アマチュア代表枠 ②
「何を揉めてた」倉橋は海藤に少しきつい口調で
「たいしたことではありません」と返す海藤。
倉橋からはそれ以上の追求はこなかった。
「椎名さんには稽古が終わり次第部屋に来るむね云いましたがそれで宜しかったでしょうか?」
「あー。何か云っていたか椎名さん」
「明星の帰りだそうです」
「一人か?」
「はい。お一人で」
「意外だな」
「意外?」
「日本代表監督何だから協会の誰かしら付いてくるようなもんだが・・・」
「こんなこと聞くのはあれなんですが椎名さんが来たのはアマチュア選手の打診ですか?」と云った後に聞くべきではなかったと思ったが・・・つい。
「海藤はどう思う?」
「えっ・・・」
「マネージャとして裏から見てどう思う?」
「私が云う立場では・・・」
「スポーツ心理学を専攻しているんだから何かしら思うところがなければおかしいんじゃないか?。私がお前を誘ったのは吉瀬と違う視点で物を見れると思ったからだ。どうなんだ?」
「私は・・・」
「構わないよ思っていることを云ってもらって私はお前の意見に賛否なんか挟まない。一つの参考として聞くだけだ」
「私は稲倉は代表の打診があったとしても今回は辞退するべきだと思います。理由は、現状では稽古不足ですし先日の高大校の試合において確かにいい試合ではありましたがあれが限界だと・・・ベストの状態に戻すのはもう少し時間が必要かと・・・それから・・・」そこから先なぜか口ごもる海藤。
「心理学的要素がないように思うが・・・」と倉橋は何かけしかけるような
「昨年の代表選考会以降少し感情的に走りやすいところが見受けられます。メンタルが不安定と云うか・・・今まで思ってもいなかった勝負に対するプレッシャーと云うかそのことがメンタル面に影響していると・・・。その意味で世界大会で本来の実力は発揮できないと思いますし、部としてもあれだけ部全体に影を落としておきながら・・・私は少しそのあたりのことを反省してもらいたいとそれは本人のためにもなると思います」
「今回稲倉は辞退させるつもりだ。瑞希の云う通りだと思う現状はねぇ」
「さっき稲倉と揉めていたのは、椎名さんが今来られていることを瞳に云ったら聞かれてしまいして・・・」
「・・・・」
「それと稲倉が急に代表選手に選ばれたい見たいなことを瞳に云ってきて・・・ちよっと様子がおかしいと」
「青葉の神崎が怪我をしていて辞退することなった。諏訪にはだいぶ前から云われていたが」
「怪我ですか?」
「高大校には出場させる予定は全くなかった。選手達が稲倉をと云うこともあったがそんなのは無視するつもりだった。そんな時神崎のことを聞かされて恥ずかしながら迷ってしまった。稲倉が代表になる確率なんか0%だったんだよ。それが・・・高大校に出場しなくても代表の打診はあったと思うがあったとしても断ることには変わりはない。ただ実戦で稲倉の状態を見てみたいといらんことを思ってしまって出場させてしまった。結果から云えば負けたのだが正直あそこまでやるとは思わなかった。稲倉も同じだろう。ボロ負けしてれば話は簡単だったのだが」
それが倉橋の正直な気持ち。石川さくらと試合をさせボロ負けしてくれれば5月から大学生としてのシーズンに合わせて調整していく予定だった。高大校は本人の反省の意味も含めて出場させないつもりだったが・・。想定以上に善戦してしまったことが稲倉に変な自信を持たせてしまったのかもしれない。そして倉橋自身も・・・。迷って決断できないときは最初に考えた事を実行する。それが倉橋が今までしてきたなのだが。
「海藤」
「はい」
「もし、代表の打診を受けたとして・・・・稲倉のメンタルカウンセリングできるか?」
「えっ・・・私がですか?」
「自信ないか?」
「でも・・・」
瑞希にとって倉橋の意図が掴めないでいた。あまりにも突然に。マネージャとして部員達からの相談や自分の方からアドバイスすることもある。ただそれはカウンセリングなどと云う話ではなくあくまでもちょっとしたものであって・・・。
「稲倉という世界的選手を私が・・・」
「自分を信じてやってみろ。お前は先輩・後輩を問わず相談にのっているんだろう。組織にとって本当に大切なのは選手が実力を発揮できるように環境を整える影の選手だ。お前以外も含めて西経女子相撲部を支えているのはお前達影の選手なんだよ。だから競技をやっている選手と何も違わない同等なんだよ」
あの時、倉橋監督と会わなければ女子相撲部にましてやマネージャとして入部なんか絶対になかった。スポーツ心理学を専攻したのは単に女子相撲を高校時代にやっていて大学では先が見えてたいたのでそれでも何かスポーツに係わることにと想い・・・・その程度の話だった。この三年間女子相撲部と云うより倉橋真奈美と云う女性の下で仕事ができたことは海藤自身にとってとてつもない財産である事に・・・。
「わかりました。やらしてください。稽古が終わったら稲倉は必ず椎名さんが来ていることを聞いてきます。監督は適当にはぐらかしてください。そのあとの稲倉の様子を見たいので・・・監督に命令しているようですいません」
「私が瑞希にお願いしたんだから構わないわよ。本当は私が云うべきだろうが私じゃ感情が入りすぎるんでねぇ。主将。終了だ」
倉橋が土俵の中央に立ち部員達が周りに集合する。
「今年は少しシーズンまで時間があるがそれを上手く生かして大会に臨んでもらいたい。稽古も少しずつ厳しくなってくるし新入生も入ってくる。学業も含めて色々忙しいと思うがやっていきましょう。それと外は結構雪が降っていて足元危ないからワゴンタクシー正門に二台呼んでおいた。最寄りの駅までそれを使うようにまかり間違ってもそれで家まで帰ろうとかはしないように以上。ごくろさん」
「ありがとうございました」と云うと部員達は相撲場から更衣室へ・・・しかし
倉橋が座敷に置いてあるトートバックを持ち相撲場を出ようとした時に映見が話しかけてきた。
「監督。お聞きしたいことがあります」
「なんだ」
海藤と吉瀬は少し離れた場所から二人を見ている。
「今、来賓室に代表監督の椎名さんが来られているんですか?」
「だったら」
「アマチュアの代表選手の事ですか?」
「違う。偶々名古屋に用事があってそのついでに寄っただけだそうだ」
「・・・・」映見は全くもって納得していない表情で
「椎名さんを待たせるんだ。お前の勝手な妄想に付き合う時間はないんだよ。新幹線の時間もあるしね」
「椎名さんに会してくれませんか?」
「・・・・」
「今度の世界大会の事で聞きたいことが」
「映見。お前はなんだ代表監督に私を代表の枠に入れてくださいとでも云うつもりか・・・随分図渦しいと云うかお前にそんな権利があるわけないだろう。高校生相手に力負けしているような選手が選ばれるわけないだろう。世界選手権なんか論外なんだよ」
「・・・・」映見に反論する隙はない。その通りだからだ。
その時、マネージャーの瑞希が倉橋のもとに。
「監督、椎名さんがお待ちですから」と瑞希は映見の右手が握りこぶしを作っていたことを見逃さなかった。
「あっ・・・じゃ」と相撲場を出る倉橋。瑞希は映見の前に立つ。
「その右手の握りこぶし開いてくれないかなー」と瑞希は諭すような口調で。
映見は一瞬、瑞希の顔を睨みつけるような表情を見せる。右手は握りこぶしのまま。瑞希は両手で映見の握りこぶしを包むように撫でると一本ずつ指を開かしていく。最初は抵抗していた映見だがその力が自然と抜けていく。
一歩下がったところからその様子を見る瞳。
「瞳、悪いんだけど相撲場から出て行ってくれないかなー。稲倉とふたりにしてほしいの」
「でも・・・」
「お願い」
「わかった」
瞳は若干心配なのだがそこは瑞希の云う通りに相撲場を出る
「監督!」
「しっ」と倉橋は
口に右手人差し指をあてて
倉橋は背を壁にあて二人の話を聞いているのだ。瞳も倉橋の隣に・・・。
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瑞希は映見の両手の掌を握りながら顔を見る。
「そんなに怖い顔しないでよ」と瑞希は笑いながら・・・
しーんと静まり返った相撲場の熱気も一気に引くように・・・。
「高大校いい試合だたわねぇ。久しぶりにあなたらしい試合を見たって感じねぇ。まるでどっかで稽古でもしてたみたいに・・・」
「・・・・」映見は何云ってるだよと云う表情で瑞希を見る。
「あんたに云われる筋合いはないって感じねぇ。私は裏方で女子相撲部に入るとは考えもしなかったら・・・本当は選手として入部するべきだったんだけどねぇ。と云うか相撲はもう高校で区切りをつけてと思っていたんだけど。倉橋監督に上手く誘われてねぇこんなことになっちゃって・・・・」
映見は黙ったまま。瑞希の話を聞いている
「高校時代、瞳に公式戦で一度も勝てなかった。悔しくてねぇ。でもなんかそこであきらめの気持ちが勝っちゃってさすがに大学に進学しても続けようと云う気持ちもなくなった。その程度だったのよ私の相撲に対する情熱何って・・・。そんな時に倉橋監督からマネージャーの誘いを受けてねぇ。云われた時はなんか馬鹿にされたような気持にもなったけど・・・高校の時監督と接した回数何って数回しかないのに私のことを覚えていてくれたのよ。私がスポーツ心理学を専攻していることも知っていたうえで誘ってくれたんでしょうねぇ」
映見の厳しい表情が多少緩んだような
「監督のことだからあなたのことに関しては色々考えていると思う。椎名さんが今日来た理由もあなたの察し通りだと思う。ただ今度の大会は高大校とレベルが違う。監督のことだから打診を受けても断ると思う」
「監督の一存で決められるものですが本人の意見は無視ですか!」と声を荒げる映見。
「あなたは聞きたくもないでしょうけど一応私もスポーツ心理学を専攻しているのでその見地から云わしてもらうわ。ここ最近のあなたは外的要因に過敏なほど神経質になっている。昨年あたりから気にはしていたけど少し相撲に対して迷いがあるんじゃないかなぁー。代表選考会での神崎さんの張り手の応酬に異を唱えたことは別におかしくないし私もあなたの意見には賛同する。でもあなたはそれ以降外部の声を気にするあまり感情的になりやすくなった。堂々としていればいいものを・・・。相撲の技術云々ではなく相撲そのものに・・・。世界大会でのメダルなしはあなたのプライドにとどめを刺した。あなたにしてみれば初めての挫折。勝ち負けと云うよりも稲倉映見として生きてきたプライドに・・・そしてライバルの石川さくらとの稽古でも完敗」
「・・・・・」
「精神的に限界を迎えた。普通ならそこで終わる。今だから云うけど部の空気はもう稲倉やめてくれって感じだった。ちょっと調子が悪いから部に来ない。外から色々云われたぐらいで稽古に来ない。練習試合で他校に行ってちょと西経の選手がラフな相撲をすれば西経のくせしてって・・・嫌味の一つも云われる。そうなってくると些細なことでさえあなたのせいにしてくる。全く関係ないことでさえ」
「私・・・・」
映見がやっと重い口を開こうとしていた。




