ雪が降っていて景色もちよっと・・・ロマンチックと云うか・・・」
「これから行ってもいいですか?」
「えー・・あぁ・・御免、今日は色々疲れたし・・・」
「冗談ですよ。倉橋さんとはお話しできましたか?」
「えー私が伝えたいことは全部聞いていただいたわ」
「葉月さんもご存じだと思いますが山下理事長と倉橋監督は過去のことがどうしても・・・お互いに」
「過去の事って?」
「知らないんですか?」
女子相撲協会理事長山下紗理奈は倉橋の三歳年上の53歳。高校・大学と女子相撲の先駆者的存在。大学卒業後は精密機械メーカーに入社して実業団相撲部に入り細々と・・・第一回の女子相撲全国大会で倉橋と対戦して二位にその五年後女子大相撲が発足。すでに30歳目前ではあったが女子大相撲に入門し力士が少なかったにせよ一年後には横綱。そこから力士も増えていき熾烈な勝負を繰り返してきたがそれでも横綱昇進後5年間地位を守り年二場所制で七回優勝。そのうち四場所連続優勝をし初代絶対横綱の称号を得た。
紗理奈はかつてのライバルでもあった倉橋真奈美に再三女子大相撲の入門を誘いをしたがその時にはすでに濱田とも結婚をし起業をしていたことでとても女子大相撲などに入門するなどは無理な話であったし倉橋自身は大学で相撲は終了と云う気持ちは微動にしていなかった。ところが女子大相撲が始まった時と同じくして倉橋は西経女子相撲部に就任した。このことが紗理奈にとっては納得がいかなかった。倉橋は相撲自体に見切りをつけた上に女子大相撲自体にも懐疑的だったのにいつのまにやら大学相撲部の監督に・・・。
倉橋が監督に就任すると西経は女王として君臨し今に至る。そしてもう一つ納得がいかないのは西経から女子大相撲に入門するものが他の大学より少ないと云う事。別に倉橋が女子大相撲に行くなと云っているわけではなくあくまでの個々の問題なのだがアマチュアトップクラスの成績を上げても入門するものは少なかった。それも女子大相撲界からすると面白くないのだ。稲倉も高校時代から含めても世界で常にトップクラスの成績を上げているのにも係わらず本人は入門に消極的。その意味では石川さくらが入門してくれることに期待する向きは大きいのだ。
「椎名監督に私如きが云うことではありませんが少し空気を読んでください」
「空気を読めと云うのは?」
「椎名さんは将来の女子相撲を担う人材のはずです。山下理事長は後継に考えてらっしゃるはずですし女子大相撲の関係者に疑念をもたられるようなことは・・・」
「疑念ってどいう意味かしら?」
「倉橋監督主導のアマチュア相撲に終止符を打ちアマチュアとプロの相互依存関係を強化したいとしている時に椎名さんが倉橋監督にあまりにも接近することは椎名さんは倉橋寄りなのかと云う疑念を持たれる可能性があると云う事です」
「くだらない。なんでそ云う発想になるの?倉橋さんはけしてそんなくだらない思想なんかないしアマチュアの底上げは必然と女子大相撲にも直結する。その意味では倉橋さんの功績は絶大なのになぜ゛そんな風にしか見れないの理事長は・・・そんなことあなたに云ってもしょうがないけど」
「椎名監督のおしゃっていることは正論かも知れません。女子アマチュア相撲のレベルアップは西経なくしてできなかったと思います。それに明星の島尾を筆頭に指導者にも倉橋さんの影響は大きいと思いますが残念ながらそこから女子大相撲の入門者は少ないのです。ある意味女子大相撲には貢献してもらっていない。高校なり大学なりで相撲において優秀な成績なものが女子大相撲で第二の相撲人生を続けることができる。なのに・・・」
「女子大相撲に入門するかしないかは本人が決めること。他人が強制するものではないわ。西経は文武両道が鉄則。二つの選択があればどちらかを選べる。でも相撲しかできなければ選択肢はない。西経が相撲養成所だとか揶揄されたこともあったけど女子大相撲に行くものが少なければそれは間違いねぇ。依存関係を深めて本当の意味での教育現場という皮を被った養成学校を作れと・・・私には理解できないわ」
「椎名監督。本気でそのように思ってらっしゃるのですか?だとしたら椎名さんの見る目が私は変わってしまいした。」
「私には女子大相撲に行くことしか選択肢はなかったのよ。私だって相撲以外にやりたいことはあった。でもそこには選択の余地なんかなかったのよ。女子大相撲に入門したことは人生においては成功なのかもしれない。でもねぇ私的には・・・もういいわそんな話をあなたとしてもしょうがないしあなただって何か不愉快でしょ女子大相撲界で働いているのに女子相撲界の一つの象徴である絶対横綱だった葉月山が女子大相撲に行ったのは仕方なく行った何って・・・時間が時間だからもう切るわ。不愉快な想いをさせたかもしれないけど許してそれじゃ」
「椎名さん・・・」
「何?」
「女子大相撲に泥を投げるようなことはしないでください。元横綱葉月山との一ファンとしてお願いします。それじゃ」
電話は一花のほうから切られた。
「倉橋さんに近づくことが泥を投げるようなものなの・・・・」
家の事情がなければ本当は西経に行って倉橋さんの下で相撲をしたかったし大学で経営学を学びたかった。でもそれは叶わぬことだった。女子大相撲は好きだったが自分が入門するなど少なくとも考えた事はなかった。牧場の経営が傾きかけた始めた時もう大学に行くなどと云う選択肢はなかった。西経以外だたったら他の大学に行けないこともなかったが相撲をするのなら倉橋さんの下でという想いが・・・。その相撲すらも金のために・・・。他人からしたらいや女子大相撲を目指している者からしたら私は夢のような相撲人生に見えるのだろう?そして今は代表監督として・・・・。
「そう。椎名がそう考えているのならそれでも構わない。でも元絶対横綱から相撲を取って残るものがあるのかしら」
理事長が云ったように私から相撲を取ったら何もない。それが現実。だったなら私は女子大相撲よりアマチュア相撲の方で女子相撲に貢献したい。でもそのためには一度相撲界から離れて外から見てみたい。できれば叶わぬ夢だった大学へできれば西経へできれば倉橋さんの下で相撲をしてみたい・・・。
石川さくらも稲倉映見も指導者のめぐり合わせ次第でその後の人生が変わってしまう。二人は本当に恵まれている。私は妙義山という絶対横綱と云う名力士に恵まれた。プロと云う厳しい世界で奇跡的に生き延びて女子大相撲界において金も地位も名誉も手に入れた。でもそれは女子相撲界にでしか通用しない。
倉橋さんが大学で云っていたあの言葉は・・・・。
「私もちょうど引き際なのかもと特に最近思うことがあって・・・」
「引き際ってどういう意味ですか?」
(監督をお辞めるになると云う事ですか?)
世界で相撲認知され発展していった遅まきながら日本でもやっと女子大相撲が認められて競技人口も増えていき層も厚くなった。私も少なからず貢献はできたと思う。女子大相撲が人気になりビジネスとして成り立つようになって更なる発展も視野に入ったと思う。ただもうプロからはいったん退きたい気持ちの方が強いのだ。
(小さな相撲クラブでもできればいいの私は・・・私にはそれぐらいの方がちょうどいい・・・)
リビングから見えるベランダ越しの景色は依然として雪は降り続いている
(えっ・・・)
ベランダに出るサッシの窓ガラスには風呂から上がった真奈美の姿が・・・
(何時から?)
降り続く雪に部屋の明かりが反射して暗闇の中に白い花びらひらひらと舞うように・・・。




